第3章 最悪のクライアント、最悪の商品



 翌日、クロートは王城の一角に設けられた「王国宣伝局」のオフィスを訪れた。


 オフィス、と呼んでいいのかどうかは微妙なところだ。


 王城の北棟、日当たりの悪い一角。埃っぽい部屋には古びた机が三つ、本棚には黄ばんだ書類が山積みになっている。窓ガラスは曇り、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がっていた。


「……これが、王国宣伝局」


 クロートは、部屋を見回して溜息をついた。


 前任者は三年前に退職したきり、後任が補充されていないらしい。事実上の休眠部署だ。予算はゼロ、人員もゼロ。


(まあ、想定内だ)


 広告代理店時代も、こういう「捨て駒」の部署を再建した経験はある。問題は、時間がないことだ。


 机の上の書類を整理しながら、クロートは昨夜の会話を思い返した。


     ◆


 勇者パーティーとの顔合わせの後、エリザベートと二人きりで話す機会があった。


「サキアス卿。一つ、重要なことをお伝えしておきます」


 王女の声は、いつもより低かった。


「勇者プロジェクトには、敵がいます」


「敵、ですか」


「宰相マルクス・グレイブ。この国の実質的なナンバー2です」


 クロートは眉をひそめた。


「宰相が、勇者に反対している?」


「正確には、勇者プロジェクトへの予算配分に反対しています。彼の主張は『神託など信用できない。勇者に国の命運を賭けるのは博打だ。騎士団の増強に予算を回すべきだ』というもの」


「なるほど」


「彼は保守派の貴族を束ねています。議会での発言力は、私よりも上です。勇者への支援予算を通すためには、彼を説得するか——」


「あるいは、彼を無視できるほどの世論を作るか、ですね」


 エリザベートの目が、わずかに見開かれた。


「……お話が早い」


「俺の前の仕事でも、よくありました。クライアントの窓口は賛成しているのに、上層部が反対している。そういうとき、どうするか」


「どうするのですか?」


「消費者を味方につける。『これは売れる』という証拠を突きつけて、上層部を黙らせる」


 クロートは、窓の外を見つめた。


「つまり——民衆を動かす。勇者への支持率を上げて、宰相が反対できない状況を作る」


「それが、あなたの戦略ですか」


「戦略の大枠です。具体的にどうするかは、まず現場を見てから決めます」


     ◆


 そして今、クロートは「現場」を見ている。


 埃っぽいオフィスの椅子に座り、手元にはメモ用の羊皮紙とペン。クロートの体に染み付いたクロートの記憶のおかげで、この世界の文字は読み書きできる。


「まず、やるべきことを整理しよう」


 独り言を呟きながら、クロートはメモを書き始めた。


【現状の課題】


勇者アルトの認知度:3%(ほぼ無名)


勇者パーティーのイメージ:測定不能(知られていないため)


チームの内部不和:深刻


政治的支援:王女のみ(宰相は反対)


予算:ゼロ


人員:自分一人


【目標】


民衆の勇者認知度を上げる


好感度・支持率を上げる


貴族・商人からの支援を獲得


魔王討伐への国民的機運を醸成


【タイムリミット】


不明(魔王復活までの時間が不明)


 メモを見つめながら、クロートは腕を組んだ。


(まず、市場調査だ。民衆が何を考え、何を求めているのかを知らないと、戦略が立てられない)


 そう決めると、クロートは立ち上がり、オフィスを出た。


     ◆


 王城を出て、王都グランディアの街中に足を踏み入れる。


 前日は馬で通り過ぎただけだったが、今日は歩いて街を観察する。


 大通りには様々な店が並んでいる。パン屋、肉屋、八百屋、仕立て屋、雑貨屋——人々は忙しそうに行き交い、売り子の声が響き渡っている。


 クロートは、まず市場に向かった。


 市場は、街の中央広場にあった。露店が所狭しと並び、農村から来た農民、行商人、職人、主婦——あらゆる階層の人間がひしめき合っている。


(ここが、この街の「SNS」だな)


 前世のSNSとは違い、リアルタイムで人々が情報を交換する場所。噂が生まれ、広がる場所。


 クロートは、八百屋の露店の前で立ち止まった。店主は五十がらみの恰幅のいい男で、客と楽しそうに話している。


「すまない。少し話を聞いてもいいか」


「ああ? 何だい、兄ちゃん。野菜買うのかい?」


「買おう。人参を二本」


 銅貨を渡し、人参を受け取る。


「ところで、最近何か変わったことはあるか? 街の噂とか」


「噂ねえ」


 店主は顎を撫でた。


「そうだなあ。東の方で魔物が出るって話は聞くな。村がやられたとか何とか」


「それについて、何か対策は?」


「騎士団が派遣されてるって話だけどな。正直、あんまりアテにならねえって皆言ってるよ。騎士団も人手不足だし」


「勇者の話は聞いたか?」


 店主の表情が、怪訝なものに変わった。


「勇者? 何だそりゃ」


「神託で選ばれた勇者が現れたって話だ。魔王を倒すとか何とか」


「へえ、そんな話があるのかい。知らなかったな」


 店主は肩をすくめた。


「でもまあ、勇者なんて話、信じる奴いるのかね」


「どういう意味だ?」


「ああ、兄ちゃんは若いから知らないか。十年くらい前にな、『俺は勇者だ』って名乗る奴がいたんだよ。寄付を集めて、魔物を退治するって言ってな」


「それで?」


「詐欺だったのさ」


 店主は苦い顔をした。


「金を集めるだけ集めて、トンズラ。騙された連中、結構いたみたいだぜ。それ以来、この街じゃ『勇者』って言葉は、ちょっとした笑い話になってる」


「……そうか」


 クロートは礼を言い、市場を歩き回った。


 八百屋だけでなく、肉屋、パン屋、鍛冶屋、仕立て屋——様々な店で話を聞いた。


 結果は、ほぼ同じだった。


 勇者の存在を知っている者は、ほとんどいない。知っていても、「どうせ詐欺だろう」「信じられない」という反応が大半だ。


 そして、もう一つ、重要なことがわかった。


     ◆


「なあ、魔王の話、どう思う?」


 酒場で、隣の席の男に話しかけた。


 男は労働者風の中年で、昼間から安い麦酒を飲んでいる。


「魔王? ああ、復活するとかしないとか、そういう話か」


「そうだ。どう思う?」


 男は麦酒を一口飲み、肩をすくめた。


「正直なところ、どうでもいいな」


「どうでもいい?」


「だってよ、魔王が復活するってのは、五百年前の話だろ? 俺たちの祖父さんのそのまた祖父さんの時代だ。実感なんてわかねえよ」


「でも、東の方で村が壊滅したって話は——」


「遠い話だ」


 男は杯を置いた。


「俺たちには俺たちの生活がある。明日のパンをどうするか、子供の学費をどうするか。そっちのほうが大事だ。魔王なんて、来るなら来いって感じだよ」


「……」


「それによ」


 男は、急に声を低くした。


「仮に魔王が来たって、俺たちにゃ何もできねえだろ。貴族様や騎士様がどうにかしてくれるのを待つしかねえ。そういうもんだ」


 クロートは、礼を言って酒場を出た。


     ◆


 夕暮れ時。


 クロートは、王城への帰り道を歩きながら、今日得た情報を整理していた。


【市場調査の結果】


勇者の認知度:ほぼゼロ(知っている人はごく少数)


「勇者」という概念への信頼度:マイナス(過去の詐欺事件の影響)


魔王の脅威への認識:低い(「遠い話」「実感がない」)


民衆の心理:諦め、無力感(「自分たちにはどうしようもない」)


 クロートは、足を止めた。


(これは、想像以上に厳しい)


 単に勇者を宣伝すればいい、という話ではなかった。


 まず、「勇者」という言葉自体に対する不信感を払拭しなければならない。そして、民衆の心に巣食う「諦め」——魔王に対する無力感を打ち破らなければならない。


 神の言葉が、脳裏に蘇った。


『魔王ヴァルハザードが本当に支配しているのは、軍勢ではない。恐怖と絶望だ。人々の心に巣食う「諦め」こそが、奴の最大の武器だ』


(そういうことか)


 魔王は、まだ復活していない。しかし、その影響力は——すでに、人々の心を蝕み始めている。


 誰も信じない。誰も動かない。誰も希望を持たない。


 その状態で勇者が魔王に挑んでも、孤立無援の戦いになる。支援も、資金も、士気も——何も得られないまま、負ける。


(つまり、俺が売るべきは——)


 クロートは、空を見上げた。


 夕焼けの中、一羽の鳥が飛んでいく。


(——「勇者アルト」じゃない。「希望」だ)


 人々の心に、希望の種を蒔く。


 魔王に勝てるかもしれない、という可能性を信じさせる。


 そのためには——


「勇者のストーリーを、作り直さなければならない」


 声に出して、呟いた。


 今のアルトは、無名の農村出身の若者だ。過去の詐欺師たちと、何が違うのか、民衆には伝わっていない。


 だから、違いを見せる。


 言葉ではなく、行動で。


 物語を、作り直す。


「最悪の商品を、最高のブランドに」


 クロートの口元に、薄い笑みが浮かんだ。


 これは——前世でもやったことがある仕事だ。


 無名の新商品を、市場に叩き込み、認知を獲得し、ブランドを構築する。


 魔王という「競合」に勝つための、ブランド戦略。


(やれるか、俺に)


 自問する。


 答えは——


「やるしかない」


 クロートは歩き出した。


 王城へ向かう足取りは、来た時よりも速かった。


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