第四話 ヘンペルのカラス
9.
死体が灰になり、静かに崩れていった。
隧道に立ち込める焦げた匂いはまだ濃いのに、そこに“人”の気配は欠片も残っていない。
エレナは、灰を一瞥するとマリヤへ歩み寄った。
「改めまして。魯西亞正教より、貴方の救出要請により参りました。
マリヤは、きょとんとエレナを見上げる。
彼女は恐怖で震えるわけではない。ただ、つい先ほどまでの戦闘の余韻で眉尻が少し下がっている。
「ううん。大丈夫……。その……助けてくれてありがと、お姉さん」
言いながら、マリヤはスカートの裾をくしゃっとつまむ。
照れているらしい。
エレナは一瞬だけ固まり、すぐ「礼には及びませんよ」と微笑む。「礼には及びませんよ」
声には出ていないが、
謝意を受け取った彼女のそわそわした反応。
加えて、耳がほんのり赤い。どう見ても及んでいる。
「何が何だかわっかんねえよ!!」
ついに髙島が限界突破した。
声が隧道に響き、遠くで反響して返ってくる。
「……時間がありません。質問は二つまで受け付けます」
「いやサービス精神どこ行った!? なんで二つ!?」
「状況的に妥当なのです」
「俺の頭の処理速度は妥当じゃねえよ!!! ――まだ腰が痛むし」
「では、一つ目は?」
髙島は背中を押さえ、「……あれだ。あいつは結局何なんだ……?」と呻くように言った。
「―――吸血鬼の一種です。正確には、南米大陸に逃れた
「濃度の高い説明が急に来たな!? こっちはまだ“灰になった”とこで停止してんだよ!?」
マリヤがぽつりと補足する。
「さっきの、匂いで分かったよ……完全な吸血鬼さんじゃなかった」
「そういう分析いらんのよ! ――真偽はともかく、戌並みの嗅覚で判別すんな!」
エレナは淡々と続ける。
「概要をざっくりと説明するのなら、―――蘇聯や旧
「待て待て待て。理解が追いつかん。
なんで当たり前みたいに言えるんだよ!」
マリヤはむっとして、頬をふくらませる。
「……おにーさん、失礼じゃない?」
「あ、ごめん……!」
怒られた。
理不尽に見えて、理不尽じゃないのが余計に怖い。
「蛇足ですが――吸血鬼発生の定説として時の教皇、イノケンティウス八世……」
「蛇足なら言うな! 今は蛇足を処理する余裕がねえ!!」
「ですが、理解には必要なのです」
「俺のキャパを理解しろ!!」
「――では二つ目を」
「……お前とあの化け物が使ってた“魔法みたいな”やつ。
説明してくれ」
エレナは、まるで「では理科の授業を始めます」とでも言うように軽く頷いた。
「魔法“みたい”ではありません。魔法そのものです」
「だから軽いんだよ言い方が!!」
エレナは気にした様子もなく、淡々と続ける。
「―――魔術には大きく二つの原理があります。
一つは“類似の法則”、もう一つは“接触の法則”。前者を類感、後者を感染と呼ぶこともあります。
この世界に存在する古典的な呪術体系は、全てそのどちらか、あるいは両方に属します」
髙島は一瞬で困惑した。
「いきなり哲学書みたいな話が始まったぞ!?」
マリヤも髙島同様、頭上にハテナを浮かべる。
「――類似の法則とは、“似たものは、互いに作用する”という仕組みです。
たとえば、炎の紋章を描けば炎が起こる。氷の形象を刻めば冷気が生じる。
雨乞い、てるてる坊主なんかもそうです。
神話や宗教の象徴と現象は、互いの“似ている”という理由で結びつくのです」
「いや待て! “似てるから発動”って理由弱すぎね!? そんなノリで爆発すんなよ!」
「古代から続く立派な体系です。『金枝篇』にも、明記されているのです」
「権威で押すな! 俺は今日初めて魔法の存在知った一般人だぞ!!」
エレナは表情ひとつ変えず、さらに続ける。
「――そしてもう一つ。“接触の法則”。
これは“かつて触れたものは、離れても繋がり続ける”という原理です」
エレナは補足する。
「たとえば、髪の毛や爪を藁人形に詰め込み、それに向かって五寸くぎを打ちこむ、『丑の刻参り』などがそれに該当します。
しかし、手間と時間が掛かるのであまり実用的ではありません。
それに、民俗学的に言うと、“穢”と"ケ”の境界が、人間さんとは異なるため――」
「いや専門用語増えた!? 俺の脳みそもう限界突破してるぞ!?」
エレナは小さく息を吐き、まとめるように言った。
「要するに――
魔術とは、“似ているものは同じように働き、接触したものは永遠に繋がる”という二つの原理で構成された体系的な術です。
昔は呪術とも呼ばれましたが、どれほど時代が進んでも原理そのものは変わりません」
「体系的ってレベルじゃねえ!! 実践するな!!」
マリヤは「ね、すごかったよね……」と、解っているのかは不明だが、純粋に感心している。
怖がっている気配は一切ない。むしろ、目が少し輝いている。
その姿は、イルミネーションや花火の思い出に浸るかのようだ。
髙島はその場で膝に手をつき、
「俺、今日の分の常識ポイント全部使い切った……」
「……まあ、信じるかどうかは髙島さんに委ねますが」
「委ねる前に俺の常識を返してくれ!!」
………髙島は思った。
この女はやり手だと。
普段なら非現実的な虚言として、髙島は「信じるわけがない」の一点張りだろう。
しかしだ。
………あれを見せられたのだ。
それも、ただ見せられたのではない。はっきりとその場に居合わせて、体験もしている。
当然懐疑的ではあるが、
百聞は一見にしかず。
ヘンペルのカラスだ。
この瞬間。
それが居ない、存在しないと決めつけることは髙島には出来ないのだから。
エレナはくるりと背を向ける。
「説明は以上です。行きましょう」
マリヤはひょこっと後をついていき、歩幅が合わなくて小走りになる。
髙島は両手を広げて空を仰ぎ、
「……俺、今日だけで胃に穴あきそうなんですけど……?」
と死んだ魚のような目でつぶやいた。
この時の髙島は、學校のことなど、とうに忘れていた。
そのまま、一行は隧道を後にした。
静かになった空間に、三人の足音だけが遠ざかっていく。
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