満潮

 レグルスは敗北を悟った。せめて空が明るく物見が使えれば戦いの趨勢は異なっただろう。いくら月が明るかろうが全体を把握するほど明るくはなかった。更に、止めどなく押し寄せる化け物にすっかり燃料配分を狂わされていた。化け物に触れれば即死するため僅かでも襲いかかって来れば火炎放射しなければならない。現在では直径1cmサイズの触手が避難所にポツポツと現れている。あまりにも細く絶えず移動するため、射撃での破壊は困難であり真綿で首を絞めるように燃料を削られている。大砲で使用していた燃焼剤は既に松明になり化け物をバリケードから遠ざけている。天幕の空気は重く冷ややかで皆街を駆け回っていたため煤で至る所が黒くなっていた。

「伯爵は燃料補給に来たか?」

燃料補給に天幕へ戻ってきたレグルスの問にすす汚れた将校は首を横に振る。

避難所や天幕の中は温排水のような匂いで覆われ平時であればあまりの不快感に退出していただろう。スカーフで顔を覆っていないのは代官とレグルスくらいである。

「燃料は今のままであれば何時まで持つか?」

「明日の朝までです、殿下」生気の無い将校がレグルスへ答えた。

(これはだめだな。伯爵は死んだだろうし、こちらも武器もだが人もだめになってきている。)レグルスはそう考え、打開策を練りうーんと唸る。腕を机上の地図でヒョコヒョコ動かすレグルスを年老いた将校は微笑ましそうに見ている

「これは一縷の望みをかけて南門の血路を開くべきか。燃焼剤はまだあるはずだ。南門の大通り両脇に炎の花道を造り避難民と共に脱出するべきだ。火炎瓶を量産しろ。半刻後に脱出する。」レグルスは命令を発したが周囲の将校は動かなかった。

「一体どうしたというのだ?余の命令が聞けないのか?」レグルスは不思議そうに将校達の顔を見る。「死ぬのが怖いなら余に従え。」とサーベルの柄を触り言葉を続けた。

「殿下の命令であっても出来ません。」沈痛な面持ちで将校が言う。

「どういうことだ?」

「兵士がおりません。殆どが死にかけの体調不良者です。火炎放射器が余っております。」

将校の話を聞いたレグルスは「ああ。」と納得した。

「ここでするべき話はもう無いと言うことか、、、」そう言い残すとレグルスは天幕を後にしようとした。

「お待ちください。殿下にお願いしたいことがございます。」

「何故止める。火炎放射器の使い方はちゃんとわかっておる。」

老将校にレグルスは呼び止められ、レグルスはゆっくりと将校に言い効かせるように返事をした。老将校はポツリと「お逃げください」と呟いた。

「逃げる方法があると?」

片眉をあげて不思議そうにするレグルスへ将校は代官の屋敷に気球が用意されていることを伝えた。

「良かろう。お主ら息災でな。」レグルスは化け物への罵倒を抑えた。

「余をその場へ案内する者は。」

「この街で最後に死ぬ男の役目、私にお任せください。」

煤を身に纏い薄汚れた同鎧とマント着た代官が天幕に入るや否や声を張り上げた。

時代錯誤の鎧を身にまとった男の姿は天幕の誰から見ても以上だった。

(こいつは狂人だ)天幕の将校達はそう思った。

「で、では代官どの是非、お願いいたします。殿下、我々は勤めを果たしに、最期まで闘います。」

老将校はそう言い放つと将校達全員が武器を持って外へ出て行った。

「代官よ、案内をよろしく頼む。」平時のごとく淡々とレグルスは代官へ頼んだ。

 レグルスは代官と共に丘を登った。大きな屋敷の庭に気球が用意されておりかごの中へ代官夫人が娘と一緒にバスケット一杯の果物、袋に包まれたおやつのチーズと飴、干し肉、パン、ビスケットの缶、救急箱そして水筒を入れている。

「いつの間に。」

「会議中に準備が整いました。」

唖然とするレグルスに代官が答えた。代官夫人とその娘はレグルスへ臣下の礼を取り屋敷へ入っていった。レグルスは礼に鷹揚に頷き気球へ乗った。

「短い間であったが余は良き出会いであったと思っておる。家族へかける言葉もあるだろう、行きなさい。」レグルスはそう代官へ伝えるとバスケットのリンゴを齧った。

「必要ございません。もう済ませました。」その言葉の直後、乾いた発砲音が一つ十秒後にもう一つ鳴った。

(成るほど。そういうことか。絶望していなかったのは余だけか。)レグルスは気球のバーナーをつけゆっくりと上空へ浮き上がっていった。

「さらばだリングの騎士よ。」眼下の代官へレグルス最後のねぎらいをかけた。

丘の下から悲鳴と怒号そして破裂音が響き時折炎がチラつく。それから間もなく声も何かの音も聞こえなくなり街の火が消えた。

(陥落する。ガラガラと。忌々しい亜人共をはじき返してきた都市が!)レグルスは頭痛を抑えるようにこめかみを人差し指と中指で押す。

レグルスの足裏はまるで絨毯を踏んでいるようにふかふかと感じ、胸はチクチクと急かされる痛みに襲われ、目の前は赤くチカチカと点滅する。

化け物は遂に庭へ入り込み始めた。化け物はズルズルと庭を這い回り、明らかに今までの液体のような動きでは無く固めのゼリーめいた質感の固体だった。庭の草は化け物が通ると一本も残らず、砂漠の砂のようになった。

(興味深い力だ。)レグルスは観察を続けていた。

代官はレグルスへ臣下の礼を取り、戦槌を構えて化け物へ突撃した。雄叫びをあげて戦槌を振り回しゲル状になった化け物を一発二発と流れるように打ちすえる。化け物は意に介さず三本の腕を代官へ向けて伸ばす。代官は一歩後ろへ下がり一本腕を叩き落とす。しかし、同時に迫ってきていた二本の腕それぞれが代官の両腕に食いつく。苦悶の表情を浮かべる代官の両脚を化け物は更に二本の腕でそれぞれ巻き取った。化け物は代官をレグルスの気球へ向かって見せつけるように掲げ、生きたままバラバラに引き裂いた。股裂きによってちぎれた腹から飛び出した臓物が彼の鎧の下から転がり落ちる。ちぎれた腕からは真っ白い骨が見える。レグルスは瞬きせずその様を見つめ、天晴れと叫んだ。日の出により日が鮮血を鮮やかに彼の目へ焼き付けた。

 朝日が城塞都市リングへ射す。眠気と疲れのため煤に汚れた顔をこすりながらレグルスは眠気覚ましに朝食をとりは始めた。

「まるでピクニックだ。」レグルスは落ち込んだ自身を皮肉る。

チーズをのせたビスケットかじり気球からボンヤリと街を眺め、時折冷たい茶を飲む。街中は黒々とした化け物に覆われていた。レグルスからは化け物が街中を満たしているのみで、外には一切その姿は確認できなかった。徐々に元気がでてきたレグルスはおやつの飴をなめ、望遠鏡で街中を見ていた。そこで、西側の建物に刺さった装飾された剣を発見した。

「そこは墓標では無い、友よ。」レグルスは呆れを含んだ穏やかな声で言った。

都市の外に目を向ければ緑に生い茂っていた森がその姿を忽然と消していた。更には都市周りの牧草地帯は砂地になり化け物の貪食性を物語る。街はずれの列車は横転させられ駅は倒壊している。そこでも凄惨な食事が行われていたことは疑いようがない。

「こんなに小さかったか?かなりの打撃を与えられたのか?その場合奴はどう考える。代官の殺し方からは怒りを感じているようだった。ここは一旦、遠いが大都市へ向かうべきか。」レグルスはコンパスを持って食糧と燃料の確認をして行き先を港湾都市ヒュプリムへと決めた。

緊張により彼は独り言を言っていることに気がついていない。

(奴は大都市を警戒するはずだ。準備が出来る。戦艦の砲撃は初めてであろう。今度こそ始末してやる。)拳を握りしめたレグルスは復讐を誓った。

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