えぴそーど 〜いち〜
「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。
人生って、いろんな事のれんぞくですよね。
楽しいこともあれば、そうでない事もたくさんあります。
わたしには、それを変える事はできないけれど
少しだけよくするために
「おくり物」をひとつ、おわたしします。
よかったら受け取ってみませんか?
「ほんわか堂」
今日もふわっとあいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?
~雨と、あのひとの背中~
ある日の午後、ほんわか堂ののれんが、ふわりと揺れました。
外では、小さな雨がぽつぽつと、コンクリートを叩いています。
のれんをくぐってきたのは、スーツ姿の男の人。
肩には、たくさんの“つかれ”を乗せているように見えました。
ぬれたコートの袖から、しずくがぽたぽたと落ちて、店の床に、水たまりのような音をつくります。
けれど、男の人は、それにも気づかない様子でした。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
男の人は、重いため息をもらして座りました。
その吐息は、心の底に溜まった疲れを押し出すようでした。
ほとりはゆっくりと立ち上がり、小さな急須を手に取り、静かにお茶を淹れます。
「あなたにお出しするお茶は、雨のひとのお茶です」
男の人は、すこしだけ目を動かし、湯気の向こうを見つめました。
「……変な店ですね」
ぽつりと、つぶやきます。
ほとりは微笑みます。
「そう言われるの、すこしだけ、すきです」
男の人は、ため息のかわりに、お茶をひとくち飲みました。
今度の吐息は、ほんの少し温かさを含んでいます。
しばらくの沈黙のあと、小さな声がこぼれます。
「……なんかもう、疲れちゃって」
ほとりは、黙って、ただうなずきました。
男の人は、ぽつぽつと話しはじめます。
上司のこと、家族のこと、自分のこと。
誰にも言えなかった、言うつもりもなかった、そんな言葉たち。
ぜんぶを吐き出したあと、男の人は、目を閉じました。
ほとりは、小さなはこを棚から取り出して、なにかを取り出しました。
それは、手のひらサイズのカード。
裏には、手書きのことばが一行だけ、書かれていました。
「生きてるだけで、えらいことだと思うんです」
男の人はふっと笑いました。
「……ずるいな、その一言」
そして、何も言わずカードをポケットに入れ、店を出ました。
***
次の朝、満員電車のなかで男の人はポケットに手を入れました。
昨日のカードが、指先にふれました。
次の瞬間、彼はそっと立ち上がって、前にいたおばあさんに席をゆずりました。
「ありがとう」
その言葉に、男の人は、小さく、小さく笑いました。
***
そのころ、ほんわか堂では──
ほとりが、いつものように急須を洗いながら、ぽつりとつぶやいていました。
「きょうも、だれかが すこし やわらかくなりますように」
【おくり物】
小さなメッセージカード:
「生きてるだけで、えらいことだと思うんです」
**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**
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