第5話
朝が来た。昨晩の生来(セイラ)とのやり取りが脳裏をよぎるが、あの奇妙な感情を心の隅に押しやるように、ヒルサイド産婦人科を足早に通り過ぎた。
春めいた空気が心地よく、徒歩で通勤できる幸せを噛みしめる。菅野は通勤ラッシュをテレビでしか見たことがないが、あの雑踏の中に自分がいる姿を想像しただけで疲労を感じる。
生徒たちより一時間ほど早く出勤し、本日の流れを確認する。次々と他の教師も出勤し、その中に堀口の姿もあった。
堀口は菅野を見ると軽く会釈し、その姿に(やっぱり、堀口先生を可愛いと思う気持ちの方がノーマルだな)と自分自身を納得させた。
定刻になり、朝の会を開くため、菅野は三年一組の教室へと入った。生徒たちはおしゃべりしている者、自習する者、まだ眠いのか寝ている者もいた。
「はい、おはようございます!」
菅野は大きな声で生徒たちの意識をこちらに向けた。
(よし、みんな、元気そうだな)
と一人ひとりの顔を見た後、生来の席に目をやるが、そこは空席だった。
(また昼休みに電話してみよう)
と菅野は思った。
昼休みになり、生徒たちの声で教室や廊下は賑やかだ。学院にはカフェテリアがあるので、大半の生徒はそちらへ向かった。菅野は教壇の上を片付け、ちょうど職員室に向かおうとしていたその時、
「生来が来た!」
の声が耳に飛び込んできた。菅野が声のする方に目を向けると、数人の女子に背中を押され、腕を引っ張られ、まだ教室にいた菅野の目の前に連れてこられる生来の姿があった。
昨晩の初対面は暗闇の中だったが、今は外から差し込む太陽の光が生来を照らし、その容姿がはっきりと見てとれる。真っ白な肌に栗色のウェーブのかかった髪。あの時は目の色までは分からなかったが、日本人にしては色素の薄いブラウンだ。菅野はまたしても目を奪われてしまった。そんな自分に気づかれぬように
(ここは大人らしい振る舞いで応対しようじゃないか)
と思ったのだが・・・
「お、おっ!せ、生来!昨日の夜も会ったな!ミーコ、元気か?」
どうも、菅野はこの美しい生徒を前にすると、恥ずかしくなってしまうようだ。美しいもの、洗練されたものなど無縁な人生だと思っていたし、都会的なものや異国的な雰囲気も苦手だ。自分の容姿からしても、一見、海の男。ごつごつした体格と浅黒い肌。実に男らしいと言えばそうかもしれないが、洗練とはほど遠く、「無骨」という言葉が合うのではないかと自分では思っていた。
女子たちは生来の登校がよほど嬉しいのだろう。この超絶イケメンを新担任に見せつけたい様子で、ニコニコしながら菅野の前に生来を押し出していた。
「なんだ~、菅野先生と生来って、もう知り合いなの?」
女子の一人、二宮透子が驚いた口調で言った。昨晩の件をどのように伝えればいいのか困ってしまう菅野だったが、
「もう知り合いだよな? 生来?」
と、先ほどの恥じらいを隠しつつも、余裕の笑みで返した。
「まあね。んじゃ、俺、とりあえず、腹減ったし、カフェテリアでも行くわ。」
と生来は涼しげな表情でその場を離れると、女子たちは甲斐甲斐しく王子の世話を焼く女官のように、一同、生来を追いかけてカフェテリアに行ってしまった。
生来があまりにそっけないので、昨日の夜の出来事がなんだか夢のように思えた菅野だった。
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