第4話 外側の時間

久しぶりに会った友人は、少しだけ変わって見えた。

大きく変わったわけではない。服装も、話し方も、以前とほとんど同じだ。ただ、全体の印象が、少しだけ落ち着いていた。

「遅れてごめん」

「ううん、私も今来たところ」

カフェの席に向かい合って座る。

注文を終え、飲み物が来るまでの短い時間、美咲は友人の左手に目がいった。

指輪はなかった。

それでも、美咲は聞く前から、答えを知っている気がした。

「どう?」

先に切り出したのは、友人のほうだった。

「まあ……ぼちぼち」

その返事が、少し曖昧すぎると感じたが、美咲はそれ以上説明しなかった。長く話せば、長くなる話だとわかっていた。

友人は、最近引っ越したこと、仕事が忙しいこと、休日の過ごし方が変わったことを話した。その中に、自然な調子で、こう付け加えた。

「来月、籍入れるんだ」

驚きはしなかった。

驚かなかったことに、少しだけ驚いた。

「そっか。おめでとう」

「ありがとう」

そのやりとりは、穏やかで、特別な感情を含んでいないように見えた。実際、美咲の中にも、嫉妬や焦りといった分かりやすい感情は湧かなかった。

ただ、時間の流れが違う、という感覚だけが残った。

友人は続けた。

「正直ね、迷ったよ。全然、確信なんてなかった」

「……うん」

「でも、迷い続ける自分のほうが、ちょっと想像できなくなって」

その言葉を、美咲は黙って聞いた。

肯定も否定もできなかった。

迷いが悪いわけではない。

確信がないまま決めることが、正しいとも限らない。

それでも、その友人の言葉は、「迷い続ける」という状態にも、期限がある

という事実を、静かに示していた。

別れ際、友人は軽い調子で言った。

「美咲は、ちゃんと考えてる感じするよね」

ちゃんと、という言葉に、意味がありすぎる気がして、美咲は笑うしかなかった。


帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、美咲は考えていた。

ちゃんと考えている。

それは、褒め言葉だ。

けれど同時に、まだ決めていないという意味にも聞こえる。

会社でも、似たようなことがあった。

昼休み、同僚たちの会話は、保育園の話や住宅ローンの話に流れていった。美咲は黙って聞いていた。知らない話題ではない。ただ、自分の生活とは、少し距離がある。

「美咲って、今どういう感じ?」

唐突に話を振られ、一瞬言葉に詰まる。

「どういう、って?」

「いや、結婚とか」

その問いに、悪意はなかった。単なる世間話だ。

「まだ、かな」

そう答えると、同僚は深く追及しなかった。

それが、ありがたくもあり、少しだけ寂しくもあった。

誰も、美咲の時間を奪おうとはしていない。

急かしてもいない。

それでも、周囲の時間が進んでいること自体が、圧になることはある。


帰宅すると、部屋にはまだ灯りがついていなかった。

美咲は靴を脱ぎ、静かな部屋に入った。

ここは、自分の居場所だ。

彼との生活の場所でもある。

どちらでもあることが、最近は少し、わかりにくくなってきていた。

ソファに座り、スマートフォンを手に取る。

誰かに連絡する気にはならなかった。

代わりに、美咲は自分に問いかけた。

――私は、いつまで待つつもりなんだろう。

その問いに、期限はなかった。

答えもなかった。

ただ、はっきりしていることが一つだけあった。

待つことは、何もしないことではない。

待っているあいだも、時間は確実に進み、何かが少しずつ、選び取られている。

それが、自分の意思なのか、流れなのか、まだわからないまま。


美咲は、立ち上がって窓を開けた。

夜の空気が、部屋に流れ込む。

外の世界は、変わらず動いている。

その中で、自分だけが止まっているわけではない。

けれど、同じ場所に立ち続けることと、同じ時間を生きていることは、必ずしも同じではない。

その違いを、美咲はこの日、初めて、はっきりと意識した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る