第2話「正義は拡散される」
エージェントは、PCの画面を見つめたまま、三時間が経過していた。
五年前の記事のスクリーンショット。自分の別アカウント名。そして、「自殺未遂」という文字。
マグカップの中身は、とっくに冷めている。
通知音が鳴った。
新しいDM。
エージェントは、画面を切り替えた。いつものルーティンに戻る。感情は、後で処理すればいい。
差出人:@silent_regret_03
件名:なし
本文は、妙に事務的だった。
復讐の依頼をしたいです。
①復讐したい相手の情報
氏名:私自身
年齢:34歳
職業:事務職
関係性:加害者
②裏切りの内容
私は四年前、ある女性インフルエンサーを集団で叩いた一人です。彼女は引退しました。私は当時、それが正しいと信じていました。今は、正しかったとは思えません。でも、謝罪する資格もありません。
③ご希望の復讐方法
私を「正義の側」として、復讐してください。私が何をしたのか、拡散してください。
④証拠資料
添付ファイル:当時の私の投稿ログ、被害者の配信アーカイブ
エージェントは、添付ファイルを開いた。
四年前のツイートログ。
『こいつマジで最低。被害者ヅラすんな』
『こんな奴が稼いでるとか終わってる』
『引退しろ』
次々と、攻撃的な文章が並んでいる。
そして、被害者——元インフルエンサーの女性の配信アーカイブ。画面の中で、彼女は泣いていた。
エージェントは、ファイルを閉じた。
そして、依頼者のプロフィールを確認する。
フォロワー数:47人
投稿数:ほぼゼロ
最終投稿:三年前
この人は、もう「発信する側」ではない。
エージェントは、マウスを動かし、返信画面を開いた。
数秒、考える。
この依頼は、受けるべきではない。
理由は単純だ。
依頼者はすでに反省している
社会的制裁も、ある程度は受けている
今さら晒しても、誰も救われない
エージェントは、そう判断した。
だが、次の瞬間、別の思考が頭を過った。
「今のSNSは、"反省者"を叩くのが一番伸びる」
謝罪しない加害者より、
謝罪した加害者の方が、炎上する。
なぜなら、人々は「許すかどうか」を議論したがるから。
エージェントは、手元のマグカップに新しいココアを注いだ。六杯目。
そして、返信を打った。
『案件として受理します』
翌日。
エージェントは、復讐プランを組み立てた。
まず、依頼者のログから、最も攻撃的な投稿だけを抽出する。
『こいつマジで最低。被害者ヅラすんな』
『引退しろ』
これを、単体で切り出す。
次に、被害者の配信アーカイブから、泣いている場面のスクリーンショットを切り取る。
そして、投稿文を作成する。
嘘は書かない。
ただ、文脈を編集する。
《@revenge_agent》の投稿画面。
『【案件報告No.54】正義の名の下に』
四年前、ある女性インフルエンサーが引退に追い込まれました。
理由は、集団での誹謗中傷。
その中心人物の一人が、今も「普通に暮らしています」。
画像1:依頼者の攻撃的な投稿(4枚)
画像2:被害者が泣いている配信のスクリーンショット
キャプションは、最後に一文だけ追加した。
この人は今、どこで何をしているのでしょうか。
投稿。
反応は、予想以上だった。
投稿から30分。
リツイート数:12,483件
いいね数:34,127件
コメント欄は、瞬く間に埋まっていく。
『また女が女を叩いてる』
『反省したフリが一番ムカつく』
『こういう奴は一生許されなくていい』
そして、正義系インフルエンサーが引用リツイートした。
「加害者は忘れても、被害者は忘れられない。これが現実です」
フォロワー20万のアカウント。
炎上は、加速する。
その日の夕方。
エージェントのDMに、新しいメッセージが届いた。
差出人:@silent_regret_03(依頼者)
『こんなに広がると思いませんでした』
『職場の人たちが、私のことを見ています』
『家族の名前も、特定されました』
エージェントは、メッセージを見つめた。
既読をつけない。
返信もしない。
そして、次のDMを開く。
差出人:@yuki_streaming(被害者・元インフルエンサー)
本文:
『あなたのアカウント、見ました』
『私、もう忘れたかったんです』
『あの人が謝りたいって、去年連絡をくれました。でも、私は断りました。許せなかったから』
『でも、こんな風に晒されるのも嫌でした』
『もう、そっとしておいてほしかった』
エージェントは、画面を見つめた。
被害者も、救われていない。
依頼者は、さらに壊されている。
それでも、投稿は伸び続けている。
フォロワー数:17万2,891人
過去最高の増加率。
夜。
エージェントは、投稿を削除しようとした。
だが、指が止まる。
削除すれば、「逃げた」と言われる。
逃げた方が、さらに燃える。
それは分かっている。
エージェントは、マグカップに手を伸ばした。
激甘のココア。七杯目。
口に含む。
甘さを、感じない。
翌朝。
《@revenge_agent》のコメント欄には、新しい議論が生まれていた。
『でも、加害者にも人権はあるよね?』
『いや、人を傷つけた奴に人権とか言うな』
『復讐代行も、やりすぎじゃない?』
『被害者の気持ち考えろよ』
意見は、真っ二つに割れている。
だが、どちらの意見も、エージェントのアカウントを「引用」し、「拡散」している。
議論は、数字になる。
対立は、コンテンツになる。
その日の午後。
新しいDMが届いた。
差出人:@brandex_official(広告代理店)
件名:企業案件のご相談
本文:
《@revenge_agent》様
いつも投稿を拝見しております。
弊社クライアントの新商品プロモーションにおいて、
貴アカウントとのコラボレーションをご検討いただけないでしょうか。
詳細は別途お打ち合わせの機会をいただければ幸いです。
エージェントは、画面を見つめた。
復讐は、ビジネスになる。
正義は、商品になる。
エージェントは、PCの前に座ったまま、独白した。
声には出さない。
ただ、心の中で。
正義は、事実よりも——拡散に向いているかどうかで決まる。
画面の隅に、通知が表示され続けている。
新しい依頼。新しいコメント。新しいフォロワー。
エージェントは、マグカップを手に取った。
中身は、もう冷めている。
でも、八杯目を注ぐ。
指先が、冷たい。
その夜。
エージェントは、再び@anonymous_truthからのDMを開いた。
五年前の記事。自分の別アカウント名。
そして、新しいメッセージが届いていた。
『あなたが今やっていることと、五年前にやったこと——何が違うんですか?』
『次の依頼を送ります。受けるかどうかは、あなた次第です』
エージェントは、返信しようとした。
だが、何を打てばいいのか、分からない。
画面には、フォロワー数が表示されている。
172,891人
数字は、増え続けている。
正義は、拡散され続けている。
そして、誰も救われていない。
エージェントは、マグカップを口元に運んだ。
甘さは、もう感じない。
【第2話 終わり】
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