第四章「穢れの世界」

清浄師ギルドの使者たちは、一刀の言葉に困惑した表情を浮かべた。


「詭弁だ。髪を切り、髭を剃ることで穢れが祓われている。それは浄化行為以外の何物でもない」


「結果的にそうなっているだけだ。俺の目的は、客を清潔にすること。穢れがどうこうなんて、知ったことじゃない」


使者の顔が歪んだ。彼らにとって、一刀のような存在は想定外なのだろう。この世界では「穢れを祓う」ことが特権であり、ビジネスであり、支配の道具でもある。それを無関係の人間が、無料で、誰に対しても行っているのだ。


「屁理屈を並べても無駄だ。ギルドの許可なく浄化行為を行うことは、王国法で禁じられている」


「その法律は、この世界のものだろう」


一刀は剃刀を仕舞った。


「俺はこの世界の人間じゃない。お前たちの法律に従う義務はない」


使者たちがどよめいた。一刀の言葉の意味を、すぐには理解できなかったようだ。


「何を……馬鹿なことを」


「信じなくてもいい。ただ、俺はこの店で仕事を続ける。客が来る限り、髪を切り、髭を剃る。それを止める権利は、誰にもない」


使者の目が危険な光を帯びた。杖を構え、何かを唱えようとする。


その時だった。


「待ってください!」


村人たちが店の前に集まってきた。ミナを先頭に、一刀に穢れを祓ってもらった人々が、壁を作るように立ちはだかった。


「この人は俺たちの恩人だ。連れて行かせない」


「俺の息子を救ってくれた!」


「清浄師なんかに払えない金を、この人は求めなかった!」


使者は舌打ちをした。


「愚かな農民どもが。いいだろう、今日のところは引き上げる。だが覚えておけ——ギルドを敵に回した者に、安らぎはないぞ」


黒い法衣の一団は、不穏な空気を残して去っていった。


村人たちが安堵のため息をつく中、一刀は店の中に戻った。蒸野とハジメが心配そうな顔で待っていた。


「大丈夫ですか、神楽さん」


「ああ。ただ、面倒なことになったな」


一刀は理容椅子に座り、目を閉じた。


「清浄師ギルドか……あいつらは何者なんだ」


「村長さんに聞いてきましょうか?」


「頼む」


ハジメが飛び出していった後、蒸野が隣に座った。


「神楽さん、怖くないんですか?」


「何が」


「あんな人たちに睨まれて。この世界の権力者みたいじゃないですか」


一刀は目を開けた。


「怖いさ。でも、怖いからって仕事をやめる理由にはならない」


「……かっこいいですね」


「茶化すな」


「茶化してないですよ。本心です」


夕方、ハジメが村長を連れて戻ってきた。白髪の老人は、深刻な表情で店内を見回した。


「理容師殿、話を聞かせてほしい」


「俺からも聞きたいことがある」


二人は待合のソファに向かい合って座った。蒸野がお茶を出し、ハジメは少し離れた場所で聞き耳を立てている。


「まず、清浄師ギルドについて教えてくれ」


村長は重々しく頷いた。


「清浄師ギルドは、この王国で唯一、穢れを祓うことを許された組織だ。千年前、理容神が消えた後に設立された」


「千年前……」


「理容神は全ての民に清潔をもたらしていた。髪を切り、髭を剃り、身体を清める術を授けていたという。だが神が消え、その術は失われた。残ったのは、神の教えの一部を継承したという清浄師たちだけだ」


「一部?」


「清浄師の術は、理容神の技とは似て非なるものらしい。完全に穢れを祓うことはできず、一時的に抑え込むだけ。しかも高額な対価を要求する。金のない者は、穢れに苦しむしかない」


一刀は腕を組んだ。


「つまり、清浄師ギルドは穢れを完全に解決する気がないんだな」


「そうだ。穢れがなくなれば、ギルドの存在意義が失われる。彼らは穢れを『管理』することで、王国に影響力を持っている」


「……救いようがないな」


「だからこそ、あなたの出現は彼らにとって脅威なのだ。穢れを完全に祓い、しかも対価を求めない。ギルドのビジネスモデルを根底から覆す存在だ」


村長は一刀の目を見た。


「理容師殿。あなたは一体、何者なのだ」


一刀は少し考えてから、正直に答えることにした。


「俺は別の世界から来た。この店ごと、突然ここに飛ばされた」


「別の世界……」


「俺の世界では、理容——髪を切り、髭を剃ることは、誰でもできる当たり前の技術だ。特別な力でも何でもない」


村長の目が大きく見開かれた。


「では、あなたの世界には穢れがないのか」


「穢れ? 髪や髭に邪気が溜まるなんて現象は存在しない。ただ、清潔を保つことは重要視されている。公衆衛生という概念があってな」


「こうしゅう……えいせい?」


「社会全体の健康を守るための考え方だ。病気の感染を防ぐために、身体や環境を清潔に保つ」


村長は深く息を吐いた。


「信じられない話だが……あなたが穢れを祓っている事実は、この目で見た。別世界からの来訪者という説明以外に、理容の技を持つ者が突然現れた理由がつかない」


「俺自身、まだ状況を把握しきれていない。なぜここに来たのか、どうすれば帰れるのか——何もわからない」


「ならば」


村長は立ち上がった。


「しばらくこの村にいてくれないか。あなたの技術は、我々の希望だ。清浄師ギルドが何を言おうと、村人たちはあなたを守る」


一刀は少し迷った後、頷いた。


「……世話になる」


その夜、三人は店の奥で食事をとった。村人たちが差し入れてくれた野菜のスープと、黒パン。この世界の食事は質素だが、不味くはなかった。


「清浄師ギルドって、要するに既得権益ってやつですよね」


蒸野がパンをちぎりながら言った。


「穢れを独占して、金持ちだけに解決策を売る。最低じゃないですか」


「最低かどうかはともかく、彼らがこの世界の秩序を握っているのは事実だ」


「でも神楽さんが全部ひっくり返せますよね? 誰でも穢れを祓えるようになったら、ギルドなんて必要なくなる」


「そう単純じゃない」


一刀はスープを啜った。


「俺一人で、この世界中の穢れを祓えるわけがない。村人に技術を教えようとしたが、剃刀の扱いは素人には危険すぎる。それに、道具も消耗品も限りがある」


「じゃあどうするんですか」


「わからない。今は、目の前の客を一人ずつ綺麗にすることしかできない」


ハジメがおずおずと口を開いた。


「あの、神楽さん」


「なんだ」


「俺、思うんですけど……この世界で理容師を育てればいいんじゃないですか?」


一刀は箸を止めた。


「育てる?」


「はい。神楽さん一人じゃ限界があるなら、弟子を取ればいい。俺も……俺ももっと勉強して、早くちゃんとした理容師になりたいです」


「……お前、まだ資格もないだろう」


「資格って、こっちの世界にはないんですよね。だったら——」


「駄目だ」


一刀は厳しい声で遮った。


「資格があるかないかの問題じゃない。技術が未熟なまま客に触れれば、怪我をさせる可能性がある。穢れを祓えたとしても、肌を傷つけたら意味がない」


「……すみません」


「謝るな。お前の気持ちはわかる。だが、焦っても何もいいことはない。まずは基礎を固めろ」


ハジメは俯いたまま頷いた。一刀はその様子を見て、少しだけ口調を和らげた。


「お前が一人前になるまで、俺が教える。それまでは——」


「はい」


「タオルの管理を任せる。消毒も、お前に任せていいか」


ハジメの顔が上がった。


「……いいんですか」


「衛生管理は理容師の基本だ。施術ができなくても、それ以外の仕事で店を支えることはできる。お前にはその役割を果たしてもらいたい」


「はい! ありがとうございます!」


ハジメの目に光が戻った。蒸野が微笑みながら言った。


「私も何かできることありますか?」


「シャンプーの練習を続けてくれ。それから、客の応対——予約の管理とか、待っている人の対応とか」


「了解です! レセプショニストってやつですね」


「レセプ……まあ、そんなところだ」


こうして、「床屋・神楽」の異世界営業が本格的に始まった。


一刀は技術者として施術を行い、蒸野はシャンプーと接客を担当し、ハジメは衛生管理と器具の準備を担う。限られた資源、敵対的な権力、未知の世界——課題は山積みだったが、三人は確実に前に進んでいた。


穢れに苦しむ人々が、次々と店を訪れる。


一刀は一人ずつ、丁寧に、確実に、彼らを救っていった。


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