第26話 褒めとは何ですか[3]

「レビューは、相手の評価軸です。私は芦原さんの言葉の中だけで拾います」


沈黙が落ちた。

芦原は沈黙に弱いタイプではない。

むしろ、沈黙があると情報を整理し始めるタイプだ。


「じゃあ、僕のメモの中から拾ってください」


しのは頷いた。


「メモの中に何度も“怖い”が出てきます」


芦原は息を止めた。


「……書いてました?」


「書いてました。『怖いけど、やる』と。『怖いから、確かめたくなる』と」


芦原は、少しだけ目を細める。

自分の文章が、意図しない形で鏡になって返ってくる瞬間。


「それを、褒めるんですか」


「事実です。怖いと言語化できています。怖いのに、行動もしています」


芦原は笑いそうになった。だけど笑えなかった。


「それ、褒めなんですか。なんか……当たり前のこと言われてる気がする」


しのは、否定しない。


「当たり前だと思えるところが、芦原さんの強さです」


芦原の指が止まった。


「……強さ?」


「怖いのにやっているのを当たり前にしている。だから続けられている」


芦原は視線を逸らした。

褒められ慣れていない人ではない。

でも、褒めを“評価”として受け取ってきた人だ。


評価は、次の行動を縛る。

褒めは、自由にする。

その違いが怖い。


芦原は、少し早口になった。


「じゃあ、単価の話、してもいいですか。僕、最近上げたんです。上げたら案件が減って、でも空いた時間で営業して、結果的に……えっと」


“結果的に”の言い方が、少し焦っていた。

正当化。

決めたことを、後から安全にしたい。

そういった心理。


しのは遮らず、ただ一つだけ置く。


「単価を上げたのは、芦原さんが決めたことですね」


芦原は一瞬黙った。


「……はい。決めました」


「決めた理由は」


「……怖かったから」


しのは頷いた。


「怖いから、決めた」


芦原は困った顔をした。


「それ、良いのか悪いのか分からない言い方ですね」


「良い悪いではなく、順番の話です。怖い→決める、を選べた。怖い→流される、じゃなかった」


しのは、ここで一度だけ“褒めとして言い切る”。


「芦原さんは、“選んだ”んです。怖さのせいにして逃げたんじゃなく、怖さの中で選んだ」


芦原は、そこでようやく息を吐いた。

小さく。


「……それ、救われる言い方ですね」


自分でも驚いたような声だった。

“褒め”ではない。

“正解”でもない。

ただ、順番が整理された。


芦原は、目元をこする。


「僕、ずっと“合ってるか”を外に聞いてたんですよね。でも、フリーランスだと同僚っていなくて。だから身近な人には聞けなくて」


「外に聞くこと自体は悪くないです。ただ、外に渡す割合が増えると、判断が薄くなります」


芦原は頷く。

理解が早い。

理解が早い人は、ここで“結論”を欲しがる。


「じゃあ、どうしたらいいですか」


――来た。


しのは、返答を急がない。


「今、どうしたらいいですか、と言いました」


芦原は、しまった、という顔をした。

自分で自分の癖に気づいてしまうと恥ずかしい。


「……すみません。癖ですね」


「癖です。悪い癖ではないです。便利な癖です。ただ、癖は疲れると強く出ます」


芦原は、しばらく黙った。


「……最近、疲れてるんだと思います」


「そう言いました。それも事実です」


しのはそこで、少しだけ“褒め”に寄せる。


「芦原さんは、自分の状態を言葉にするのが上手です。上手だから、ちゃんと止まれます」


芦原の表情が、初めて崩れた。

泣き顔ではない。

笑顔でもない。

ただ、固さがほどけた顔。


「……止まれてないから来たのに」


「来た、というのが止まる動きです」


芦原は、小さく頷いた。


その後の時間は、目立つ事件は起きなかった。

泣き崩れることもない。

劇的な救いもない。


ただ、芦原は何度か“合ってますか”と言いかけて、言い直した。


「僕は、どう思ってるんだろう」

「僕は、何を怖がってるんだろう」

「僕は、どこまでを自分で決めたいんだろう」


しのは、その言い直しをその都度、事実として置いた。

褒めるというより、“戻す”。


一時間が来る。

しのが時計を見ると、芦原も自然に時計を見た。


「……終わりですね」


「はい。今日はここまでです」


芦原は、椅子から立ち上がってから、少しだけ迷った。


礼を言うべきか。

感想を言うべきか。

“良かったです”と言えば、まとめになる。

まとめると、また外に預ける。


芦原は口を開いて閉じて、結局こう言った。


「……今日のこれ、僕はどう扱えばいいですか」


しのは、短く答えた。


「“扱わなくていい”です。残ったところだけ、残します」


芦原は苦笑した。


「それ、いちばん難しいやつ」


「難しいです。だから、できたら十分です」


芦原はもう一度、頷いた。

深くではない。

仕事の納得みたいな頷きではない。

少し、ゆっくりした頷き。


部屋を出る直前、芦原は振り返った。


「……SNSに書いてもいいですか」


しのは答える。


「止めません。ただ、書くなら“結論”は書かない方がいいです」


「結論を、書かない」


「はい。結論を書くと、結論に縛られます。今日は縛られない方がいい」


芦原は、少し考えてから言った。


「分かりました。……多分、書かない気がします」


「それも、判断です」


扉が閉まった。

部屋に静けさが戻る。


しのはメモ帳を閉じた。

今日の依頼は、危うさが小さくて、だからこそ厄介だった。


褒めを“確認”として買いに来る人。

自分の言葉で決めたいのに、決め方が分からなくなっている人。


しのは、スマホを手に取る。

SNSを開かない。

開かないことが、今日は正しい気がした。


――褒め屋にも、限界がある。


それは、依頼者が暴走したときだけじゃない。

“便利に使われた”ときにも、境界はすり減る。


しのは、机の上の紙コップを片づける。

淡々と。

いつも通りに。


その“いつも通り”が、少しだけ重かった。

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