第2話 深夜の第12レース



​ ドタタタタタタッ!!


​ リビングのフローリングを蹴る音が、深夜の静寂を切り裂く。

 それは、体重六キロの小動物が出す音ではない。まるで蹄鉄ていてつを打ち付けたかのような、重低音の響きだ。

ゴルシの「ロングスパート」が始まってしまったのだ。


​「待って! そっちはお父さんの大事なプラモが……ああっ!」


​ ゴルシは食卓の椅子を巧みに障害物として利用し、テーブルの上へと跳躍。

そこに置いてあったティッシュ箱を前脚で豪快になぎ払うと、そのままドリフト走行で廊下へと突っ走っていく。


 速い、あまりにも速い。


 普通の猫なら、もっとこう、しなやかで優雅に走るはずだ。

だがゴルシの走りは、筋肉の塊が弾丸となって突き進むような、圧倒的な「パワー」を感じさせる。

 

 私は必死でその後を追った。


 いま彼が廊下で加速すればするほど、太平洋上の低気圧は勢力を増し、台風へと成長してしまう。

明日の遠足が、暴風雨で吹き飛んでしまう!


​「お願い止まって! 高級カリカリあげるから! またたびの粉もつけるからぁっ!」


​ 私の悲痛な叫びも、今の彼には届かない。

 スイッチの入ったゴルシは、誰にも止められないのだ。

 廊下の突き当たりで、彼は壁を蹴って三角跳びを見せ、空中で反転した。その目は爛々らんらんと輝き、どこか狂気じみた愉悦ゆえつを浮かべている。


 ……こっちへ来る。


 私は覚悟を決めた。ここで私が身をていして彼を止めなければ、明日のオグリくんとのランチデートは夢の藻屑もくずと消える。


​「ここから先は通さないっ!」


​ 私は廊下の真ん中で両手を広げ、ゴールキーパーのように立ちはだかった。


 さあ来い、ゴルシ。私の愛(タックル)で受け止めてやる!


​ ゴルシが猛スピードで突っ込んでくる。


 衝突の直前、彼は減速するどころか、さらに加速したように見えた。


 そして、私の目の前で高く跳躍する。


 まるで重力を無視したかのような滞空時間。


 空中で体をひねり、後ろ足を揃えて私のみぞおちを目がけて突き出す、そのフォームは……


​(まさか……あれは……!?)


​ 私は戦慄した。あれは私がこっそり名付けた、ゴルシ最大の必殺技。


​「究極・ネコキィィィィィィク!!」


​ ドゴォッ!!


​ 鈍い音が廊下に響いた。


 ゴルシの両足は見事に私のみぞおちにクリーンヒットし、その反動を利用して彼は優雅に宙返りを決めて着地した。


「ぐふっ……!!」


 私は声にならない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。


 猫キックと言えば、普通は抱きついて後ろ足でケリケリする可愛いアレを想像するだろう。


 だが、ゴルシのは違う。


 プロレスラー顔負けの、純度100%のドロップキックだ。

 

 薄れゆく意識の中で、私は見た。

 一仕事終えたゴルシが、憑き物が落ちたように「スンッ」と真顔に戻る瞬間を。


 彼は倒れている私の腹を踏み台にして乗り越えると、私の部屋へとスタスタ歩いていく。

そして、私のベッドのど真ん中を陣取り、満足げに丸まった。

 

「……く、うぅ……」


​ 私は震える手でスマホを取り出し、天気予報アプリを開いた。

 画面上の『暴風雨』のマークが、点滅して消えていく。

 代わりに表示されたのは、『曇り時々晴れ』のマーク。


​「たっ、耐え……た……」


​ みぞおちの激痛と引き換えに、私は明日の遠足を守り抜いたのだ。


 ありがとう、私。さようなら、私の安眠。


 私はゴルシが占領するベッドの端っこに這い上がり、泥のように眠りに落ちた。


 まだこの先に、さらなる悲劇が待ち受けているとも知らずに。



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