第2話 異端の火と囚われの王女
「神よ!どうか私をお救いください!」
火は、準備されていた。
杭はすでに地面に打ち込まれ、
縄は何度も張り替えられた痕があり、
薪は乾ききっている。
―ここは、初めてではない。
縛られているのは二人。
男と女。
年齢も、身なりも、揃っていない。
髪は剃り上げられ
目は隠されている
共通しているのはただ一つ。
「異端者管理法に基づき、裁かれた」
それだけだった。
⸻
群衆は集まっていた。
だが、興奮している者は少ない。
祭りではない。
怒りの爆発でもない。
これは―
「日常」だった。
子どもを連れた母親。
商人。
兵。
祈りを捧げながら目を伏せる老人。
誰もが、この光景を知っている。
そして、知っているからこそ、深く関わらない。
法衣をまとった審問官が、一歩前に出た。
その顔は覆われている。
表情は、見えない。
だが、声はよく通った。
「異端者管理法第七条に基づき―」
群衆のざわめきが、ぴたりと止まる。
誰もが、その文言を知っていた。
「神の教義を逸脱する思想の流布」
「旧教教会の定める秩序への疑義」
「未承認の解釈、または沈黙による抵抗」
「大陸旧教教会、教皇様のゆるぎない権威への反逆」
それらはいずれも、
“行為”ではない。
言葉。
考え。
態度。
あるいは――
何も語らなかったこと。
「被告人は、悔い改めの機会を与えられた」
審問官の声は、淡々としている。
「しかし、悔い改めは拒否された」
男が、かすれた声で叫んだ。
「何も拒否していない……!」
喉が焼けたような声だった。
「私は……ただ……神の在り方について問いを……」
最後まで言わせなかった。
審問官が、静かに手を上げる。
「――異端者管理法において」
その声が、場を支配する。
「神への問いは、それ自体が罪だ」
その瞬間、
群衆の中から、誰かが息を呑む音がした。
⸻
異端者管理法は、
信仰を守るための法律だと説明されている。
旧教と新教、
相争う教義を整理し、
「正しい信仰」を定め、
民を迷いから救うための制度。
少なくとも、
文書の上ではそうなっている。
だが、現実は違う。
この法は、
「何を信じるか」では裁かない。
「何を考えたか」
「何を疑ったか」
「どこまで沈黙したか」
それを裁く。
だからこそ、
誰もが当事者になりうる。
だからこそ、
誰もが口を閉ざす。
⸻
女が、祈るように言った。
「主よ……私は、あなたを信じています……」
涙で濡れた頬。
震える唇。
だが、その祈りは、
審問官の耳には届かない。
信仰は、問題ではないからだ。
問題なのは、
彼女が教会の承認を経ずに祈ったこと。
問題なのは、
彼女が誰かに教えたこと。
問題なのは、
彼女が考え、語ったこと。
審問官は告げる。
「異端者管理法第十二条」
火を持つ兵が、前へ出る。
「悔い改めを拒否した者は、
その思想が拡散する前に、
速やかに“浄化”されねばならぬ」
火が、投げ込まれた。
⸻
炎は、一気に広がった。
薪が爆ぜ、
油が燃え、
悲鳴が空を裂く。
叫び。
祈り。
言葉にならない音。
だが、それは長く続かない。
この処刑は、
苦しみを長引かせないよう設計されている。
慈悲ではない。効率だ。
やがて、
声は途切れ、
身体は崩れ、
煙だけが残る。
群衆は、動かない。
誰も拍手しない。
誰も歓声を上げない。
ただ、
「終わった」ことを確認する。
⸻
審問官は、最後に宣言する。
「秩序は守られた」
その言葉に、
反論はない。
反論できないのではない。
反論する必要がないように、
この世界は作られている。
誰もが知っている。
――考えなければ、裁かれない。
――語らなければ、疑われない。
――疑われなければ、生きていける。
異端者管理法とは、
剣でも、炎でもない。
沈黙を選ばせるための法だ。
⸻
灰だけが残った。
兵がそれを集め、
地面に撒く。
土と混ざり、
やがて見えなくなる。
まるで、
最初から何もなかったかのように。
人々は散っていく。
市場へ。
家へ。
祈りの場へ。
そして、今日もまた、
誰も考えず声を上げない
一日が無事に守られた。
⸻
-塔の王女エリシア
朝の空気はまだひんやりとしていた。
それでも道端では、柔らかな色が静かに増え始めている。
塔は、音を拒む場所だった。
湖から吹き上げる風が外壁に沿って流れるだけで、中へはほとんど届かない。
鳥も寄りつかず、鐘の音も、遠くで曖昧に途切れる。
まるで――
世界から切り離されるために建てられた建造物だった。
⸻
……温かい。
柔らかな布の感触。
薬草の香り。
目を開くと、白い天井と古い木梁があった。
――ここはあの塔だ。
「よかった……目を覚まされたのですね」
振り向く。
金の髪を束ねた少女が、安堵の笑みを浮かべていた。
青い瞳は涙ぐみ、光を受けて赤く揺れている。
(……こやつ、異人?いやここではわしが異人であるか)
「塔に来たと同時にあなたは気を失ったのです」
「王女の世話係として来てくださったノブレス・オーダーさんですね?」
頭痛とともに、二つの記憶が完全に重なった。
「はい、そのようです」
声を出したとき、自分の声が思っていたよりも若いことに気づく。
(なるほど……わしは、信長でありノブレスでもある。意識がこの身体で溶け合った)
二人の記憶が少しづつ繋がっていく。
青年は息を整え、問いかけた。
「ご迷惑をおかけしました。怪我の治療、感謝致します」
ノブレスは深々と首を垂れたが、すぐに顔を上げ、質問を投げかける。
「今日は…私はどれくらい寝ていたのですか」
少女は指を数えて答える
「まる3日ほど眠っていました。」
ノブレスは自分の体をみてつぶやいた
「本能寺で朽ち果てるものと思ったが…」
(天はわしに機会を与えた)
「申し訳ございません。ここには仕事で来たはずなのに、2日もお世話になってしまうなんて」
少女は両手をふりノブレスを気遣った
「困ったときはお互い様です!」
ノブレスは質問を続けた
「ここは王女幽閉の塔と伺っています」
「私が仕える王女とは、どのような方なのですか?」
少女は一瞬だけ目を瞬き、微笑んだ。
「それを知りたいのですね?」
彼女がおもむろに一礼をすると金色の髪は日の光を反射してあたり光の粒をまいた。
「アルビオン王国第二王女、
エリシア・レイヴンスフェルと申します」
ノブレスは、すぐに体勢を改めて深く頭を下げた。
「……お初にお目にかかります、エリシア王女殿下」
⸻
ノブレスは、部屋を見渡した。
質素だが、粗末ではない。
寝台は清潔で、書架には本が並び、
窓は小さいが、鉄格子はない。
(牢ではないな)
だが――
扉の向こうから聞こえる足音は、
一定の間隔で、規則正しい。
見張りだ。
「……随分、静かな場所ですね」
ノブレスがそう言うと、
エリシアは少しだけ笑った。
「はい。とても静かです」
その言葉は、
誇らしげでも、皮肉でもない。
ただ、受け入れている声音だった。
「朝と夜の区別が、少し曖昧になります」
「鐘の音が、遠いですから」
ノブレスは、何気なく尋ねる。
「外へ出られることは?」
エリシアは、首を横に振った。
「塔の中と、中庭だけです」
「湖のほとりは……許可がありません」
その言い方は、
禁止ではなく、管理だった。
(閉じ込められている、というより――
“置かれている”)
ノブレスは、胸の奥でそう整理する。
⸻
侍女――ミレイナが、
薬湯を持って部屋へ入ってきた。
彼女はエリシアに一礼し、
それからノブレスをちらりと見る。
警戒。
だが、敵意ではない。
「……新しい侍従、世話係の方ですね」
「ノブレス・オーダーです」
「そう……」
ミレイナは、少し言葉を選ぶように続けた。
「ここでは、余計なことは考えず、
決められた役目をしっかりと果たしてください」
それは忠告だった。
そして同時に――
守りでもあった。
ノブレスは、ゆっくり頷く。
「はい、心得ました」
ミレイナはノブレスの目を見て言う。
「姫様があなたを助けると言わなければ
あなたは死んでいたのよ」
エリシアはミレイナを嗜める
「ミレイナ怪我人に対して失礼です」
ノブレスは理解した
この侍女は姫君の身を案じているのだ
「……そうですか」
「危険を犯してまで私を助けていただいたこと、改めて心より感謝致します。」
ミレイナの表情が、ほんのわずかに和らぐ。
「わかったのならいいの……」
「まあ、ここはあまり居心地の良い場所ではありませんが」
その続きを、
彼女は口にしなかった。
⸻
ミレイナが部屋を出た後、
再び、静寂が戻る。
エリシアは、窓辺に立った。
「ノブレスさん」
「あなたは……ここを不思議に思っていますね?」
ノブレスは否定しなかった。
「はい」
「なぜここに私がいるのか、理由を知りたいですか?」
一瞬、問いが宙に浮く。
ノブレスは、少し考え、
首を横に振った。
「今は必要ありません」
それは、計算ではなかった。
直感だった。
今、聞くべきではない。
エリシアは、少し驚いたように目を瞬き、
それから、穏やかに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その言葉には、
安堵と、試すような響きが混じっていた。
⸻
ノブレスは、その笑顔を見て思う。
(この王女は、無知ではない)
(だが、力もない)
そして――
(この塔は、処刑を待つ場所ではない)
(“王女を皆から忘れさせる”ための場所だ)
信長として生きた記憶が、
静かに警鐘を鳴らす。
権力とは、
直接殺さずとも、存在を薄める事が得意だ。
ノブレスは、深く息を吸った。
(なるほどな)
ここは、監獄ではない。
だが――
この塔は、国の歪みそのものだ
そして自分は、
その渦の中心に、
偶然、落ちてきた。
エリシアは、空を見上げて言った。
「……今日は、風が穏やかですね」
その言葉の裏に、
何があるのかは、まだ分からない。
だがノブレスは、
確信に近い感覚を抱いていた。
平穏でこの塔の生活を終える事はないことを。
その運命の歯車の噛み合わせを
見定め始めただけだった。
天下を失った男の目で。
⸻
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