第十章「王女の髪」

王都への旅は、三日を要した。


セリーヌが用意した馬車で、一刀たちは森を抜け、平原を渡り、やがて巨大な城壁が見えてきた。


「あれが王都だ」


セリーヌが窓の外を指さした。


「思ったより、大きいですね……」


蒸野が息を呑んだ。城壁の向こうには、無数の建物が立ち並んでいる。教会の尖塔、貴族の邸宅、市場の喧騒——この世界の中心地だ。


「ここに、何万人もの人が暮らしている。そして、その多くが穢れに苦しんでいる」


「何万人……」


一刀は黙って城壁を見つめた。


村では、一日二十人の施術が限界だった。王都の人口を考えれば、一人でできることは限られている。


「まずは王宮だ」


セリーヌが言った。


「私の侍女たちを、最初に診てほしい。彼女たちは、私の穢れを世話するうちに感染した」


「……お前のせいで?」


「そうだ。だから、責任がある」


一刀は頷いた。


王宮は、想像以上に荘厳だった。


白い大理石の壁、金の装飾、美しい庭園——しかし、その華やかさの裏に、一刀は異様な空気を感じ取った。廊下を歩く人々の多くが、髪を長く伸ばし、顔色が悪い。穢れの気配が、あちこちに漂っている。


「ここは……」


「王宮は、穢れの温床だ」


セリーヌが苦々しげに言った。


「人が多く、密集している。感染が広がりやすい。だが、貴族たちは清浄師に金を払い、見た目だけは整えている。根本的な解決は、誰も考えていない」


「考えようとしなかったのか。考えることを禁じられていたのか」


「……両方だろう」


セリーヌの私室に案内された。


部屋の片隅には、簡易的な理容スペースが設けられていた。椅子、鏡、洗面器——セリーヌが事前に用意させたものらしい。


「ここで施術してくれ。道具は——」


「持参している」


一刀はカバンを開けた。ハサミ、剃刀、シェービングブラシ、石鹸、タオル——旅の間も手入れを欠かさなかった道具たちだ。


「では、侍女を呼ぶ」


最初の「患者」は、十代後半の少女だった。


髪は肩を超える長さで、黒い霧を微かに纏っている。初期段階の穢れだ。


「名前は?」


「マリア……です」


少女は緊張した様子で椅子に座った。


「怖がらなくていい。ちょっと髪を切って、洗うだけだ」


「はい……」


施術は順調に進んだ。蒸しタオル、シャンプー、カット——村で確立した手順を、丁寧に実行する。蒸野がシャンプーを担当し、ハジメがタオルと器具を管理した。


「終わりだ」


「……ありがとうございます」


マリアは鏡を見て、驚いた表情を浮かべた。


「こんなにすっきりしたの、初めてです……」


「穢れが軽かったからな。次は一ヶ月後くらいに来てくれ」


マリアが去った後、次の侍女が入ってきた。こちらは中程度の穢れ。同様の手順で施術を行う。


三人目。四人目。五人目——


夕方までに、セリーヌの侍女六人の施術を終えた。


「ありがとう」


セリーヌが深々と頭を下げた。


「彼女たちは、私のせいで穢れを負った。ずっと、心を痛めていたんだ」


「礼はいい。まだ、やることが残っている」


「やること?」


「お前の施術だ」


一刀はセリーヌを椅子に座らせた。


「前回の施術から、どのくらい経った」


「……十日ほど」


「穢れは、どうだ」


「少し戻ってきている。髪が伸びた分だけ」


「想定内だ。今日も同じ手順でやる」


蒸しタオル。シャンプー。カット。


施術を進めながら、一刀はセリーヌに話しかけた。


「お前は、髪を切られることが怖いと言っていたな」


「……ああ」


「理由を、聞いてもいいか」


セリーヌは少し黙ってから、口を開いた。


「小さい頃……母上が、私の髪を切ってくれた」


「母親が?」


「母上は、この国の王妃だった。だが、穢れに侵されて——私が五歳のとき、亡くなった」


「……」


「母上は、私の髪を梳かすのが好きだった。『セリーヌの髪は、黄金のように美しい』と、よく言ってくれた。髪を切るのも、母上の役目だった」


「その母親が亡くなって……」


「髪に触れられることが、怖くなった。母上以外の誰かに切られるのが、嫌だった」


一刀は黙ってハサミを動かし続けた。


「だが、貴方は違う」


「……違う?」


「貴方に髪を切られても、怖くない。むしろ……安心する。不思議なものだ」


「俺は、お前の母親じゃない」


「わかっている。だが、貴方は——貴方は、誠実だ。私の髪を、大切に扱ってくれている」


セリーヌは鏡越しに一刀を見た。


「ありがとう。心から、そう思う」


一刀は答えなかった。ただ、最後のカットを丁寧に仕上げ、ケープを外した。


「終わりだ」


「……綺麗」


セリーヌは自分の髪を触った。


「本当に、綺麗になった」


「次は二週間後だ。それまで、髪を清潔に保て。シャンプーの方法は、侍女に教えておいた」


「わかった」


その夜、一刀は王宮の客室で考え込んでいた。


王都での活動が始まった。しかし、これは序章に過ぎない。ギルドの監視、王族の思惑、そして穢れの真実——解決すべき問題は山積みだ。


「神楽さん」


蒸野が部屋に入ってきた。


「まだ起きてたんですか」


「考えることが多くてな」


「私も、眠れなくて」


蒸野は窓辺に立った。


「王都、すごいところですね。華やかなのに、どこか重苦しい」


「穢れが蔓延しているからだ」


「それだけじゃない気がします。何か……隠されているものがあるみたいな」


「セリーヌも同じことを言っていた」


「王女様、変わりましたね」


「変わった?」


「最初に会ったときより、表情が明るくなった。希望を持ち始めてる感じがします」


一刀は窓の外を見た。


「俺は、希望を与えるつもりはなかった。ただ、髪を切って、穢れを祓っただけだ」


「でも、それが希望になったんですよ。神楽さんのやっていることは、技術以上のものを人に与えてるんです」


「……そうか」


一刀は小さく息をついた。


「明日から、本格的に活動を始める。王宮の人間だけでなく、王都の一般市民も受け入れたい」


「それ、危険じゃないですか? ギルドに目をつけられますよ」


「目をつけられているのは、とっくにわかっている。今さら隠れても意味がない」


「……神楽さん」


「なんだ」


「無茶しないでくださいね」


蒸野は心配そうな目で一刀を見た。


「私たち、神楽さんがいないと何もできないんですから」


「わかっている」


一刀は窓から目を離し、蒸野を見た。


「心配するな。俺は、簡単には倒れない」


「約束ですよ」


「ああ」


蒸野が部屋を出た後、一刀は再び窓の外を見た。


王都の夜空に、二つの月が浮かんでいた。


この世界の闇は深い。だが、それを照らす光もある。


自分にできることは、髪を切り、髭を剃り、穢れを祓うことだけだ。しかし、それだけでも——何かを変えられるかもしれない。


一刀は目を閉じ、明日に備えて眠りについた。




(第二部 完)




第三部以降へ続く——

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