第七章「消毒という革命」

「床屋・神楽」の名声が高まるにつれ、一つの問題が浮き彫りになってきた。


穢れは「感染する」のだ。


「神楽さん、これ見てください」


蒸野が予約帳を広げた。そこには、同じ村から来た患者の名前が並んでいる。


「この村、先月は二人だったのに、今月は十五人も予約してきてます」


「増えてるな」


「しかも、最初に来た二人の家族とか、近所の人ばっかりなんですよ。穢れって、伝染するんじゃないですか」


一刀は眉をひそめた。


「可能性はある。穢れ人——暴走状態の感染者——に襲われた者が穢れを発症するという話は聞いていた。だが、日常的な接触でも感染するとすれば……」


「大問題ですよね」


「ああ。いくら俺たちが穢れを祓っても、また感染するなら、きりがない」


一刀は店を出て、村長の家を訪ねた。


「理容師殿、何かありましたか」


「聞きたいことがある。穢れは人から人へ移るのか?」


村長の表情が曇った。


「……移る、と言われています。ただ、はっきりとはわかりません。千年前から、穢れの仕組みを研究することは禁じられていましたから」


「禁じられている?」


「清浄師ギルドの教えです。『穢れは神罰である。その仕組みを知ろうとすることは、神への冒涜である』と」


一刀は舌打ちした。


「都合のいい話だな」


「我々も疑問に思わないわけではありません。しかし、ギルドに逆らえば……」


「わかっている。ただ、俺は逆らうつもりだ」


一刀は村長の目を見た。


「穢れが感染するメカニズムを解明する。そして、予防する方法を見つける。それがなければ、いくら祓っても根本的な解決にはならない」


「……できるのですか」


「やってみなければわからない。ただ、俺の世界では、感染症——人から人へ移る病気——を防ぐ方法が確立されている。その知識が、この世界でも通用するかもしれない」


村長は深く息を吐いた。


「協力しましょう。我々にできることがあれば、何でも言ってください」


「ありがとう。まず、村人に聞き取りをしたい。穢れを発症した時期、直前に接触した人物、症状の進行——情報を集めることから始める」


聞き取り調査の結果は、一刀の推測を裏付けた。


穢れは、明らかに「感染」していた。


最初に発症した者の家族、友人、隣人——物理的に近い関係の者から順に、穢れが広がっている。しかも、ある種のパターンがあった。


「髪や髭に触れたことがある人が、発症しやすい」


一刀は記録を見ながら呟いた。


「つまり、直接接触で移るってことですか?」


ハジメが聞いた。


「おそらく。穢れは髪や髭に宿る。その髪や髭に触れた者に、穢れが移る。感染経路としては理に適っている」


「じゃあ、髪を触らなければ移らない?」


「単純にそうとは言えないが……少なくとも、接触を減らすことで感染リスクを下げられる可能性はある」


一刀は考えを整理した。


「俺の世界では、感染症を防ぐために『消毒』という概念がある。病原体——病気の原因となる微生物——を殺すことで、感染を防ぐ」


「穢れにも、それが効くんですか?」


「試してみる価値はある」


翌日から、一刀は実験を始めた。


まず、穢れた髪のサンプルを集めた。施術で切り落とした髪を、消毒液に浸ける。エタノール、煮沸、日光——様々な方法を試した。


結果は驚くべきものだった。


「消毒液に浸けた髪から、穢れが消えている……」


エタノールに浸けた髪からは、黒い霧が完全に消失していた。煮沸した髪も同様。日光に当てた髪は、効果が緩やかだったが、長時間晒すことで穢れが薄まった。


「つまり、穢れは消毒で除去できるんですね」


蒸野が興奮した様子で言った。


「少なくとも、髪についた穢れは除去できる。問題は、人体についた穢れだ」


「人体に消毒液をかけるわけにはいかないですもんね」


「ああ。だが、道具の消毒を徹底すれば、施術中の二次感染を防げる。それに——」


一刀は村長を呼んだ。


「村人に、手洗いを徹底させたい」


「手洗い……?」


「手についた穢れを、石鹸と水で洗い流す。それだけで、感染リスクを大幅に下げられるはずだ」


「しかし、穢れは目に見えません。手についているかどうか——」


「見えなくても、ついている。穢れに触れた者の手には、必ず微量の穢れが付着している。それを放置すれば、顔に触れたときに髪や髭に移る」


村長は半信半疑の様子だったが、一刀の言葉には説得力があった。


「……やってみましょう」


一刀は村の中央広場で、公開講習を行った。


「いいか、手の洗い方を教える」


集まった村人たちに、一刀は実演してみせた。


「まず、流水で手を濡らす。石鹸を手のひらに取り、泡立てる。指の間、爪の先、手首まで、しっかりと擦り合わせる。最低でも二十秒。その後、流水で完全に洗い流す」


村人たちは戸惑いながらも、一刀の指示に従った。


「これを、食事の前、穢れた者に触れた後、外から帰ったときに必ず行え。それだけで、穢れの感染を防げる」


「本当ですか……?」


「保証はできない。だが、やらないよりはましだ」


講習は一時間ほどで終わった。村人たちの反応は様々だったが、少なくとも興味を持った者は多かった。


「神楽さん、これって革命的なことじゃないですか」


帰り道、蒸野が言った。


「大げさだ」


「大げさじゃないですよ。千年間、誰も思いつかなかったんですから。手を洗うだけで病気を防げるなんて」


「俺の世界では、十九世紀に確立された常識だ。二百年近く前の話だぞ」


「でも、この世界にはなかった。神楽さんがもたらした新しい知識なんですよ」


一刀は黙って歩き続けた。


確かに、自分がやっていることは、この世界にとっては「革命」かもしれない。公衆衛生という概念を持ち込み、清潔の価値を伝えている。だが——


「俺は医者じゃない。科学者でもない。ただの理容師だ」


「ただの理容師が、世界を変えようとしてるんです」


蒸野は微笑んだ。


「すごいことですよ、神楽さん」


一刀は答えなかった。だが、胸の奥で何かが熱くなるのを感じていた。


その夜、清浄師ギルドからの使者が再び現れた。


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