第九章「王都からの招待」

第三王女セリーヌを理容椅子に座らせたとき、一刀は彼女の穢れの深刻さを改めて実感した。


髪の根元から黒い霧が滲み出し、首筋まで這い上がっている。表情は青白く、目の下には深い隈がある。重症だ。通常の施術では、完全に祓えないかもしれない。


「いつから、この状態だ」


「……五年前から」


「五年?」


「王宮での儀式の後、突然発症した。最初は軽い頭痛だった。それが、次第に……」


セリーヌは俯いた。


「髪が伸びると、身体が重くなる。思考がぼやける。感情が薄れていく。最近は、一日の半分以上を寝て過ごしている」


「清浄師の施術は?」


「何度も受けた。だが、効果は一時的だ。数日もすれば、元に戻る。いや、もっと酷くなる気さえする」


一刀は眉をひそめた。


清浄師の術は、穢れを「一時的に抑え込む」ものだと聞いていた。完全に除去するのではなく、表面を覆い隠すだけ。だとすれば、根本的な治療にはならない。むしろ、穢れが内部に蓄積していく可能性がある。


「一つ聞きたい」


「なんだ」


「清浄師の施術を受けるとき、髪を切られたことはあるか」


「……ない」


「シャンプーは?」


「それも、ない」


「つまり、清浄師は髪に触れることなく、術だけで穢れを祓おうとしていたわけだ」


「そうなる……」


一刀は理解した。


清浄師の術は、理容の代替品ではない。別物だ。彼らは穢れを「封じ込める」ことしかできず、「除去する」ことはできない。だからこそ、効果が一時的なのだ。


「俺のやり方は違う。髪を切り、洗い、穢れそのものを物理的に除去する。時間はかかるが、根本的な解決になる」


「……本当か」


「やってみなければわからない。ただ、お前の状態は重症だ。一度の施術では完全には祓えない。何度か通う必要がある」


「何度でも来る。王宮を抜け出してでも」


「危険じゃないのか」


「危険でも、構わない。このままでは、私は——」


セリーヌの声が震えた。


「このままでは、私は死ぬ。穢れに食い尽くされて」


一刀は黙って頷き、施術を始めた。


まず、蒸しタオルを当てる。セリーヌは最初、熱さに驚いたようだったが、すぐにその心地よさに表情を緩めた。


「……温かい」


「髪と穢れを柔らかくしている。しばらくそのままで」


次に、シャンプー。蒸野が補助につき、慎重に湯を注ぐ。


「温度、大丈夫ですか?」


「……ちょうどいい」


石鹸で泡立て、頭皮を優しく揉む。黒い霧が、泡と一緒に流れ落ちていく。セリーヌの表情が、少しずつ和らいでいった。


「すすぎます」


蒸野が湯をかけ、泡を洗い流す。二度目のシャンプー。さらに穢れが落ちていく。三度目で、髪の表面についていた穢れはほぼ消えた。


「次は、カットだ」


一刀はハサミを手に取った。


「どのくらい切るつもりだ」


「肩の下あたりまで。長さを残したいなら、もう少し長くもできる」


「……好きにしてくれ」


セリーヌは目を閉じた。


「私は、もう何年も鏡を見ていない。自分の姿を見るのが怖くて」


「……そうか」


一刀は最初の一cut を入れた。髪がはらりと落ち、黒い霧が消散する。


「軽い……」


セリーヌが呟いた。


カットを進める。伸びすぎた髪を、肩の下のラインで揃える。レイヤーを入れて動きを出し、顔周りを整える。


施術が進むにつれ、セリーヌの顔色が良くなっていく。青白かった肌に血の気が戻り、瞳に光が宿る。


「終わりだ」


一刀はケープを外した。


「鏡を見てみろ」


セリーヌは恐る恐る顔を上げた。そして——


「これが……私……?」


鏡に映っているのは、別人のような女性だった。金髪は艶やかに輝き、顔立ちは凛として美しい。穢れの影は、髪の根元にわずかに残るのみ。


「穢れは完全には祓えていない。根元に残っている分は、また伸びてきたら切る必要がある」


「……ありがとう」


セリーヌの目から、涙が溢れた。


「ありがとう……本当に……」


「礼はいらない。仕事をしただけだ」


「いや、礼を言わせてくれ。私は……私は、もう諦めていたんだ。このまま穢れに蝕まれて、何もできないまま死ぬのだと」


セリーヌは一刀の手を握った。


「貴方は、私に希望をくれた。だから——」


「だから?」


「王都に来てほしい」


一刀は目を見開いた。


「王都?」


「王宮には、私以外にも穢れに苦しむ者がいる。侍女たち、兵士たち、そして……私の家族も」


「王族が穢れに……?」


「父王と兄たちは、清浄師ギルドの庇護下にある。彼らは定期的に『浄化』を受け、穢れを抑えている。だが、私には……私には、その資格がなかった」


「資格?」


「第三王女は、継承権を持たない。だから、ギルドにとって価値がない。私が穢れに苦しんでも、彼らは本気で救おうとしなかった」


一刀は拳を握りしめた。


「……ひどい話だな」


「だから、貴方の力を借りたい。王都で、私と同じように苦しんでいる者たちを救ってほしい。そして——」


セリーヌは声を潜めた。


「穢れの真実を、暴いてほしい」


「真実?」


「私は、穢れが自然発生するものではないと思っている。誰かが意図的に広めた——あるいは、作り出したものだと」


一刀は黙って彼女を見た。


「証拠は?」


「ない。だが、王宮には古い記録が残っている。千年前に何が起きたのか、理容神がなぜ消えたのか——その手がかりがあるかもしれない」


「俺に、調査しろと?」


「お願いだ。貴方は、この世界の人間ではない。だからこそ、しがらみなく真実に迫れる」


一刀は深く息を吐いた。


店の外を見る。蒸野とハジメが、心配そうな顔でこちらを見ていた。村人たちが、遠巻きに様子を伺っている。


「……考えさせてくれ」


「わかった。ただ、あまり時間はない。ギルドは、貴方を危険視し始めている。このまま村にいれば、いずれ——」


「わかっている」


一刀はセリーヌを見送り、店の中に戻った。


その夜、三人は今後のことを話し合った。


「王都に行くんですか、神楽さん」


ハジメが不安そうに聞いた。


「まだ決めていない。ただ、ギルドの動きが気になる。このまま村にいても、いつまで平和でいられるか」


「でも、王都に行ったら、もっと危険なんじゃ……」


「かもしれない。だが、王女が味方についてくれるなら、多少の保護は期待できる」


蒸野が口を開いた。


「私は、行った方がいいと思います」


「どうして?」


「神楽さんのやっていることは、もっと広まるべきだと思うから。村人だけじゃなくて、王都の人たちにも、清潔の大切さを伝えてほしい」


「……」


「それに、穢れの真実を知ることは、この世界全体にとって重要なことでしょ? 誰かが調べなきゃ、永遠にわからないままですよ」


一刀は黙って考えた。


確かに、蒸野の言う通りかもしれない。村で細々と営業を続けても、救える人数には限界がある。王都に行けば、より多くの人に影響を与えられる。


だが、リスクも大きい。ギルドの本拠地に乗り込むようなものだ。


「……ハジメ」


「はい」


「お前は、どうしたい」


ハジメは少し考えてから、真剣な顔で答えた。


「俺は、神楽さんについていきます。どこへでも」


「危険かもしれないぞ」


「わかってます。でも、俺はまだ何もできない。神楽さんの側にいて、学びたいんです。いつか、一人前の理容師になるために」


一刀は二人の顔を見た。蒸野は微笑んでいる。ハジメは真剣な目をしている。


この二人と出会えたことは、異世界に来て最大の幸運だったかもしれない。


「……わかった」


一刀は立ち上がった。


「王都に行く」


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