第6話 境界の門

第6章 境界の門

工房の音が細くなったのは、外が暗くなってからだった、叩く音が減り、蒸気の唸りだけが残る、熱は下がらないのに手だけが止まる、止めたというより止まらざるを得ない、明日へ繋ぐための区切りだ


リコットは工具台の上を一息で片づけ、壁際から木箱を二つ引っ張り出した、箱の側面に煤で印が描かれている、丸と線、工房の目印だ

中身は部品だ、継手、短い配管、座金とねじ、パッキンみたいな薄い革、細い弁、底で拾う屑とは違う、使える形をした、使う前提の部品だ


堂島が目線を上げる

「これ、売り物か」


「売り物でもあるし、仕事の元でもある」リコットが言う、いつもの軽口のまま、でも冗談に寄せない

「中層の工業側ってさ、部品が常に足りない、だから今週これが欲しいって札が来る、うちが直して出す、向こうは代金を付ける、こっちは材料と工具が増える、そういう循環」


堂島は箱の蓋に指を置き、紐の結び目を見る

「夜に出すのは、昼は工房が回らないからか」


「そう」リコットが頷く

「昼は客で詰まる、蒸気漏れ、締め直し、歯車の欠け、止まったら死ぬ種類の修理が来る、ここで手を止めたら次が詰まる」

「だから中層行きは夜、門の外窓口に預けて、朝に中層側が回収する形にしてる」


堂島が言う

「預けるって、門の内側には入らないんだな」


「入らない、入れない」リコットは肩をすくめる

「中層に入るのは通行証が必要だし、そもそも私は工房を空けられない、だから外窓口、格子の向こうに置いて受領票をもらう、それだけ」


言いながら、ポケットから薄い金属片を出して堂島に見せた、指二本ほどの長さ、擦れた刻印がある

「これが札、搬入札って呼ぶ、物の身分証みたいなもの」

「うちの印と、何の荷かが刻んである、これがないと止まる、夜は特に止まる」


堂島は金属片を受け取り、刻印を指でなぞる

「人じゃなくて、荷物に札を付けるのか」


「そう、荷が先に通る」リコットが言う

「中層の門は人に厳しい、荷にも厳しい、でも札があれば話が早い、札がなければ話が長い」

「話が長いと、そのぶん面倒が増える、夜はそこに変なのが混じる」


堂島が眉を寄せる

「変なのって」


リコットは言い方を崩さずに説明する

「夜は人が少ない、窓口の係も帳面の係も減る、確認が明日回しになることが多い、だから今ここで止めるがやりやすい」

「止める理由は何でも作れる、封が甘いとか、数が合わないとか、検品が必要だとか、言い方で絡む」

「それで手間が増えるって顔をして、こっちに金を出させようとする、私は前に一回やられかけた」


堂島は札を返し、箱の紐を指で確かめた

「つまり、向こうが勝手に面倒を増やして、金で消せって言ってくるわけだな」


「そうそう、今の言い方が一番分かりやすい」リコットが少し笑う

「ただ、規則そのものは固い、例外はない、だから堂々とは言えない、遠回しに来る」

「遠回しに来たら、こっちは遠回しに受けない、そこが難しい」


入口の影にシルビィが立っている、外套の縁を押さえ、工房の中と外の境目にいる

堂島はちらりと見る、歩幅が硬い、中層付近に行くのはシルビィも初めてだ、息の浅さが線の外側を物語っている


堂島は声を落として言う

「段取りは決めよう、先に数を控える、札と受領票だけ出す、揉めたら規則の話に戻す、長引かせない」

「リコットは札を出すだけでいい、シルビィは門の影から出ない」


リコットがシルビィを見る、勝手に決めない癖が出る

「シルビィ、門まで付き合って」


シルビィは一拍置いて

「門、まで」


枠が決まる


外へ出ると、夜の底は光より音が目立つ、蒸気の唸り、配管の鳴き、遠い足音、煤と油の匂いが冷えた空気に乗って肺にまとわりつく

堂島は箱を担ぐ、重さは気にしない、気にして止まるほうが格好が悪い、自分のことは自分で片づける、その筋だけで足を出す


道が少しずつ固くなる、灰が均され、壁材が新しくなる、継ぎ目が減る

境目が近い、近いほど息が詰まる、綺麗だからじゃない、拒むための仕組みが濃くなる


門は突然現れる、鉄の枠と配管の束、その前に灯り、そして人影

制服の布が底より新しい、靴が黒く光っている、棒を腰に提げた役人が二人

灯りの下だけ明るく、その周りが暗い、その暗さが圧を増やす


リコットが札を出す、薄い金属片

「工房の搬入、外窓口に預け」


役人が札を受け取り、わざとゆっくり刻印をなぞって返す、目線が箱へ、次に堂島へ止まる

「登録は」


堂島は一歩も前へ出ない、影の中で言う

「登録はしてない、門の外で荷を降ろすだけだ、内側には入らない」

「札はある、封も切ってない、受領票を出してくれればそれで済む」


役人が鼻で笑う

「受領票ねえ」

隣の役人が肩を揺らす

「夜は人がいねえんだ、預かるのも面倒だろ、分かってるよな」


言葉は曖昧、でも指先が擦れる、露骨だ

リコットの肩が跳ねる、口が動きかける


堂島が先に言う、声は上げない、でも言い切る

「面倒なら、その面倒の名目を言ってくれ」

「規則にある手数料なら払う、受領票に金額と担当印を載せて、領収も出せ、それなら揉めない」

「規則にない金は払えない、明日照会されたら荷が止まる、こっちも困るし、門も困る」


役人の笑いが止まる

「面倒くせえな」


堂島は引かない、刺さない、段取りの話に戻す

「面倒なのは分かる、だから記録を残す」

「札は返した、次は外窓口で数を取って、受領票を出す、それだけだ」

「俺は名前も聞かない、印だけ欲しい」


手帳を出す、見せつけるためじゃない、書く準備をする動きが効く


役人は舌打ちして言う

「外窓口だ」

「封を切るな、影から出るな、内側に足を入れたら拘束、例外はない」


堂島は短く頷く

「了解」


外窓口は鉄格子で区切られていた、手が通るだけの開口

堂島は箱を置く、封の紐が見える向き、数えやすい角度、袋が潰れない位置

役人が乱暴に触りながら数え始める


「継手、五」


リコットが言いかける前に、堂島が先に言う

「もう一回数えてくれ、こっちは六で控えを取ってある」

「封は切れてない、落ちたなら今ここで見つかる」


役人が舌打ちして数え直す、やっぱり五で止まる


堂島は箱の角を見る、底板の隙間、紐の影

一本、短い継手が木肌に噛んで引っかかっている、数から漏れていた


堂島は焦らない、焦ると手が大きく動いて怪しく見える

ゆっくり指先だけ入れて引き抜き、格子の前へ置く

「これだ、六、揃った」


役人の目が一拍止まる

隣が鼻で笑う

「ちっ」

それ以上は言えない


受領票が出る、粗い紙、でも印は押される、金額欄は空欄のまま

堂島がそこを指で示す

「手数料があるならここに書ける」

「書けないなら、今夜はないってことだ」


役人は睨んで、書かない

紙が突き返される

「次から昼に来い、夜は面倒だ」


リコットが言い返しそうになって止める

止めたのは叱られたからじゃない、堂島が先に戻す場所を作っていたからだ

リコットは受領票を作業着の内側にしまう、見せない、底の癖でしまう


門から離れた路地に入って、ようやく息が戻る、蒸気の唸りがまた底の音に戻り、肩の力が少し抜ける


リコットが吐き出す、今度はちゃんと繋がった言葉だ

「ああいうの、夜は本当に出るんだよ」

「面倒って言い方で絡んで、こっちが折れたら金を取る、折れなきゃ止める」

堂島を横目で見る

「でも今日は止められなかった、受領票だけ取れた、それがでかい」

少しだけ笑う

「正直、おじさんがいなかったら、私、噛みついてたと思う」


堂島は首を振る

「噛みついたら、相手の時間になる」

「こっちは荷を通したいだけだ、だから規則の話に戻した」


入口の影にいたシルビィが、ここで一度だけ堂島を見る、長くは見ない、でも昨日より目が止まる

言葉が落ちる、短いが意味がはっきりする


「ドージマ、取られなかった」

一拍置いて続ける

「変な言い方に、乗らなかった」


堂島は小さく息を吐く

「乗った瞬間に負ける、そういうやつだろ」

「俺は仕事で似たのを見てきただけだ」


安全な角を曲がったところで、シルビィが小さな紙を出す、ほんの短い時間だけ

受領票

単語だけ書いて、すぐしまう、待ち時間の癖みたいな記録


工房へ戻ると、熱と音が迎える、棚の端の缶が決めた置き場所にある、点検印の黒

リコットが工具台に肘をつき、受領票の位置を指で確かめてから言う


「おじさん、明日から中層絡みは任せる」

「私が外の段取りまで抱えると、工房が止まる」


堂島は一拍置いて聞き返す

「決め方も、俺でいいのか」


「いい」リコットは即答する

「増やすなとか減らすなとか言わない」

「回る形なら任せる、止まったら文句言う、それだけ」


堂島は小さく頷く

「分かった」

「先に荷を揃える、先に数を控える、そのあと受領票を取る」

「今日通った順番を、基本にする」


リコットは一拍置いて、いつもの笑いに近い顔になる

「それ、それなら任せられる」


夜の底は静かに沈む

でも今日は、境目の門で、取られない手順が一つ増えた

足場は、そうやって少しずつ形になる

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煙と灰のエアロスカール 犬山三郎丸 @Inuyama-0104

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