第9話
土曜日の朝、菅野は引っ越してきて初めてのゴミ集積場の掃除当番を迎えた。ゴミ収集車が走り去るのを見届け、当番用の箒とバケツのセットを手にゴミ置き場へ向かう。
雀がチュンチュンと賑やかに鳴き、海からの風が頬を優しく撫でる。新緑の眩しい五月は、もうすぐそこまで来ていた。菅野がゴミ置き場の周りを掃いていると、柔らかな声がかけられた。
「おはようございます。菅野先生でいらっしゃいますか?」
顔を上げると、上品な佇まいの女性が、柔らかな笑みを湛えて菅野を見つめていた。
「はい、そうですが・・・」
菅野は掃除の手を止め、背筋を伸ばして答える。女性は小さく会釈をして、「初めまして。生来大(セイラ ダイ)の母でございます」と名乗った。
予期せぬ生来の名前を聞き、菅野は慌てて会釈を返した。
「初めまして。大さんの担任の菅野賢治です。この間は、美味しいお肉料理、ごちそうさまでした」
馴染みのない料理だったので、「スペアリブ」という料理名がすぐには思い出せない。
「こちらこそ、大がお世話になっております」
生来の母は、少しためらいがちに話を続けた。
「大、最近は学校を休むことなく通えておりまして。あまり家庭で話す子ではないのですが、雰囲気が柔らかくなったと申しますか、表情が豊かになったと申しますか。息子は中学から不登校気味でしたので、私も心配しまして、本で勉強したり、カウンセラーの方にお話を聞いていただいたりしていて・・・」
大の母は、これまでの様々な思いが巡っているのか、瞳を潤ませていた。菅野も胸が締め付けられるような思いがする。
「いきなりお会いして、長々と申し訳ありません。その、家庭の責任だと思うのです。大がこうなってしまったのは・・・不登校には様々な原因があるらしいのですが、大切なのは家庭でも学校でも、子どもが安心して過ごせる居場所があることらしいのです。それが、大にとっては菅野先生の存在がその場所になっているのではないかと思っております」
一生懸命に伝えようとする大の母の姿から、彼女がどれほど長い間、つらい時期を過ごしてきたかが痛いほど伝わってきた。菅野は何があったのかもっと知りたかったが、今ここで深掘りするのは憚られた。
「生来さんは、とても優しい子です。僕にできることがあれば、喜んで力になりたいと思います」
そう伝えると、大の母は深々と頭を下げた。
掃除を終え、家に戻り、洗濯機を回す。縁側に座ってコーヒーを飲む菅野は、今朝の出来事を思い出していた。
(あの、雲をつかむようにひょうひょうとした生来に、いったい何があったのだろう・・・)
海は穏やかに広がり、遠くで波が静かに打ち寄せていた。
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