第5話 女傑イザベラの交渉術

「……もう一度、よろしいでしょうか、イザベラ閣下」


アルザス王国の特使、エドモン男爵は、額に滝のような汗を浮かべながら問い返した。 アイゼングレイズ家、黄金の応接室。窓の外には、ルナが整備した「リサイクル・ロード」を、ひっきりなしに物資が往来する活気ある光景が広がっている。


だが、室内の空気は氷点下に近い。


「ええ、何度でも申し上げますわ、エドモン閣下」


イザベラは優雅にカップを置き、計算尺を指先で弄んだ。


「我がアイゼングレイズ領が提供する『超圧縮クロム鋼』の供給量を三割減らし、かつ、単価を五割引き上げさせていただきます。これが、次の四半期の契約更新条件ですわ」


「な、……無茶だ! 我が国は今、帝国との国境紛争で、盾一枚、剣一本さえも足りない状況なのです! この価格では、我が国の国庫が底を突いてしまう!」


エドモンが悲鳴のような声を上げる。対するイザベラは、完璧な淑女の微笑みを崩さない。


「あら、それは困りましたわね。ですが、この鋼鉄は娘のルナが、その身を削って生成しているもの。彼女の『燃料費』……つまり、日々の食費が近頃、異常に高騰しておりますのよ」


「食費……? 鋼鉄の価格を五割上げる理由が、お嬢様の食費だと仰るのか!?」


「ええ。昨夜、ルナはこう申しておりました。『最近、お肉の質が落ちた気がするわ。……ああ、なんだか鉄傘の出力が安定しなくて、鉄の純度が落ちてしまいそう』と」


イザベラの瞳が、冷徹な捕食者の色を帯びる。


「……純度が落ちれば、貴国の兵士が持つ盾は、帝国の魔導砲に耐えられず、紙細工のように弾け飛ぶでしょうね。さて、エドモン閣下。兵士の命と、我が娘のデザート代。天秤にかけるまでもなく、どちらが重いかはお分かりでしょう?」


エドモンの背筋に凍りつくような戦慄が走った。 アイゼングレイズ家はもはや、ただのスクラップ屋ではない。素材の供給権という名の、世界の心臓を握る「経済の心臓部」なのだ。


そこへ、部屋の扉がノックもなしに開いた。


「お母様! お腹が空いて、もう背中の傘が勝手に回り始めちゃいました……っ」


入ってきたのは、白銀の髪を揺らし、少しだけ頬を膨らませたルナだった。 彼女が登場した瞬間、室内の重力がわずかに増した。エドモンのティーカップの中で、紅茶が奇妙に波打つ。


「ルナ、お客様の前ですよ。……でも、ちょうどいいわ」


イザベラは娘を手招きし、その髪を優しく撫でながらエドモンを見た。


「閣下。この子の機嫌が直れば、契約も少しは融通が利くかもしれません。……アルザス王国が独占している、魔導平原の『虹色ドラゴン苺』。あれの今季の全収穫量と、その栽培苗の提供。それを追加の契約条件(ボーナス)に加えさせていただけるかしら?」


「虹色ドラゴン苺……! 我が国の王室御用達、黄金と同価値と言われるあの至宝を、おやつにしろと!?」


「あら、ルナの血肉になるのですもの。黄金よりも価値ある使い道ではなくて?」


ルナは「虹色ドラゴン苺」という単語を聞いた瞬間、パァッと顔を輝かせた。その純粋無垢な、しかし強大すぎるエネルギーを秘めた瞳が、真っ直ぐにエドモンを射抜く。


「……あの、それがあれば、私、もっともっと頑張って、丈夫な鉄を作れます!」


(……勝てない)


エドモンは悟った。この親子は、食欲という名の純粋な欲望を、国家を動かすレバレッジに変えているのだ。


「……承知、いたしました。……契約書を、修正してください」


力なくペンを取る外交官を前に、イザベラは勝利の女神のごとく微笑んだ。


一時間後。 外交官が逃げるように去った応接室で、ルナは母が勝ち取った「特注苺のミルフィーユ(先出しサンプル)」を幸せそうに頬張っていた。


「おいしい……! お母様、交渉って素晴らしいですね!」


「そうよ、ルナ。あなたが美味しく食べることは、アイゼングレイズの正義であり、世界の法なの。……アイゼン、今の会話は記録したかしら?」


影に控えていたアイゼンが、大きな親指を立てる。


「バッチリだ。これでまた、ルナに最高の肉も買えるな。……だが、イザベラ。あまり隣国の財布を絞りすぎると、変なネズミが紛れ込むぞ」


「あら、それならそれで構わないわ。……ルナの『運動不足』を解消する、いいデザートになるでしょうから」


イザベラの予見通り。 その頃、王国の国境を越え、黒い影たちがアイゼングレイズ領へと侵入を開始していた。 アイゼングレイズの経済支配を破壊するために帝国が放った、特殊工作部隊。


しかし、彼らはまだ知らない。 彼女たちの「おやつ」を邪魔することが、どれほど恐ろしい「重力」を招くことになるのかを。

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