第十四章「失われた理容神」

ギルドが撤退した後、一刀は仲間たちに旅の報告をした。


「混沌の床屋には、まだ辿り着けていない。途中で、ギルドの動きを聞いて戻ってきた」


「そうだったんですか……」


「だが、収穫はあった」


一刀は古い本を取り出した。セリーヌが王宮の図書館から持ち出したものだ。


「理容神に関する記録だ。千年前に何が起きたか、書かれている」


蒸野とハジメが、食い入るように本を見つめた。


「千年前、この世界に異界からの来訪者が現れた。彼は清潔の技を持ち、万民に広めようとした。だが、当時の王と清浄師がそれを阻止した」


「阻止……?」


「民が自分で清潔を保てるようになれば、清浄師の力は不要になる。王は穢れを使って民を支配していた。だから、来訪者——理容神を封印し、その技を禁じた」


「そんな……」


「穢れは、自然発生したものじゃない。支配のために利用されてきたんだ」


蒸野は拳を握りしめた。


「ひどい……」


「だから、俺は理容神を解放する。封印を解けば、この世界の穢れを根本から解決できるかもしれない」


「神楽さん、混沌の床屋って、どんな場所なんですか」


ハジメが聞いた。


「記録によれば、大穢れの源泉だ。穢れに呑まれた者たちが集まり、完全に魔物化した存在がいる可能性もある」


「危険ですね……」


「ああ。だが、行かなければならない」


一刀は窓の外を見た。


「俺一人では、この世界を変えられない。どれだけ髪を切っても、髭を剃っても、穢れは無限に湧いてくる。根本を断たなければ、きりがない」


「私たちも——」


「蒸野」


一刀は彼女を見た。


「お前たちには、ここに残ってほしい。王都での活動を続けてくれ」


「でも——」


「俺が戻ってくるまで、『床屋・神楽』を守ってくれ。それが、お前たちにしかできない仕事だ」


蒸野は唇を噛んだ。ハジメは俯いている。


「……わかりました」


蒸野はようやく頷いた。


「でも、必ず帰ってきてくださいね。約束ですよ」


「ああ。約束する」


一刀はセリーヌの方を向いた。


「お前は、どうする」


「一緒に行く」


セリーヌは迷いなく答えた。


「私には、見届ける義務がある。理容神の解放を」


「危険だぞ」


「構わない。私は、もう逃げない」


一刀は彼女の目を見た。そこには、強い意志がある。


「……わかった」


出発は翌朝と決まった。


その夜、一刀は店の中で剃刀を研いでいた。


「神楽さん」


蒸野が入ってきた。


「まだ起きてたのか」


「眠れなくて」


彼女は一刀の向かいに座った。


「神楽さん、本当に大丈夫ですか」


「何が」


「混沌の床屋。大穢れの源泉。魔物化した存在……。どれも、恐ろしいことばかりです」


「確かに、危険だ」


一刀は剃刀を光に翳した。


「だが、俺にはこれしかない」


「これしか……?」


「俺は、ただの理容師だ。剣も使えない。魔法も使えない。できることは、髪を切って、髭を剃ること。それだけだ」


「それだけじゃないですよ」


蒸野は首を振った。


「神楽さんは、人を救ってきました。穢れに苦しむ人たちを、たくさん」


「……」


「それに、私たちに『清潔』の大切さを教えてくれました。この世界に、新しい価値観をもたらしました」


「大げさだ」


「大げさじゃないです」


蒸野は一刀の手を握った。


「神楽さんの技術は、奇跡なんです。この世界にとって」


「……」


「だから、必ず帰ってきてください。私たち、待ってますから」


一刀は蒸野の顔を見た。涙ぐんでいる。


「……わかった」


一刀は彼女の手を握り返した。


「必ず帰る」


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