第3話 塔での生活~ペンと剣~

ノブレスが塔に来て、三日目の朝。


身体の痛みはほとんど消え

冷え切った水に落ちた後遺症もなく、

呼吸も、思考も、ようやく自分のものとして整ってきている。


(…この世界でわしは生きている)


そう思えたこと自体が、

この世界を“受け入れ始めている”証だった。


「こちらです」


侍女ミレイナに案内され、

ノブレスは塔の内部を歩いた。


石造りの内壁は、

ところどころ漆喰が剥がれ、

下地の石がむき出しになっている。


補修の跡はあるが、丁寧とは言い難い。


(もう春であるというのに…ここは冬になれば、地獄だな)


指で触れれば分かる。

壁の隙間は、確実に冷気を通す。


エリシアはここで既に4か月も過ごしている。


階段は狭く、踊り場も少ない。

防御のためではない。

“長居させない”ための構造だ。


中庭に出ると、ようやく空が見えた。


だが―

警備は、過剰なほどに整えられている。


南門に二人。

塔の正面入口に一人。


交代の時間も正確で、

視線が切れる瞬間がない。


(……逃がす気など、さらさらない)


そう、ここは居住区ではない。

管理施設なのだ。


ミレイナは足を止め、

事務的な口調でこの塔での仕事について説明を始めた。


「ノブレスさんの役目をお伝えします」


「水は井戸からくんで運んでください」

「洗濯は中庭で行います」

「食事は私が用意しますが、配膳と後片付けはあなたのお仕事です」


淡々と、しかし漏れなく。


「塔内の掃除、簡単な修繕」

「庭の草刈りもお願いします」


ノブレスは頷きながら聞いていた。


(人手不足というより……最小限だな)


「それと……塔での生活について、簡単な報告書記録を提出します」

「毎日の体調や、変わったことがなかったかをまとめてそれを、私が門番へ渡す決まりですので、なにかあれば私に報告してください」


一通りの説明を受け

ノブレスは塔を見渡した。


(……王女が暮らす場所ではないな)


口には出さない。

だが、内心でははっきりしていた。


ミレイナは、その視線を察したのか、

申し訳なさそうに眉を寄せた。


「本来、殿下は王城でお暮らしになるはずでした」


一拍。


「ですがエリシア様の父でもあった前王アーリウス様が亡くなり、

姉君のライザ様が即位なさってから……」

言葉を選ぶように、続ける。


「殿下は、この塔へ送られました」

「“謀反の疑い”で」


ノブレスの目が、わずかに細くなる。


ミレイナは嘆くように呟いた

「母親は違っても実の姉妹でこのような仕打ちを行うなんて…」


ノブレスの頭に一人の人物が浮かんだ。

自身に対して謀反を企てた、自身の手で討たねばならなかった弟の顔。

あの夜の記憶が、胸を刺した。


(権力とは一夜で成り立つものではない)

(王を支える者の中にエリシアを邪魔だと考える人間がいるな)


政敵として。

血を分けた存在として。


複雑な感情が、

胸の底で、静かにうずいた。


ノブレスは、それ以上何も言わなかった。


代わりに、

黙々と仕事に取り掛かった。


壊れかけた棚を直し、

水汲みの動線を整理し、

中庭の無駄な段差を埋める。


「まずは、流れを整える」


構造を理解し、

繋がりを見つけ、

小さな改善を積み重ねる。


それは、

かつて城を作り、国を動かした男の癖だった。


ノブレスがここにきて1週間がたった頃。

ミレイナは、目を丸くしている。


「ノブレスさん……」

「すごい、どんどん生活が楽になります……!」

「水運びも、掃除も、半分の時間で終わるなんて……」


ノブレスは、当たり前と言わんばかりに答える。


「大切なのは、構造と繋がりを理解することです」

「あとは……ひたすら試して、失敗すれば考えこの繰り返しを止めないだけです」


エリシアは、

そのやり取りを静かに見ていた。


そして、小さく頷く。


「何事も、試してみる……」

「考えを止めない。素晴らしいことですね」

「私も、見習わなくては」


その言葉には、

王女としてではなく、

一人の学ぶ者としての響きがあった。

誰からでも学ぼうとする眼差し。


それを見た瞬間、

ノブレスの胸はふとざわめいた。


(…危ういな)


(だが――)


(この未完成さは、光にもなりうる)


かつての王の挑戦は完成間近で絶たれた。

天下とは程遠いこの塔で、

ノブレスはこの国を変える

“芽”を見つけていた。


「王とはペンと剣を制する者です」


ミレイナは、机の脇に立ちながら二人を見ていた。


朝の光が塔の窓から差し込み、

古い書物の紙面を淡く照らしている。


王女エリシアは椅子に座り、

背筋を伸ばし、真剣な表情で文字を追っている。

その向かいに立つのが、ノブレス。


彼は椅子に座らない。

歩き、止まり、考えながら話す。


まるで――

部屋そのものを盤上に見立てているかのようだった。


「この条文は、曖昧すぎます」


ノブレスの声は低く、迷いがない。


「“王は秩序を守る責務を負う”とあるが、

 秩序とは何だ? 誰が定義する?」


エリシアはすぐに顔を上げた。


「だからこそ、議論が必要なのです」

「一人の判断で決めてしまえば、それは専制・独裁になります」


ノブレスは即座に返す。


「しかし議論が整う前に、国は割れる」


一瞬の間も置かない。


「敵は、理想が成熟するのを待ってはくれない」


ミレイナは、無意識にペンを握りしめていた。


(…ノブレスさんは時折、王のようなものの言い方をする)


言っていることは、分かる。

正しいのかもしれない。


だが、そこには――

人が迷う余地がない。


しかし若い王女エリシアは、怯まなかった。


「では、問います」


静かだが、はっきりとした声。


「もしその“正しい秩序”が、人の心を壊すものだったら?」

「それでも、王はそれを選ぶべきですか?」


ノブレスは立ち止まり、

一瞬だけエリシアを見る。


「選ぶべきです」


(即答だよ)

ミレイナは目を伏せる。


「国は、人の集合体です」

「一部が壊れても、全体が生き残るなら、それが最善だということです」


ミレイナの胸が、きゅっと締めつけられる。


(……そんなふうに、割り切れるものなの?)


エリシアは、ペンを置いた。


「私は……そうは思いません」


声は震えていない。


(さすがエリシア様、折れない)

ミレイナには、そう見えた。


「人の心を壊して作った国は、

 いつか、必ず別の形で壊れます」


ノブレスは、それは違うと言いたげに乗り出そうとした。


「……あの〜」


思わず、ミレイナは口を挟んでいた。


二人が同時にこちらを見る。


「私にも……この勉学は、必要なのでしょうか?」


彼女にとっては正直な疑問だった。


文字は苦手だ。

考えるのも、正直、疲れる。

自分の仕事に求められている技術とはかけ離れている。


エリシアは即座に答えた。


「ええ必要です!」


少し身を乗り出して


「学ぶことは、自分を守る力になるわ」


ノブレスは別の考えを述べる。


「必要になる人とならない人がいます」

「あなたがどのような人になりたいかによって決まります」

「ただ決して無駄にはならないし、武器になります」


ミレイナは、肩を落とした。


「……今は、その武器で頭を叩かれている気分です」


エリシアが苦笑する。

ノブレスは呆れたような顔をしていた。


午後はいつも中庭で体の鍛錬を行う。

この塔の生活だけでは運動が不足する。


木剣を手に、エリシアが構える。


その姿は美しかった。


背筋はまっすぐ、

足運びは正確、

型は寸分の狂いもない。


(綺麗……)


ミレイナは、思わず息を呑む。


一方、ノブレス。


構えがない。

重心も定まらず、

どこを狙っているのか分からない。


(……本当に剣を習ったの?)


相対する二人、一呼吸おいた次の瞬間。


木剣がぶつかる


乾いた音が鳴る。

一度、二度。


そして――


エリシアの剣が弾かれ、

彼女は一歩、後退した。


「……え?」


ミレイナの声が漏れる。


型は完璧だった。

なのに、負けた。


ノブレスは、淡々と言う。


「今ので、あなたは死んでいます」


エリシアは悔しそうに唇を噛む。


「基本の型を学ぶことはとても重要です」

「しかしその型に囚われると相手に読まれやすくなる」

「いかに基本を崩して自分の型にするか」


エリシアは良い意味でも悪い意味でも“優秀”なのだ


「そしていいですか-」

「剣術は、あくまで生き残るための一つの手段でしかない」

「生き残れば、汚くても崩れていても問題ないのです」


ノブレスは自身の経験から導いた答えを伝えた。

とにかく生きてさえいれば、再起の機会は巡ってくるのだ。


ミレイナは、混乱していた。


(綺麗な方が、強いんじゃないの?)

(正しい型の方が、勝つんじゃないの?)


だが、目の前の現実は違った。


ノブレスは軽い口調で言った。

「ミレイナさんも一戦やりますか?」


ミレイナは天を仰ぎ呟いた

「その生き残るための練習で死んでしまいます。」



今日も一日が終わる。


ミレイナはいつもの報告書を前に悩む


「本日の体調と、変わったことは?」

「考え、思想の衝突…」


(これは……書いてはいけない気がした)


ミレイナは一瞬、迷って

やがて当たり障りのない言葉に書き換えた。


―「学びあり。特記事項なし」


塔の明かりが落ちて月明かりがその代わりを務めた。


――

ノブレスは一人、壁にもたれかかる。

エリシアまだ未熟だ。


理想というの湖の中で溺れている。


(……未熟なのは、わしも同じか)


あの夜に燃えた天下を掴めなかった答えを、

ノブレスは探している。


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