「あめくん」と「ごきげんよう」──その言葉は、機嫌を直すための言葉でなく

風波野ナオ

参観日の雨と、ひとつの言葉


  雨の日になると思い出すひとつの言葉があります。

 ごきげんよう。

 たった六文字のその言葉を、私はずっと嘘のように思っていました。



     ◇



 小学二年生の参観日のことでした。

 その日は雨で、母が見に来ていました。

 教室の後ろに並んだ保護者たちの中にその姿を見つけて、私は少し背筋を伸ばしました。


 教科は、国語。「あめくん」というお話の授業でした。



 このお話は、雨を擬人化したあめくんの童話でした。


 静かな音を立てて降りはじめたあめくんは、自動車や馬をびしょ濡れにして喜び、どんどん勢いを増していく。


 ところが、雨合羽を着て傘をさす男の子を濡らすことが出来ない。

 あめくんは腹を立てて激しく降りながら男の子を追いかけます。


 男の子が家に入ると、あめくんは窓ガラスを叩きます。

 家の中にいる子どもたちがあめくんに声をかけますが、それでもあめくんは叩き続ける。


 けれど、小さな小さな女の子が「ごきげんよう。おやすみなさい」と言ったとたんに、あめくんの機嫌はなおって「おやすみ」と静かになる。

 そして朝になると、あめくんは遠く東へ去っていく──


 そんな話でした。


 全員で音読を終えると、先生は私たちに問いかけました。


「どうして雨くんの機嫌がなおったのでしょう。班で話し合ってみましょう」


 私は考えました。

 班の子たちが何か言い合っているのを聞きながら、ずっと考えました。


 でも、わかりませんでした。


 機嫌というものは、そう簡単に直らない。

 私は、それを知っていました。

 ……少なくとも、私の家ではそうでした。



     ◇



 私の両親は、仲が悪かった。


 母は、今思うと少し不器用な人でした。

 冷蔵庫の中に入った物を腐らせる。

 料理の味付けをよく間違える。

 変なメニューを試して、失敗する。


 そして、父は怒りっぽくて融通が効きませんでした。

 賞味期限切れを見つけると、誰の金で買ったと怒る。

 料理の味が気に入らないと、喧嘩になる。

 新たなメニューを見ると絶対に食べない。


 そして、家の中が息をひそめたみたいに静かになる。

 その空気が、私はとても嫌でした。


「お願いだから、なかよくして」


 私は幾度となくそうお願いしました。

 でも、父母共に聞いてくれませんでした。


 一度、激昂した母が荷物をまとめて出ていってしまったことがあります。

 些細な事で言い合いになり、バッグへ乱暴に荷物を詰める母。

 そして、それを無視するかのようにテレビを見ている父。

 やがて、母は力強く扉を閉めて家を飛び出しました。


 私は……耳をふさいでいました。


 数時間後、思い直したのか母は帰ってきました。

 そして、何事もなかったかのように、また日常が始まりました。

 息をひそめたように静かな日常が。


 機嫌は、結局時間がどうにかしてくれるもので、言葉では直らない。

 私はそういうものだと思っていました。



     ◇



「わかった班は、手を挙げてください」


 先生がそう言うと、教室のあちことで手が挙がりました。

 私達以外のほとんどの班が手を挙げました。


「では、答えてください」


 先生がそう言うと、みんなは声を揃えて答えました。


「女の子が『ごきげんよう』と言ったからです!」


「よく出来ました!」


 先生は、うれしそうに頷きました。


 その時、私は唖然としました。

 ごきげんよう、たったそれだけで機嫌がなおるものでしょうか。

 私が親にあれだけお願いしても、変わらなかったのに?

 そんなこと……ありえません。


「──そんなの、ありえない」


 小さな声ですが、口に出ていました。


 先生がこちらを見ました。

 私には、睨まれたように感じました。


 授業の邪魔をしないで。

 そう、言っている気がしました。



     ◇



 その後の記憶はあいまいです。


 帰ると母親から溜息混じりに嫌味を言われた気がします。

 ほとんどの子はわかっているのにどうしてあなたは──と。


 私は、お父さんとお母さんのせいだとは、言えませんでした。

 ただ途方にくれていたことを覚えています。



「ありえない」


 私の中の答えは、ずっとそうでした。



 雨の日になると私は思い出します。

 父と母の冷戦。

 参観日の教室。

 先生の睨む目と、母のため息。

 「ごきげんよう」という言葉の空々しさ。



 ご機嫌は、「ごきげんよう」では直らない。



     ◇



 ですが、それから二十年以上経って一気に考えが変わります。


 「マリア様がみてる」に出会ってしまったのです。


 その物語では、登場人物たちは挨拶として当然のように「ごきげんよう」を使います。ごく自然に、丁寧に。


 キャラクター達の関係は穏やかで、優しげで、光に満ちている(そうでない時もありましたが)。


 私は読み進めながら、ふと思いました。


 「ごきげんよう」は、機嫌をなおすための言葉でなく、ご機嫌でいてほしいという祈りではなかったか。


 あめくんの機嫌がなおったのは、あの女の子がそう素直に願ったからだ。

 直そうとしたのではなく、ただ祈った。

 あなたが、ただここにあってほしい。

 あなたと言葉を交わせることが喜びなのだと。



 小さい頃の私にはわからなかったのも当然です。

 私の家にはそんな「ごきげんよう」がなかったから。



 晴れの国と呼ばれる県に住む私は、今ではこう考えています。

 雨でも晴れでも、穏やかであってほしいと。



(了)



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