第7章 ローカライズ——異世界のお作法



 翌日の午後。


 王城の庭園に、五人の姿があった。


 クロート、アルト、そしてラシェル。さらに、セレナとガルドが護衛として付き添っている。


 木陰のベンチに座るラシェルは、無表情のままアルトを見つめていた。その目には、まだ警戒と不信が色濃く残っている。


「この子が、勇者?」


 ラシェルの声は、冷ややかだった。


「はい」


 クロートが答える。


「……ただの子供じゃない」


「十九歳です。子供というほどでは——」


「私が歌った『偽勇者』も、立派な大人だった。外見で判断できるものじゃないの」


 ラシェルは立ち上がり、アルトの前に歩み寄った。


「あなた。本当に勇者なの?」


 アルトは、怯えたように一歩後ずさった。


「え、ええと……その……」


「はっきり答えなさい。自分が勇者だと思う?」


「……俺は……」


 アルトは俯いた。


「正直、わかりません。神剣は抜けた。でも、それだけで……」


「それだけで?」


「俺が本当に魔王を倒せるのか、わからないんです。強くないし、賢くないし、リーダーシップもない。みんなの足を引っ張ってばかりで……」


 ラシェルの眉が、わずかに動いた。


「……正直な子ね」


「え?」


「五年前の偽勇者は、自信に満ちていた。『俺が世界を救う』『俺に付いてこい』って。堂々としていた」


 ラシェルは、苦い表情で続けた。


「だから私も、信じてしまった。あの自信が、本物だと思った」


「……」


「でも、あなたは違う。自分を疑っている。自信がない。——それは、嘘つきの態度じゃない」


 クロートは、黙って二人の会話を聞いていた。


(いい流れだ)


 アルトの「弱さ」が、逆にラシェルの心に届いている。


「ねえ」


 ラシェルがアルトに問いかけた。


「あなたは、なぜ戦うの?」


「……守りたいものが、あるからです」


「守りたいもの?」


「俺は、家族を失いました。飢饉で。誰も助けに来てくれなかった」


 アルトの声が、わずかに震えた。


「あの時の俺みたいな思いを、誰にもさせたくない。だから——戦うしかないんです」


 ラシェルは、しばらくアルトを見つめていた。


 やがて、彼女は目を逸らした。


「……あなたは、嘘をついていない。それはわかった」


「じゃあ——」


「でも」


 ラシェルの声が、硬くなった。


「私が歌えば、また人を騙すことになるかもしれない。あなたが本物でも、私が歌えば、民衆は私の歌を信じてあなたを支持する。それは——」


「それの何がいけないんですか」


 セレナが、口を挟んだ。


「アルトが本物なら、あなたの歌は嘘じゃないでしょ」


「そう単純な話じゃないの」


 ラシェルは、首を振った。


「歌には、力がある。人の心を動かす力。その力を、また使うのが——怖い」


 沈黙が落ちた。


 クロートは、一歩前に出た。


「ラシェルさん」


「何」


「あなたの恐怖は、正しいと思います」


「……?」


「言葉には力がある。人を動かす力。使い方を間違えれば、人を傷つける。——俺も、前の仕事で同じ経験をしました」


 ラシェルの目が、わずかに揺れた。


「あなたも?」


「ええ。俺は——売るために嘘をついたことがある。その結果、人を傷つけた。だから、今度は嘘をつかないと決めた」


 クロートは、ラシェルの目を真っ直ぐに見た。


「あなたにお願いしているのは、嘘を歌うことじゃありません。真実を歌うことです。アルトの物語——飢饉で家族を失い、それでも立ち上がった青年の物語——は、事実です。脚色も誇張もしていない」


「……」


「その事実を、あなたの歌で伝えてほしい。信じるか信じないかは、聴衆が決める。あなたは、ただ——真実を歌えばいい」


 ラシェルは、長い間黙っていた。


 風が、庭園の木々を揺らす。


 やがて、彼女は小さく呟いた。


「……見せて」


「え?」


「あなたが書いた歌詞。見せて」


 クロートは、懐から羊皮紙を取り出した。


 ラシェルは、それを受け取り、じっくりと読んだ。


 しばらくして——


「……これ、あなたが書いたの?」


「はい」


「構成は悪くない。でも——」


 ラシェルの眉間に、皺が寄った。


「リズムがおかしい。三行目の『誰も来ない 誰も助けぬ』、韻が踏めてない。それに、サビの『守りたいものがある だから戦う』、言葉が多すぎる」


「……」


「歌詞は、もっとシンプルじゃないとダメ。聴衆が一度で覚えられる長さじゃないと、広まらない」


 クロートは、メモを取り始めた。


「他には?」


「四番の『彼の名はアルト 我らの守護者』、これも硬すぎる。『我らの守護者』なんて言葉、普通の人は使わないでしょ。もっと柔らかく——『みんなの守り手』とか」


「なるほど」


「それから——」


 ラシェルは、次々と修正点を指摘した。


 リズムの問題、言葉選びの問題、メロディとの相性の問題——プロの視点からの指摘は、クロートには思いもよらないものばかりだった。


(これが、この世界の「文法」か)


 前世の広告コピーとは、根本的にルールが違う。聴覚で受け取る言葉は、視覚で読む言葉とは違う構造が求められる。


 クロートは、素直に教えを乞うた。


「すみません。俺は、この世界の歌の作法がわかっていない。教えていただけますか」


 ラシェルは、驚いたようにクロートを見た。


「……あなた、本当に変わった人ね」


「そうですか」


「普通、貴族は吟遊詩人に教えを乞うなんてしない。身分が違うから」


「身分なんて、関係ありません。俺は、最高の歌を作りたい。そのために必要なら、誰にでも頭を下げます」


 ラシェルは、しばらくクロートを見つめた。


 やがて、彼女の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「……本当に変わった人」


「よく言われます」


「いいわ。教えてあげる。——でも、条件がある」


「何ですか」


「私が納得できる歌詞ができるまで、何度でも書き直すこと。妥協はしない」


「望むところです」


     ◆


 それから三日間、クロートはラシェルの指導のもと、歌詞の修正を繰り返した。


 一行目を変え、二行目を削り、サビを短くし、韻を踏み直す。


 十回、二十回と書き直し——


 ついに、ラシェルが頷いた。


「……これなら、歌える」


 完成した歌詞は、こうだった。


     ◆


『守り手の歌』


 遠き村の 泣く子がいた  飢えに家族 みな消えた  誰も来ない 誰も見ない  膝を折って 天を仰ぐ


 されど彼は 立ち上がった  神の剣に 手を伸ばす  「守りたい」と 願いを込め  光の刃 その手に宿る


 守りたい だから戦う  絶望知る者 希望を運ぶ  アルトの名 忘れるな  彼は我らの 守り手


     ◆


「シンプルになった」


 クロートは、完成した歌詞を見つめて呟いた。


「でしょ」


 ラシェルが、少し誇らしげに言った。


「余計な言葉を削ぎ落として、核だけを残す。それが、歌の基本よ」


「勉強になりました」


「……ふん」


 ラシェルは目を逸らしたが、その頬はわずかに赤らんでいた。


「で、これを——歌っていただけますか」


 クロートの問いに、ラシェルは黙り込んだ。


 長い沈黙があった。


 やがて、彼女は小さく息を吐いた。


「……一度だけよ」


「本当ですか」


「勘違いしないで。あなたの歌詞が、ちょっとだけ——悪くなかっただけ。別に、勇者を信じたわけじゃない」


 ラシェルは、窓の外を見た。


「でも——真実を歌うなら、それは嘘じゃない。だから——」


「ありがとうございます」


 クロートは、深く頭を下げた。


「本当に、ありがとうございます」


 ラシェルは、複雑な表情でクロートを見つめた。


「……変な人」


「二回目ですね、それ」


「三回言うかもしれないわよ」


 その声には、かすかな——ほんのかすかな——温かみがあった。


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