The curtain falls

暁 葉留

くそったれハッピーエンド

「ああーー!くそったれ、くそったれ!俺の劇がいっちゃんおもろい、他はカス!!お前ら、見る目ねぇんだよおおお!!!」


世界を切り裂くような。私は彼の声を、いつだってそう形容した。


浅葱あさぎの声が冥色めいしょくの講堂に溶けていく。ステージの上で叫び散らかす彼の後ろ姿を、私は焼き付けるようにじっと見つめる。


「審査員のドブカスーーー!!!」


今から三時間ほど前。私たち西高演劇部の、最後の幕は降りた。演劇コンクールの県大会、浅葱が書いた脚本で、浅葱が演出した舞台で、私は主演女優を務めた。

たどり着いた結果は優秀賞だった。もう一つ上の大会に行くには、あと一歩足りなくて。

そして、それは私の高校演劇の終演をも意味していた。

高校演劇の大会は一年に一回しかない。来年の夏に引退する私たち二年生は、この舞台に全てをかけて挑んだ、んだけど。


うまく状況を呑みこめないままバスに乗り込み、市の会館を後にした。まだ今日を終わらせたくなかった浅葱と私は、気づけばいつも練習していた講堂のステージまでやってきていた。


ぽこん、と手元のスマホが震えた。花火のアイコン、親友の杏奈あんなからだ。


『残りの荷物全部部室に置いといたよ!他の人は解散にしちゃったけど大丈夫だよね?』


部長と副部長が揃って消えた間に、他の部員たちをまとめてくれていたんだろう。あ、り、が、と。片手で不器用にキーボードを打って、後ろめたい思いに指がかじかむ。

ごめんね、杏奈。あと少しだけ、浅葱との時間をください。


『ふつふつと悔しさが湧いてきて死にそう(>_<)絶対、うちらの劇が一番面白かったのに!』


講評シートはバックの奥に突っ込んだまま、まともに読む気にもなれなかった。『主題が抽象的な表現に留まってしまったのが惜しい』『中盤に挟み込まれたコメディのシーンが全体のテンポを崩していた』『切りかえが一辺倒であり、もうすこし工夫が欲しかった』

優秀賞ってこんなに酷評されるものだっただろうか。文字に起こされるといやに圧があって、自信満々で主役をはっていた私もうなだれるしかなかった。


浅葱の伸び切った襟足が、ジャージの襟で跳ねている。部活が忙しくて、床屋にもまともに行けない、と愚痴っていたことを思い出した。


「ねえ、浅葱。杏奈も悔しがってるよ」

「顧問創作がなんだ!?既成台本がなんだ!?俺が書いた物語がいっちゃんおもろいんだっての!!なんでわかんねーのかなああ!!」


聞こえてない、か。柔らかな月の光が、彼のジャージの裾を走っていく。「ステージの上なら何言っても許されんだよ。所詮フィクションなんだから」これは彼の口癖だけど、今はもうとっくに幕が降りた後だ。


現実は物語のようにはうまくいかない。


私が演劇部に入ったのはちょうど一年前だった。今でも鮮明に覚えている。同じクラスの女の子たちにいじめられて、校舎裏でひっそりと泣いていた私に、手を差し伸べてくれた浅葱の笑顔。

理不尽だらけの現実が嫌いだった。敵だらけの教室が嫌いだった。あいつらの笑い声が嫌いで、あいつらの視線が嫌いで、痛いのは嫌で、ひとりぼっちはもっと嫌で。

前なんか向けなかった。声を出そうとするたびに涙が出た。そんな私を、演劇部に誘った演劇バカがいた。


“お前は演劇部に来ればいい。あとは俺がなんとかしてやる“


漫画の主人公みたいな人だなって思った。私が寒がっていたら一切の躊躇なくジャージを肩にかけてくるし、泣いてたら「お前は笑顔の方が可愛いぞ」なんてクサいセリフを吐きながら頬を突いてくる。

毎日おはようと笑いかけてくれる。目が合えば流れるようにウインクをする。

あまりに胡散臭すぎて、最初は苦手だった。自分に酔ってる、ナルシストっぽい。ただの女好きなのかな?なんて、失礼なことを考えたりもした。

でも、付き合い始めて気づいた。

彼は本当に……嫌になるほどに、優しいだけだってこと。


“浅葱に任せれば大丈夫よ。あいつにできないことはないから“


同い年の演劇部員の、杏奈と出会ったのもその頃だ。高校に入って初めてできた私の友達。背が高くて目鼻立ちがはっきりしている彼女は、本当にステージ映えするヴィジュアルで、今回の劇で脇役だったのが勿体無いくらいだった。

良く通る声で、あんたの友達になってあげる、と笑ってくれたあの日から、私は一人で泣くことはなくなった。

後から聞いた。杏奈に私のことを頼んだのは、浅葱だったってこと。


それからの展開は鮮やかだった。それはもう、思い出すだけでにやけてしまうほどに。


「……ほんとに、全部なんとかしてくれたんだもんね」

「まあな。俺、嘘はつかない主義だから」


慌てて顔を上げる。なんでわかったの?浅葱はいつのまにか側まで来ていて、私の顔を覗き込んだ。


「エスパー?」

「以心伝心ってこと。ほら、俺とさくらの仲だろ?」


役を知ることは、自分を知ること。これも浅葱部長の口癖で、私たち演劇部員はそれに従って、自分で思ったこと考えたこと全部、共有して繋がってきた。嬉しい、悲しい、楽しい、嫌い、好き。

眼前で、柔らかそうな髪の毛が揺れる。長いまつ毛が、その下で息をする潤んだ瞳が、綺麗だった。


——私はあなたが、好き。


どうしてこの思いだけが伝わらないのかだけが、不思議だ。こんなに強く思っているのに。


浅葱はひとしきり叫んでスッキリしたのか、私の隣に腰を下ろした。宙にはらんだジャージから石鹸の匂いが薫って、頬が熱くなる。

体温は遠い。手を伸ばせば触れられるほど近くにいるのに、あなたはどこまでも遠い。


聞くなら、今日が最後だ。私は浅く息を吸って、丁寧に言葉を発した。


「ねぇ。なんであの時、私を演劇部に誘ってくれたの?」


俯きがちで、泣き虫だったあの頃の自分。演劇部は部員不足だったわけでもないのに、わざわざ私を引き入れたのはなんでだろう?

なにか他に理由があったのではないか。あなたが私を選んだ理由、例えば……

なんてね。そこまで考えて、自分に呆れた。

なんでそういうこと聞くの。


もう期待するの、やめなよ。


浅葱の視線は、真っ直ぐ講堂の二階部分に向けられていた。瞳にスパンコールみたいな小さい光を宿して。


「世界を変えたかったんだよな」

「え」

「桜の目を見た時、こいつだ!って思ってさ。一緒に世界変えてくれそーな、オーラを感じたというか」


そのまま、ゆらりと後ろに倒れる。膝を立てたままステージに寝転がった浅葱は、ははっと乾いた笑い声をたてた。


「俺の物語で、この世界をぶっ壊す!そう思ってずっと突っ走ってきたんだけどなー……でも、ああやって台本から否定されちゃあな、もうだめだ、よな」


語尾が微かに揺れたのを、私は聞き逃さなかった。目元に置かれた、骨ばった手が震えていた。その薄い唇をかみしめて、ずっ、と一回、大きく鼻を啜る。

浅葱が泣いている。初めて見るその姿を、意外と冷静に捉えている自分に驚いた。

浅葱が泣いている。いつも笑顔で、堂々としてて、私の手を取り新しい世界に連れて行ってくれた浅葱が。


「もうステージはないんだもんな……」


世界を変えられなかったと泣いている。


「俺さ、初めてだよこんな気持ち。どれだけ強く願っても届かねえモンだな、そんで、届かなかったらそこで試合終了なんだもんな。わかってたけど、直面するとやるせなさえぐいな……」

「大学行ってもやれば、演劇。サークルとか研究会とか、探せば色々あるでしょ。アマチュアの劇団とか、」

「……んー。俺さ、『高校演劇』が好きだったんだよ。あの60分間だけは世界が俺のものになって、好き勝手感情ぶつけて主張できる、あの感じが好きだった」


とん、と腕がステージに落ちる。床に残ったバミリ痕を、彼の指先は愛おしそうになぞった。


「大好きだったのになぁ」


焦がれていた。憧憬を抱いていた。あのスポットライトに、開演を告げるブザーに、あなたは恋をしていたんだ。


好きだよ。


「私はいい役者でしたか。舞台監督」


私の問いに、浅葱は少しだけ首を起こして「おう」と笑った。


「桜はいい役者だよ。やっぱエネルギーがあるんだよな、お前には。こう、内に秘めてるものを徐々に発散させていく、みたいな演技がすげぇ良くてさ」

「……そうですか」

好きとは言ってくれないんだね。


私のこと、好きとは言ってくれないか。


スマホをみる。18:58。ああ、もう終わりの時間がやってくる。

私と浅葱の関係が終わっていく。部活の同期。部長と副部長。舞台監督と役者。

あと一つ、一番欲しかった関係性の名前は手に入れられないままで。

彼のポケットからはみ出たスマホに目をやる。


私が言わなければ気づかないかな。


「こんな良い役者を抱えてさあ、くそ、本当になにがダメだったんだよ、もう」


払った涙が、宙に散る。 


ねえ。

なんで部長の相方となる副部長を、それまでずっと隣にいた杏奈じゃなくて私を選んだの。

今回の劇、なんで私を主役に置いたの。


「あーくそったれ世界!やはりリアルはクソだ。次は死ぬほどハッピーエンドの話を書いてやる」


想像してみる。今、弱ってるあなたの襟元を掴んだとして。そのまま強引に引き寄せて、キスをするとして。私は現実でもヒロインになれるかな、なんていう烏滸がましい考えがよぎる。

シナリオとしては悪くない。あなたの言い分に従えば、ステージの上だし、何言っても許される。二人だけだし、でも。

閉じた瞼の裏に浮かぶのは、あなたの笑顔ばかり。


差し出された手のひら。にっと大きく口を開けて笑うその顔。あなたが描いた世界は、眩しくて優しくて、仕方なかった。

苦しい。自分の拍動に溺れそうで、軽く咳き込む。消せない希望と罪悪感と、少しの嫉妬を追い越す想いが、私の心臓を締め付ける。


——あなたたちには、ずっと幸せでいて欲しい。


ケータイを握りしめる。19:00の文字がすっと消えた。息を浅く吸って、吐く。


結局私は最後まで、「私」を演じるのをやめられなかった。


「浅葱。杏奈と、約束があるんでしょ。行きなよ」


浅葱が弾かれたように起き上がる。慌ててポケットからスマホを取り出して、うわ!と叫んだ。


「やっべ時間!あ、ってかなんでお前約束の話知ってんの!?」

「そりゃあ、毎日嫌と言うほど惚気話きかされてるし」


立ち上がって、ステージを降りていく。無理やり釣り上げた口角が痛む。やっぱり、私はいい役者じゃないかもしれない。

それでも、困らせたくはないから。



浅葱と杏奈が付き合い始めたのは、夏の終わりの頃だった。

文化祭の二日目、後夜祭の時に告白したんだって。二人で屋上で花火を見ながら、浅葱の方から。ロマンチストな彼がいかにも考えそうなことだ。

その時私は、文化祭公演の後片付けに追われていて、部室の小さな窓から花火を見た。部活第一な浅葱が、部活のことをほったらかしてどこか行っちゃうなんて珍しいな、なんて呑気に思いながら。


「じゃあね。おつかれさまでした」


昇降口の少し手前で、私は浅葱の背中をとん、と押した。私にできる最後の、ささやかな抵抗だ。体温は感じなくて、ただ彼のジャージがカサ、と鳴いただけだった。

浅葱は振り返ると、憎らしいほど爽やかな笑顔を浮かべて左手をあげた。


「おう、おつかれさん。今夜はお互い早く寝ような」

「それ、今からデートする人が言う言葉?」

「はあ!?いや、ま、デ、デートっつかただ一緒に飯食いに行くだけだけどもっ」

「3ヶ月記念でしょ。杏奈はそういうのしっかり祝いたいタイプらしいから、手抜いちゃダメだよ」


夜の闇に消えていく彼を見送る。ここからは、私の妄想だ。

昇降口では、スマホを握りしめた杏奈が待っている。浅葱が照れながら近づいて、二人は手を繋いで歩き出す。二人の間には、私が知らない時間が沢山ある。演劇の話はするのかな。演劇バカの浅葱は時と状況を選ばすベラベラ話しそうだけど、それを文句一つ言わず笑顔で聞いてくれるのが杏奈なんだろう。


職員用の出入り口から出て、ぽつぽつと灯の灯る駐輪場を歩いていく。


夢のような時間が終わった。カーテンコールにも似た気持ちに、じんわりと胸が暖かくなる。

好きだったな。好きです。あなたが、好きでした。

あなたと過ごした時間が好きでした。あなたとなら、誰にでもなれそうだったし、なんでも作り出せそうだった。

私の世界の全ては、あなたで。

頬に当たる風が弱まる。私は立ち止まる。もう我慢しなくて大丈夫だよって、誰かが言う。我慢?何それ、そんなのしてないよ。

私は二人に幸せになって欲しくて、それ以外は何も望んでいなくて。

唇の震えが止まらない。あったかくて、ちょっぴりしょっぱい涙は懐かしい味がした。


「いやだなあっ……」


手のひらで涙を拭う。こうやって一人で泣くのがとても久しぶりだってこと。それも全部、あなたが作ってくれた世界のおかげでだってことに気づいて、また涙が溢れる。

あなたの隣は私がよかった、なんて。

傲慢だな。身の程を知れ、でも。

でも今だけは、ぽっとの脇役Aの涙も許してほしい。


好きです。あなたのことが、好きでした。


この気持ちは、そっと心の奥にしまっておこう。

声も、瞳も、大きな手のひらも、全部忘れてなんかやらない。言葉を尽くして、一つ残らず刻み込んでおく。嘘になんてしない。私の中に好き、という気持ちが生まれたこと、あなたのくれた世界がこんなにも輝いていたこと。


あなたがくれたこの世界で、私は私を見つけられたんだということ。


濡れた両手を握りしめて、こんどこそ二人の幸せを祈る。この思いだって嘘じゃない。そう、全部嘘じゃないんだ。だってここはステージの上じゃないんだから。


ポケットの中で、スマホが震える。花火のアイコンを握りしめて、私は走り出す。叫びは声にならなかった。光の雨が降って、スポットライトよりも柔らかで繊細な月光が、私を照らしていた。

泣きながら、叫びながら、笑ってみせる。この祈りが届きますように。


ああ、くそったれなこの世界。次は死ぬほどのハッピーエンドを描いてゆけよ。

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