第10話
休みはあっという間に過ぎる。
平日はコンビニ弁当ばかりの菅野にとって、休日は自転車で隣町のスーパーに行くのが習慣だった。帰って昼食をとり、掃除や仕事をして、少しうたた寝。目が覚めると、外はもう夕暮れだった。「リンリンリン」という黒電話のような携帯の着信音が鳴る。実家からだ。
「はい、もしもし」
菅野の両親と姉夫婦、甥っ子、姪っ子は岩手で同居している。姉夫婦の新しい家が完成したのはつい最近のことだ。それまでは、仮設住宅の別々の棟で暮らしていた。四角い箱のような、物置のような建物。津波に流され、住む家を失った者にとって、プライバシーが確保されているそこは、個々の生活が段ボールで仕切られた体育館よりはるかに良かった。
震災後、徐々に仮設住宅が建てられた。流された家が多く、近所の公園内にも仮設住宅が並んだ。一年、二年と経ち、新居を建てて仮設から出ていく世帯が増えていく。菅野は両親と仮設で暮らすことはなく、工事現場が提供している二階建てのアパートのような仮設に住んでいた。ようやく姉夫婦が家を建てたので、両親はそこへ移ったのだ。
「もしもし、賢治、元気にしてるの?さっぱり、あんた、電話しないから」
少し話さないでいると、母のなまりが気になった。
「大丈夫だよ、元気にしてるよ。正月にはそっちに帰るから」
その頃には帰省し、お墓参りをしたいと思っていた。結局、波に流されて見つからなかったあの男子生徒の供養もしたかったのだ。
ブーブー
家の呼び鈴が鳴った。
「あれ、誰か来た」
菅野は「はーい!」と返事をしながら、電話口の母に早口で伝える。
「ちょっと、誰か来たみたいだから。また連絡する」
電話を切ろうとすると、母の声が聞こえた。「賢治、彼女か~」。菅野は返事をすることなく電話を切り、玄関へ向かった。
ガラガラガラ
引き戸を開けると、そこには何やら美味しそうな香りをさせた生来が立っていた。彼は菅野の顔を見るなり、赤いホーロー鍋を無造作に差し出してきた。
「今日はカレー」
「あっ、ありがとう。いつも悪いな。そういえば、今朝、お母さんに会ったぞ」
菅野は鍋を受け取りながら言った。何も言わずに視線を外している生来を見て、菅野は少し心配になり、「良かったら、カレー、一緒に食べようぜ」と誘ってみた。
・・◇・・◇・・◇・・◇・・◇
二人でカレーを食べ、テレビを観て、なんてことない話をしてのんびり過ごしていると、生来は徐々に菅野の部屋でリラックスしてきた。
生活に必要最低限なものしかない、さっぱりとした部屋。どこか懐かしいような純和風の部屋。縁側からは海の香りが漂う。
「なんか、この家落ち着く。俺、毎日ここで飯食いたいわ。やすらぐ」
長い足をパタパタさせて、生来は楽しそうに言う。菅野は自分に心を開きつつある、そんな無邪気な生来の姿を見て心から嬉しかった。
海が月光を反射してきらめく中、生来(セイラ)は静かに語り始めた。中学二年生の時に素潜り中の事故で亡くなった兄の話だった。
「兄貴はよく言ってたんだ。海の中にいると、地球と一つになるみたいだって。多分、海の魔力に捕まっちまったんだと思う」
菅野は、生来の不登校の理由に触れるような言葉に耳を傾けた。
「俺、兄貴と同じ歳になった時から、学校に行けなくなったんだ。もし兄貴が生きていたらどうしてただろうって、そんな思考に縛られて。つくづく自分って弱いなって思うわ」
生来の琥珀色の瞳は、遠くで静かに揺れるさざ波の海をじっと見つめていた。菅野は生来の告白の意味を噛み締めながら、かける言葉を探していた。
「あのさ、俺が思うに、お前が学校に来てなかった時って、きっと、自分自身と向き合っていた時なんじゃないかなと思うんだ。だから、弱いとか思わないよ。むしろ、一人で考え続けてたお前のこと、格好いいなと思うけどな」
菅野の言葉に、生来の肩が微かに震える。二人は押し黙り、沈黙が降りた。
「あっ!トビウオ!」
その静寂を破るように、生来が突然声を上げた。二人はとっさに縁側に出て海を見る。トビウオはもう海の中に飛び去っていたが、月光が降り注ぐ波が揺れていた。
しばらく二人で夕涼みを楽しんだ後、生来は上機嫌な様子でその晩、菅野の家を後にした。
波立つ うみの蜂 @uminohachi
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