第2話:伝説の聖剣(※ただしローズさんの肩たたき棒に限る)

魔王が「生姜焼き定食」のついでに滅ぼされ、最強の四人組がローズさんの「愛のアイアンクロー」によって王都の石畳の一部と化した翌日。

 王都の朝は、驚くほど平穏……ではなかった。

「……見てくれよ、カイル。この溢れんばかりの神々しい輝き、そして銀河の彼方から直接脳髄に響いてくるような魂の咆哮(レゾナンス)を」

 魔法使いのゼノンが、ギルドへ向かう道すがら、一本の剣をこれ見よがしに掲げた。

 それは、鞘に収まっている状態ですら周囲の空間を陽炎のように歪ませ、通りすがりの野良犬が本能的にひれ伏し、信心深い老人が思わず拝んでしまうほどの、圧倒的な神聖プレッシャーを放っていた。

「ああ? なんだよそれ。眩しいな。寝不足の目に刺さるんだよ、その蛍光灯みたいな棒」

 剣士のカイルが、大きな欠伸をしながら、昨日のアイアンクローで未だにミシミシと鳴るこめかみを押さえて答える。

「……貴様、これがただの棒に見えるのか!? これは昨日、魔王が埋まったクレーターの底、ちょうどマントル付近から生えていた、一千年の封印を経て目覚めた伝説の聖剣『エクスカリバー・リミットオーバー』だぞ! 神が自らの爪を研いで造り上げ、一振りで概念ごと敵を両断するという、この世の物理法則の頂点に立つ刃だ!」

「えっ、何それ!? 伝説の!? 一千年の!? それって売ったらいくらになるの!?」

 僧侶のシエルが、聖職者にあるまじき音速のステップで食いついた。彼の瞳はすでに「$」と「¥」の形に変形し、よだれが聖衣を濡らしている。

「鑑定スキルによれば、国家予算三百年分は下らないね……。これ一本あれば、僕たちが一生遊んで暮らせるどころか、隣の帝国を丸ごと買い取って僕専用の『黄金の脱税神殿』を建立できるよ! さあゼノン、今すぐそれを僕に預けなさい。手数料はたったの九割でいいから!」

「よせ、シエル。これは俺の右腕に宿る、選ばれし闇の魔力と共鳴する運命のパートナーなんだ。……フフ、ようやく俺の真の力に見合う獲物が見つかったというわけだ」

 ゼノンが黒いマントを翻してポーズを決めるが、その横で重戦士のオーガが、聖剣をひょいと、まるで道端の小石を拾うような軽やかさで奪い取った。

「重いな、これ。十トンくらいあるか? ……ちょうどいい、俺のトレーニング用のダンベルが壊れたところだったんだ。これでスクワットをすれば、俺の大腿四頭筋がさらに高みへ――」

「返せ! 聖なる力で貴様の不浄な筋肉が浄化されて消えるぞ! それは筋肉を鍛える道具じゃない、神の業火を放つ道具だ!」

 そんな騒がしくも、世界のパワーバランスを一人で破壊しかねない四人が、いつものように冒険者ギルド『筋肉の揺り籠亭』の重厚な扉を蹴破った。……正確には、扉に触れる前にゼノンの魔力で扉が自ら開いて避けた。

 だが、その瞬間に彼らの足は、凍りついたように止まった。

 ギルドの中に、昨日以上の、いや、これまでの人生で一度も経験したことがないほどの「負のオーラ」が、物理的な粘度を持って充満していたからだ。

 酒場のテーブルは恐怖で白く凍りつき、屈強なS級冒険者たちは壁際に一列に並び、般若心経を唱えながら震えている。空気は重く、吸い込むだけで肺が焼けるようなプレッシャー。

 その元凶は、受付カウンターの奥にいた。

 推定身長二百十センチ、広背筋が翼のように広がり、フリルいっぱいの可愛らしい制服が、今にも弾け飛ぶボタンを弾丸に変えようとしている「動く要塞」――ローズさんである。

「……あら。おかえりなさい。ガサツで、デリカシーの欠片もない坊やたち」

 ローズさんの声は、いつも以上に低く、マントルを直接振動させる重低音となってギルド全体を揺らした。その額には、血管が「怒」という文字を通り越して、古代の禁呪紋様のような複雑な幾何学模様を描いて浮き出ている。

「ロ、ローズさん……? なんか今日、一段と『圧』が凄くないですか? 大胸筋がもはや岩盤というか、大陸プレートの衝突地点みたいになってますよ……」

 カイルが、本能的な防衛本能から一歩下がりながら尋ねる。

「……当たり前でしょッ!!」

 ドゴォォォォォォォォォォォォン!!

 ローズさんが軽くカウンターを指先で叩いただけで、衝撃波がギルドの全照明を破壊し、二軒隣の建物の屋根が吹き飛んだ。

「あんたたちが昨日、魔王を『ランチのついで』に倒したせいで、ギルド連合本部のクソジジイどもから『討伐証明の再発行』だの『環境破壊の始末書』だの、書類が五万枚も届いたのよ! 一晩中、徹夜で、この私に! 判子を押し続けさせたのよッ!! おかげで……私の完璧にビルドアップされた僧帽筋が、今、ダイヤモンドより硬い鉄板みたいにガッチガチに凝り固まっちゃったじゃないのォォォッ!!」

 ローズさんは、極太の指で自分の首筋をボリボリと掻いた。その音は「カリカリ」などという生易しいものではなく、「ゴリッ、メキッ」と、地殻変動が起こる際の破砕音そのものだった。

「肩こり……ですか?」

「そうよ! 乙女にとって、睡眠不足と肩こりは最大の美肌の敵だわ! ああん、もう、イライラする! 誰か、この私の『鉄壁の要塞(かた)』を解きほぐせる、骨のある男はいないのッ!? いなきゃ、今すぐこの王都を更地にして、私のマッサージ台にしてあげるわッ!!」

 ローズさんが吠えるたびに、王都全域の鳥が一斉に南へ逃げ出し、噴水が逆流した。

 カイルたちは顔を見合わせた。ここで彼女の機嫌を直さなければ、魔王討伐の報酬どころか、自分たちが「人間消しゴム」として彼女の書類作業の犠牲になる。

「よし、オーガ! お前、筋肉のことなら詳しいだろ! お前のその無駄な怪力で、ローズさんの肩を揉んで差し上げろ!」

「任せろ! 俺の握力は八百キロ、本気を出せばドラゴンの首も千切れる。どんな凝り固まった筋肉も、マッシュポテトにしてやるぜ!」

 オーガが自信満々に、死地へ向かう兵士のような悲壮な決意を固めてローズさんの背後に回った。その巨大な肩――もとい、鋼鉄の山脈に、彼は極太の手を置いた。

「ローズさん、失礼します! せりゃああああああああああっ!!」

 気合一閃、オーガが全ての指に、大地を穿つほどの力を込める。魔力によって硬度を増した彼の指先は、並のドラゴンの鱗なら紙のように貫き、最上位のゴーレムすらも一撃で粉砕するはずだった。

 パキィィィィィィィィィィィン!!

 ギルド内に、冬の静寂を切り裂くような、あまりにも軽快で、あまりにも絶望的な乾いた音が響き渡った。

「……あだだだだだだだだだだっ!!!」

 叫んだのは、攻撃を仕掛けたはずのオーガだった。

「指が! 俺の指が……関節という関節が、逆に折れたぁぁぁぁ! なんだこれ、硬すぎる! これは筋肉じゃない、物理法則が通用しないブラックホールの塊だ! 俺の握力が、一ミリも食い込まないどころか、反作用で俺の腕が粉砕されそうだ!」

「失礼ね! これは乙女の純情と徹夜のストレスが凝縮された『しなやかな筋肉』よ! ちょっとオーガちゃん、全然効かないじゃないの! 撫でられてるみたいで、余計にイライラするわ! もっとこう、ガツン! と来る、魂を揺さぶるような刺激はないのッ!? 出しなさいよッ!!」

 ローズさんの不機嫌な、黄金の瞳が、震え上がる四人を射抜く。その視線だけで、カイルの剣の鞘がひび割れた。

 その時。ゼノンの手にある『聖剣エクスカリバー・リミットオーバー』が、まるで自らの意志を持っているかのように、一際強く、暴力的なまでの黄金の光を放った。

 まるで、一千年の眠りを経て目覚めた自分が、これこそが真の敵であると、この「史上最強の肩こり」という名の邪悪を断つことこそが我が使命であると、確信したかのように。

「……ゼノン、それだ!」

 カイルが血走った目で叫ぶ。

「その聖剣の『神聖高周波振動破砕機能』を使えば、ローズさんの肩こりもほぐれるんじゃないか!? 伝説の刃なら、ローズさんの皮膚に傷をつけずに、中の凝りだけを概念的に切断できるはずだ!」

「……フッ、いいだろう。一千年の封印から覚めた伝説の刃、その初仕事が『ギルド受付嬢の肩たたき』とは、天界の神々も鼻水を垂らして驚くだろうよ」

 ゼノンは震える手で、神々しく輝く聖剣をオーガに託した。

「いいかオーガ。これは世界の命運を握る、神の指先とも呼ばれる剣だ。丁重に、かつ……この世の全ての質量を込めて叩け。聖剣よ、ローズさんのコリという名の『絶対悪』を断ち、俺たちに明日を見せてくれ!」

 オーガは折れた指を、筋肉の収縮だけで無理やり繋ぎ直し、聖剣を構えた。

 ローズさんは「あら、面白そうじゃない。やってみなさいよ」と、無防備に、だが岩石巨人のような圧倒的な威容でその巨大な背中を向けた。

 それが、一千年にわたる伝説の終焉と、新たな理不尽の幕開けであった。

 オーガが聖剣を振りかぶった瞬間、ギルド内の空気が一変した。

 聖剣『エクスカリバー・リミットオーバー』に宿る意思――精霊カリバーンが、ゼノンの脳内に直接、必死の形相で語りかけてきた。

『……待て、主よ。何だ、これは。あの女の背中に見えるのは何だ。あれは……仏か? それとも破壊神か? ……主よ、私はあらゆる邪悪を断つために生まれてきた。だが、あそこにあるのは邪悪ではない。……それは、ただの「圧倒的な物質」だ。この宇宙に存在する全ての質量を一点に、あの僧帽筋に凝縮したかのような……物理の特異点だ。……待て、やめろ、叩くな! 私の方が……折れ――』

「奥義――『伝説の肩たたき(リミットオーバー・プレス)』!!」

 オーガの声と共に、音速の壁を十回ほど突き破った聖剣が、ローズさんの右肩目がけてフルスイングで振り下ろされた。

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!

 ギルドの中に、小規模な超新星爆発でも起こったかのような衝撃波が吹き荒れた。

 爆風で受付の全書類が原子レベルで消滅し、カイルたちは壁にめり込み、ギルドの屋根は空の彼方へと消え去った。王都全域に震度7の衝撃が走り、隣国の観測所が「巨大隕石の落下」を誤認して非常事態宣言を出すほどの威力。

 土煙がゆっくりと、静寂の中に晴れていく。

 カイルたちが恐る恐る、血の涙を流しながら目を開けると、そこには――満足げに、そして優雅に首を鳴らすローズさんの姿があった。

「あら……。今の、ちょっとだけ『来た』わね♡ 少しだけ血行が良くなった気がするわ」

 ローズさんの肩は、かすり傷一つなかった。どころか、神聖な聖剣の光を全て吸収したせいか、お肌が真珠のように白く、ツヤツヤに輝きを増している。

 だが、オーガの手元を見て、全員が凍り付いた。

 彼が握っていたのは、豪華な装飾の施された、虚しい「柄(つか)」だけだった。

 刀身は。

 神が自らの爪を研ぎ、一千年の伝説を誇り、魔王を滅ぼす唯一の希望と謳われた絶対不壊の刀身は。

 ローズさんの僧帽筋に接触した瞬間、そのあまりの硬度と、逆流してきた自身の神聖エネルギーに耐えきれず、パリン、と軽い音を立てて、星屑のような粉末となって四散していた。

「……俺の、聖剣が」

 ゼノンが、真っ白な灰のような顔でその場に崩れ落ちた。

「俺の……国家予算三百年分が……。伝説が……ただの『肩たたき棒』としてすら役に立たず、自爆して消えた……!?」

「あ、あああ……。あ、あ、あああ……」

 シエルが、床に降り積もった「かつて聖剣だった光る粉」を、なりふり構わずかき集め始める。

「これ、これ一袋で金貨一万枚……いや、美容成分があるならローズさんに売れるかな……。ううっ、僕の夢の『脱税神殿』が、ローズさんの肩の一振りで更地になったよ……」

 そんな四人の絶望を他所に、ローズさんは自分の肩をパッパッと、はたきをかけるように払いながら、不満そうに口を開いた。

「もう、汚いわねえ。何なのこの粉? ラメかしら? ……でも、今の衝撃で私の付けまつげが少しズレちゃったじゃないの。……どう落とし前をつけてくれるのかしら、あんたたち?」

 ローズさんの背後に、憤怒の形相を浮かべた、身長百メートルの「筋肉の阿修羅」が幻影となって立ち上がる。その瞳には、聖剣を粉砕した以上の、物理的な殺圧が宿っていた。

 魔王をくしゃみで沈めた最強の四人は、この時、真理を理解した。

 この世界で最も恐ろしいのは、復活した魔王でも、神が造った聖剣でもなく、「徹夜作業でストレスが最高潮に達しているオネエ」であるということを。

「ひ、ひいいいっ! すみません! 何でもします! ギルドのトイレ掃除から、王宮の草むしり、ローズさんの入浴剤の買い出しまで何でもやります!!」

 カイルが必死に、地面に頭を擦り付けて命乞いをする。

「あら、何でもするの? ……ちょうどよかったわ。実は、魔王軍の残党である『四天王』が、私の愛用している特注の『超極濃・ヒアルロン酸配合・美肌泥パック』を輸送中だった馬車を襲撃したっていう報告が入ってるのよ。おかげで今日の私のスキンケアが台無しだわ」

 ローズさんは、バキバキと指の骨を鳴らしながら、満面の笑み(※ただし背後の阿修羅は武器を構えている)で告げた。

「あんたたち、一時間以内にその四天王を全員捕まえて、私のパックを指一本触れさせずに奪還してきなさい。……一秒でも遅れたら、次はあんたたちの骨を削り出して、私のための『特注の肩たたき棒』を造ってあげるわよ♡」

「「「「はい、喜んでぇぇぇぇぇッ!!!」」」」

 最強の四人は、尻にロケットエンジンがついたような勢いで、半壊したギルドから平原へと飛び出した。

 背後で「あ~ん、やっぱり聖剣の粉が目に入って痛いわぁぁぁ!!」という、王都を微震させるほどのローズさんの絶叫を聞きながら。

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伝説の聖剣よりも硬いオネエの肩、それが異世界の真理です。

次回、第3話は「四天王、投げキッスで消滅」をお送りします!

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