第5話 工房の日常

工房の中は熱がこもっていた、火じゃない、蒸気の熱だ、配管が鳴って継ぎ目が唸り、金属がじわじわ温まっている

叩く音、擦る音、蒸気が抜ける音、そのどれもが止まらない、止まったらまずい種類の音だった


堂島は作業台の端に膝をつき、外した小物を順番に並べていた、ねじ、座金、留め具、形の似たものほど距離を置く

戻す時に迷うと指が遅れる、遅れると焦る、焦ると飛ぶ、ここで飛ぶのは部品じゃなく人の骨だ、そんな感覚が底の空気に混ざっている


入口の影にシルビィがいる、外套のフードの縁を押さえたまま、外と中の境目に立っている


リコットがレンチを鳴らしながら言った

「おじさん、その並べ方いいね、戻すとき一瞬で分り安い」


作業台の上には短い配管とバルブ、継手が二つ、白い粉みたいなものが継ぎ目の周りに薄く吹いている、漏れの跡だ

「これね、圧が逃げてるやつ、締め直しても戻る、中の座が削れてる」

リコットは指先で継ぎ目を叩き、ちらりと入口を見る、シルビィが小さく頷く、それで話は終わる

「今日も工房の中でやるよ、おじさん、変だと思ったら止めて」


堂島は頷いた

「……ああ、変なのがあったら言う」


返すために動く、それが堂島の筋道だった、居候のまま固まるのは違う、だから手を動かす、目を動かす、口は必要な時だけ開く

リコットの手が走る、外す、並べる、入れ替える、戻す、迷いがないぶん最後が怖い、留め具の向き、座金の順、抜け止め、そこだけを追う


レンチが一度だけ鳴って、リコットの手が離れた

次の瞬間、堂島の目が引っかかった、抜け止めが噛んでいない


堂島は声を落として言う

「待て、止めろ、まだ部品が噛んでない」


リコットの手が止まる、顔が上がる、舌打ちになりかけた息を笑いに変えるのに一拍かかった

「うわ、出た、私のやつ、今のまま圧かけたら飛んでた」

留め具を差し直し、親指で確かめる、指先が一瞬だけ強くなる、冗談じゃないのがその強さで分かる

「助かった、おじさん、ほんと目がいるわ」


堂島は視線を外さずに返す

「速いのはいい、でも手順を飛ばすと終わる」


リコットが肩をすくめた

「嫌な正論」

それから工具を台に置き、わざと軽く言い直すみたいに続ける

「でもさ、気をつける、で済ませると、いつかやるのよね、忙しい日ほど、客が詰まる日ほど」


堂島は短く息を吐く

「気合いでカバーは無理だ、仕組身でなんとか出来るようにしないといつか間違う」


リコットが眉をひそめる

「点検表とか言うなよ、書くやつ増えるの嫌い、ほんと嫌い、私の手は修理に使いたい」


「書かせない、印だけでいい」堂島は即答した

継ぎ目を指でなぞる

「締めたら、ボルトの頭と土台をまたいで線を一本」

「ズレたり割れたりしてたら、どっか回ったってことだ」

「見えたら止めりゃいい」


説明はそれだけにする、言葉が長いと現場は止まる


リコットは一瞬きょとんとして、すぐ口角が上がった

「……それ、いいね手順増えないし、印なら手間増えない」

棚の下をごそごそ探し、小さな缶を引っ張り出す、底に残った黒い泥みたいなもの、煤と油の匂いがする

「これ使える、乾く、残る、割れる、最高じゃん」


リコットは黒い泥を指につけ、ボルトの頭から土台へ一本引いた、継ぎ目をまたぐ線、余計な飾りはない

堂島は目で追い、線がちゃんとまたいでいるのを確認して頷く

「それで十分だ」


「よし、これ採用」リコットが言う

「締めたら印、割れてたら戻す、誰が触ったかとかどうでもいい、割れてたら止める、それだけ」


そのタイミングで入口から苛ついた声が飛んできた

「リコット、いるか、止まった、今日中に直せるか」


煤で黒い帽子の男が入ってくる、手には小さなポンプ、継ぎ目に白い粉、釜場の匂いと焦りの匂い

「これが止まると回らねえ、今日中だ」


リコットの口が動きかけて止まる、さっきの抜け止めが残っている顔だ

堂島は黙って、さっき引いた点検印を指先で軽く叩く、音を立てない合図

リコットが一拍置いて言い直す

「夕方まで、急ぎならあり物部品になるからすぐ壊れる可能性が上がる、それでもいいなら受ける」


男が舌打ちしかけて堂島を見る、よそ者の顔、でも作業着で昨日ほど浮いていない

堂島は目を逸らさずに言った

「順番飛ばすと、余計止まる、回したいなら止める手順だけは残せ」


「説教かよ」男が吐く

「説教じゃない、段取りの話だ」堂島は短く返す


リコットが畳みかける

「夕方、嫌なら他、でも他も混んでる、底だよ」

男は黙ってポンプを置いた、置き方は乱暴、でも置いた、それで決まる


作業が始まる、リコットの手が走る、分解、確認、選別、交換

堂島は外した順に部品を並べ、戻す順が乱れないようにする、口は出さない、止めるべき時だけ止める

途中で座金が削れているのが見えた、リコットも同時に気づく

「代わりある?」

堂島は棚を一度だけ見て、すぐ視線を戻す、勝手に選ばない

「同じ厚みどれだ、指さしてくれ」

リコットが指を差し、堂島が取って渡す、余計な迷いが消える


締めに入る、最後のボルト、最後の留め具

堂島は線だけを見る、締まったか、止まったか、戻ったか

リコットが締める、すぐ黒い泥を指につける、ボルトと土台をまたいで一本、点検印

堂島が目で追い、線が割れていないのを確認して頷く

圧をかける、蒸気が唸る、漏れない、白い粉が増えない


リコットが息を吐く

「……よし、速いのに飛ばない、に近づいた」

それは自分に言い聞かせる声でもあった


夕方、男が戻ってきた

リコットがポンプを渡す

男は継ぎ目を見る、黒い線がまっすぐ残っている

一拍黙って、銅貨を置いた

「……助かった」

言い方は硬い、でもそれが底の礼だ


男が去ると、工房の空気が少し軽くなる

リコットが棚の端に缶を置き、指でトントン叩いた

「これ、ここに置く、締めたら必ずここに戻って印、忙しいほど戻る場所が必要」

それから堂島を見る

「おじさん、明日も来れる、工房の中で、目、貸して」


堂島は一拍置いて頷いた

「……ああ、行く、俺もここでちゃんと動けるようにしないとな」


入口の影で、シルビィが小さな紙切れを出し、短く一言だけ書いてすぐしまう、待ち時間の癖みたいに、危険のない瞬間だけ記録する

堂島は見ても口にしない、線は守る、越えるのはいつでもできる、越えないのが難しい


リコットが笑う

「よし、じゃあ明日からは工房の決まり、点検印、これでいく、線だけ残す」


堂島は指先を見る、黒い色が爪の縁に残っている

止めるための印、壊さないための印

底は止まらない、だから止めるべきところだけ止めて、残す

堂島は小さく息を吐き、作業台の上の工具の影を見た

明日もここで、手順を一つずつ増やしていく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る