第10話 無罪の檻、自由な監禁

取調室の蛍光灯は、瞬きもせずに私を照らし続けている。

 私の前には、カツ丼でも厳しい追及でもなく、ただ一冊の資料を広げた中年男性の刑事が座っていた。彼は、どこか同情するような、あるいは呆れたような眼差しを私に向け、そして一通の封筒からコピーされたルーズリーフを取り出した。

 

 詩音ちゃんが、死の間際まで握りしめていた遺書。

 私はそれを、彼女が私に遺してくれた「最後の救い」だと信じて疑わなかった。自分がすべての罪を被って死ぬことで、私の未来を真っ白に浄化してくれた。彼女の死は、私を一生縛り付ける、重くて尊い「愛の結晶」であるはずだった。

 

「筆跡鑑定の結果、これは皆口詩音本人のものと断定された。それだけじゃない。彼女が隠し持っていた予備の端末には、君を精神的に追い詰めるための日記や、君との会話を切り貼りした音声データまで保存されていた。……どれも、彼女が主導権を握り、君をマインドコントロール下においていたことを裏付けるものばかりだ」

 刑事が吐き捨てるように言う。

その言葉を、私の脳は「彼女の献身」として受け取ろうとした。彼女は、わざと自分を悪者に仕立て上げてまで、私を守ろうとしてくれたんだ。

 しかし、その思いとは裏腹に画面越しに見せられた彼女の『日記』には、私が触れた彼女の熱とは真逆の、冷え切った計算が並んでいた。


『○月○日。奏は相変わらず私の言うことを何でも聞く。少し不安を煽ってやれば、まるでバカみたいにすぐにスマホを壊した。彼女は私がいないと生きていけないと思い込んでいる。……いや、そう思い込ませるのに成功した』

『○月○日。睡眠薬を買いに行かせた。私が死にたいと言えば、彼女は泣きながら、それでも私の望みを叶えるために薬を揃えてくれる。従順なロボットみたい。』


 違う。そんな訳ない。私たちのあの時間はそんな冷たい言葉で交わした日々じゃなかった。あの夜、私を抱きしめて「大好き」と目を細め言ってくれた彼女の涙は、本物だったはずだ。

 呼吸が浅くなるのを自分でも感じた。

 

「君が良かれと思ってやったことは、すべて彼女の『指示』だったという形になっている。薬の購入も、目張りも、君のスマホを壊させたこともだ。彼女は、自分が君を支配していたという『証拠』を完璧に揃えてから死んだんだ。……君は完全に、彼女の筋書き通りに踊らされていた被害者なんだよ。検察も、立件は見送る方針だ」

 

 ああ。やっぱり、詩音ちゃんは凄い。

 彼女は死ぬことで、私の人生を「潔白」なものとして社会に返した。

 私は、彼女が命を懸けて守った「聖域」の主役なんだ。

 彼女の死には、私を救うという、あまりにも重い意味がある。

 そう思って、私は震える声で最後の「答え合わせ」を口にした。

 

「……あの、階段の人は。私が殺した、あの男の人は……」

 私が背負うはずだったその罪を、彼女が持って行ってくれた。

 その確信を抱いて顔を上げながら問いかけた私に、刑事は少しだけ言いづらそうに頭を掻いた。

「ああ。……その件だが。君、あの日、よっぽどパニックになってたんだな。……その男なら、翌朝、自分で勝手に病院に行って、湿布をもらって帰ったよ」

 ……え?

「ふらふらと立ち上がって、自分で歩いていく姿が近くの防犯カメラに映ってる。……全治二週間の頸椎捻挫。ただの泥酔と、足の踏み外しだ。死んでなどいない。そもそも、事件にすらなっていないんだよ」

 一瞬、世界から音が消えた。

 生きていた。あの日、私が感じた絶望も。将来を捨ててスマホを壊したあの決意も。

 そして、私を「救う」ために詩音ちゃんが死を選んだ、その尊い犠牲も。

 ――全部、必要なかったんだ。

 殺してすらいない罪を、彼女が被って死ぬ。

 そんなの、ただの喜劇じゃないか。

 乾いた笑いが思わず出てしまう。

 詩音ちゃん、あなたは知っていたんでしょ。端末を持っていたあなたなら、男が生きていたことなんて、とうに知っていたはずなのに。

 なのに、あなたは私に「一緒に逃げよう」と嘘をつき、「救うために死ぬ」という偽りの悲劇を演じきった。

 私のために死んだんじゃない。あなたは、自分の「不在証明」を完成させるために、私の愛を利用しただけだ。

「……奏さん? 大丈夫か。君は『被害者』だ。彼女という怪物に思考を奪われた、哀れな女子大生。……それが、この国が出した結論だよ」

 

 釈放され、警察署の廊下を歩く。

 証拠品として返却された私の荷物の中に、彼女の遺書の「本物」が混ざっていた。

 警察が見せた、あの日記のコピーじゃない。彼女が最期に握りしめていた、本物のルーズリーフ。

 

 私は立ち止まり、震える指でその紙の裏側を捲った。

 

 表側には、警察を納得させるための、私を突き放すような冷徹な「嘘」が並んでいる。

 けれど、その裏側の右端に、掠れるような小さな文字で、一言だけ書かれていた。

 それは日記のような計算でも、遺書のような芝居でもない、ただの落書きのような筆跡。

 

『奏の寝顔、ずっと見てたいな』

 

 ……ああ、そうか。

 

 彼女は私を騙し、利用し、一生消えない呪いを確かにかけた。

 その一方で、死ぬ間際の彼女は、確かに私という「ヒーロー」の隣で、ただの女の子に戻っていた瞬間があった。

 彼女の愛は、私を支配することだった。

 私の愛は、彼女を崇拝することだった。

 

 ベクトルの違う、歪な、けれど確かに熱を孕んだ両思い。

 それが、存在しない罪の果てに、最悪の形で結実してしまっただけなのだ。

 

 釈放された帰り道。冬の風はどこまでも透明だった。

 私は無罪を証明され、同時に、私と彼女が共有したはずの「愛」は、滑稽な茶番として捨てられた。

 

 カバンからマシュマロを一つつまみ、口に放り込む。

 致死量のような甘さが、舌の上でゆっくりと溶けていく。

 

 詩音ちゃん。

 私の負けだよ。

 

 あなたは、無意味な死を私への「永遠の救済」だと信じ込ませることで、私の人生を奪い去った。

 

 私は、一生、あなたのいないこの自由な世界を「監禁室」として生きていく。

 あなたが最後に書き残した、あの小さすぎる本当の言葉だけを、暗闇の灯火にして。


~完~


―――────────────


ここまでお付き合い頂きありがとうございました!!冬休み最後の現実逃避のために一気に書き上げたので話の矛盾や誤字脱字がありましたら申し訳ございません。

次回は明るい作品を書きたいな、と考えております!本当に読んでくださりありがとうございました!

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