第6話 カイルの苦悩と秘密のレシピ
帝国軍、第十三独立輜重部隊。 そこは戦場において「最も命が軽く、最も志が低い」と蔑まれる、落ちこぼれの料理番たちの溜まり場だった。だが今、その厨房の一角からは、およそ軍隊の炊き出しとは思えない「殺気」と「芳香」が漂っていた。
「……火力が足りない。もっとだ」
カイルは、魔導コンロの出力ダイヤルを最大まで回した。 青白い炎が唸りを上げ、厚さ三センチの特注鉄板を真っ赤に染める。その上で踊っているのは、通常の軍馬さえも一撃で仕留める凶暴な魔獣『ハングリー・ボア』の肩ロースだった。
魔獣の肉は、魔力という名の極上のカロリーを内包している。だが同時に、その繊維は鋼のように硬く、並の人間が食せば内臓を焼くほどの毒素を含んでいた。
「カイル、もういい加減にしろよ。そんなの食えるわけないだろ。第一、軍令違反だぞ」
同僚の兵士が遠巻きに声をかける。カイルは返事もせず、包丁を手に取った。 彼がこの数年、狂ったように続けているのは「高エネルギー食材の無毒化と軟化」の研究だった。
(アイゼングレイズの聖女……ルナ)
包丁の刃が肉を刻むたび、あの日出会った銀髪の少女の姿が脳裏に浮かぶ。 最新の諜報によれば、彼女は今、国家規模の「食糧不足」に直面しているという。あまりに巨大すぎる彼女のギフト――『鉄傘』を維持するためには、並の食事では足りないのだ。
(あいつの胃袋が、世界中の鉄を噛み砕く怪物になる前に……俺が、それを満足させる飯を作ってやる)
カイルが編み出したのは、帝国の軍事技術を応用した「禁断のレシピ」だった。 まず、魔導回路を組み込んだ特殊な塩で肉を包み、重力魔法に似た圧力をかけながら、低温で長時間熟成させる。これによって魔獣特有の毒素をエネルギーへと分解し、鋼のような筋肉を、舌の上でとろけるような至高の食感へと変質させるのだ。
「……よし。仕上げだ」
カイルが自作のスパイスを振りかける。 瞬間、厨房中に弾けるような香りが広がった。それは、戦場の泥臭さを一瞬で忘れさせる、暴力的と言えるほど食欲をそそる香りだった。
カイルは一切れを切り出し、自身の口に運ぶ。 噛んだ瞬間、爆発的な旨味のスープが溢れ出した。全身の細胞が沸き立つような熱いエネルギー。これだ。これなら、あの底なしの飢えを抱えた少女を満たせるかもしれない。
「カイル! 出頭命令だ。上層部がお呼びだぞ」
憲兵が厨房になだれ込んでくる。カイルは冷静に鍋の火を消し、エプロンを脱いだ。
通されたのは、帝国の影、情報部の司令室だった。 「カイル・ヴァン・クロム。貴様の料理の腕と、隠密行動の才能を買っている」
冷酷な眼差しをした将校が、一枚の地図を広げた。そこには、近年急速な発展を遂げている『アイゼングレイズ領』の印があった。
「現在、帝国はあの忌々しいスクラップ屋どもに食糧封鎖を仕掛けている。だが、それだけでは足りない。貴様には『潜入工作員』としてあの領地に潜り込み、聖女ルナの弱点を探ってもらいたい」
カイルの瞳がわずかに揺れた。 「……弱点、ですか」
「そうだ。必要とあらば、その得意の料理に毒でも盛れ。成功すれば、貴様を特級調理官として昇進させてやる」
カイルは無言で頭を下げた。 だが、その背中のリュックサックには、暗殺用の毒薬など一滴も入っていなかった。 代わりに詰め込まれたのは、厳選された岩塩、自作のスパイス、そして――。 先ほど完成させた、魔獣肉の熟成ロースト。
(毒なんて盛るもんか。……俺が盛るのは、お前が一生忘れられないくらいの『旨味』だけだ、ルナ)
数日後。 アイゼングレイズ領の国境付近。 検問所の近くで、ルナはふと立ち止まり、銀色の髪を風になびかせた。
「……あれ?」
「どうしたの、ルナ。またお腹が空いた?」 隣を歩く母イザベラが尋ねる。ルナは不思議そうに鼻を動かした。
「いえ……。なんだか、すごく懐かしい匂いがしたんです。おにぎりみたいな、でも、もっと力強くて、温かい……お肉の匂い」
遠くの森から、一人の少年がこちらに向かって歩いてくる。 帝国の軍服を脱ぎ捨て、一人の「料理人」として。 アイゼングレイズの聖女と、孤独な料理番。二人の運命が再び交差するまで、あと、わずか。
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