第十三話 第三帝國


12.



 ―――髙島とマリヤが飛び込んだ先に広がるのは、五〇メートル間隔でグラウンドライトが灯された、底冷えのする仄暗い通路だった。




 その通路は、視界が捉える限り果てしなく続き、まるで巨大な生物の食道を歩いているかのような錯覚を抱かせる。


 コンクリートの壁面は湿り気を帯び、ライトの頼りない光を鈍く反射していた。


 先が見えないという事実は、二人の剥き出しの恐怖心を容赦なく逆なでする。




 「……ど、どうするの……? ここ、どこまで続いてるの……?」




 マリヤが消え入りそうな声で訊く。


 その肩は小刻みに震え、握りしめた彼女の手からは冷たい汗が伝わってきた。




 「とにかく、先に進むしかない。ここに留まるのが一番危険だ」




 髙島は荒い息を必死に整えながら、マリヤの手をさらに強く握り返した。  


 振り返る余裕などない。背後の闇の奥から、自分たちを追い詰める「何か」の気配が、音もなく迫っている気がしてならないのだ。




 足元の低い位置から照射される光は、二人の影を壁面に長く、歪に引き延ばす。


 その揺れる影さえもが、自分たちを嘲笑う追跡者のように見えた。


 周囲は耳が痛くなるほどの静寂に包まれているはずなのに、耳の奥ではドクドクと激しい鼓動が鳴り響き、自分たちの足音だけが異常なほど大きく通路に反響する。




 「早く……進まないと……彼奴等が、来る……」




 マリヤの声はかすかに震え、湿った空気が首筋にまとわりつくたびに、彼女はひきつけを起こしたように身をすくませた。  


 髙島は強迫観念に駆られたように何度も後ろを振り返る。


 しかし、ライトの届かない闇の深淵に何かが潜んでいるのか、あるいは既にすぐそこまで迫っているのか、肉眼で確認することは叶わない。




 通路は単調で、景色に変化がない。


 それが余計に距離感を狂わせ、どれだけ走っても一歩も進んでいないような泥沼の感覚に陥らせる。歩幅の感覚が麻痺し、平衡感覚が削られていく。




 「……もう少し……だ、よね? 出口、あるんだよね?」




 マリヤが縋るような視線で髙島を見上げた。その瞳には涙が溜まり、極限の精神状態であることを物語っている。




「うん、もう少しだ。この先に必ず、どこかへ繋がる扉があるはずだ」




 髙島は自分自身に言い聞かせるように、あるいは自分の中の弱音をねじ伏せるように、力強く答えた。  


 一歩、また一歩。鉛のように重くなった足を無理やり前へ運ぶ。  等間隔に続くグラウンドライトは、まるで二人の命のカウントダウンを刻むメトロノームのようだった。




 逃げるしかない――。  


 思考を停止させ、ただその本能的な衝動だけを燃料にして、二人は底の見えない暗闇の奥へと突き進んでいった。





13.





 ――髙島とマリヤが駆け抜ける通路の先、闇がほんの少し薄れた瞬間、前方に影が立ち塞がった。




 「……!?」




 二人の足が止まる。


 目の前には、冷徹な瞳を光らせた、先程の黒スーツの男が立っていた。拳銃が静かに構えられ、銃口は髙島の額を正確に射抜く角度で向けられている。


 「――さっきの……あの男の人!!」


 マリヤが叫ぶが、声は震えている。




 「生憎だが、貴様等が向かっているニコライ堂はもぬけの殻だぞ?」


男の声は低く、通路に反響し、二人の鼓動をますます速くさせた。


 「―――淺草槗に向かった連中含め、不味い肉では足りんとの御達しだ」




 マリヤの瞳が大きく見開かれる。


 「――ニコライ堂が、全滅……なんて、そんな……嘘でしょう……!?」


 震える声に、恐怖と信じたくない気持ちが混ざっている。


 「だ、だって……あそこは、祈りの場だよ。そんな簡単に……安全な場所って聞いたもん……!」


 言葉を絞り出すように吐きながらも、二人の前に立つ男の冷たい瞳が、その希望を打ち砕く。





 男は一歩踏み出し、その動作はまるで獲物を狩る狩人のように静かで、無駄がなかった。


 「名乗っておこう――元ウクライーネ國家弁務官区所属。親衛隊大尉、シュミットだ」




 その瞳が二人を鋭く射抜く。


 「率直に言おう。ポポフ=マリヤを大人しく渡せ。さすれば、その尊き命を刈り取らんで済む――ヘブライ共ならいざ知らず、先の大戰で共に闘った同志の倅をこの手で撃ちたくはない」


 銃口の冷たさに、二人は息を殺し、身を固くする。




 ―――その言葉とは裏腹に、引き金に掛けられた指は、微動だにしていなかった。

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