第2章 王国宣伝局長、拝命

 王都グランディアは、巨大だった。


 三日間、馬を走らせてたどり着いたその街は、クロートの想像を遥かに超えていた。高さ二十メートルはあろうかという白亜の城壁が、街全体を取り囲んでいる。城壁の上には規則的に見張り塔が並び、甲冑を纏った兵士たちが行き交っている。


 城門をくぐると、石畳の大通りが目に飛び込んできた。通りの両側には三階建て、四階建ての建物がひしめき合い、その一階部分は店舗になっている。パン屋、肉屋、仕立て屋、鍛冶屋——看板が競い合うように掲げられ、売り子たちの声が響き渡っている。


 人の数も凄まじい。農民風の簡素な服を着た者、商人らしき裕福そうな衣装の者、騎士らしき鎧姿の者——あらゆる階層の人間が、蟻の行列のように行き交っている。


「これは……」


 クロートは馬上から街を眺め、思わず唸った。


 中世ヨーロッパの都市。いや、それ以上かもしれない。人口は十万を超えているのではないか。活気があり、秩序があり、そして——金が動いている。


 前世の記憶が、自動的に分析を始めた。


(市場規模としては、かなり大きい。識字率が低いとすれば、メインのメディアは口頭伝達——つまり、吟遊詩人や説教、口コミが中心か。視覚的な訴求は看板や旗、紋章。テレビやネットがない時代のPR戦略を考える必要がある)


 城壁の向こう、街の中央に聳え立つのは王城だ。白と青の尖塔が天を突き、その威容は街のどこからでも見える。


「あれが王城グランディア。俺の新しい職場、か」


 大通りを進み、王城の正門に向かう。門の前には衛兵が立っていた。


「止まれ。何用か」


「クロート・サキアスだ。王女殿下に召喚されている」


 クロートが名を告げると、衛兵の表情が変わった。


「サキアス家の……? 少々お待ちを」


 衛兵の一人が門の内側に走っていく。しばらくして戻ってくると、門が開かれた。


「お待ちしておりました、サキアス卿。こちらへ」


 馬から降り、案内に従って城内に入る。


 石造りの廊下を歩きながら、クロートは城内を観察した。壁には歴代国王の肖像画が飾られ、窓からは中庭の噴水が見える。磨き上げられた床、燭台の柔らかな光。豪華だが、嫌味のない落ち着いた内装だ。


(予算はありそうだな。問題は、その予算を勇者プロジェクトに引っ張ってこられるかどうか)


 やがて、大きな扉の前に出た。


「王女殿下の私室でございます。お入りください」


 衛兵が扉を開く。クロートは一礼して、部屋に足を踏み入れた。


     ◆


 部屋の中は、書斎と応接室を兼ねたような空間だった。壁一面の本棚、大きな執務机、そして窓際に置かれた二人がけのソファ。


 そのソファに、一人の女性が座っていた。


 年齢は二十代前半だろうか。銀糸の刺繍が施された深い青のドレスを纏い、長い金髪を緩やかに編み上げている。肌は陶器のように白く、瞳は深い青——空の色ではなく、深海の色だ。


 美しい、と思った。しかしそれ以上に印象的だったのは、その目だ。聡明で、鋭く、そしてどこか疲弊した光を湛えている。


「クロート・サキアス卿ですね」


 女性が立ち上がり、微笑んだ。しかし、その笑みは唇だけのもので、目には届いていなかった。


「エリザベート・ヴァン・エルヴァシアです。お越しいただき、感謝します」


「王女殿下。お招きに応じ、参上いたしました」


 クロートは片膝をつき、頭を下げた。貴族の礼法は、クロートの体に染み付いた記憶が勝手に動いてくれる。


「どうぞ、お立ちになって。堅苦しい挨拶は苦手なのです」


 エリザベートはソファに座り直し、向かいの席を手で示した。


「お座りください。お話ししたいことが山ほどあります」


 クロートはソファに腰を下ろした。間近で見ると、王女の顔には薄い隈があった。激務に追われているのだろう。


(あの目は、見覚えがある。前世の自分と同じだ。追い詰められて、それでも立ち止まれない人間の目)


「単刀直入に申し上げます」


 エリザベートの声は、静かだが芯があった。


「この国は、危機に瀕しています」


「魔王の復活、ですね」


「ご存知でしたか」


「……ええ、少し」


 神から聞いた、とは言えない。クロートは曖昧に頷いた。


「五百年前、初代勇者と大賢者の協力によって封印された魔王ヴァルハザード。その封印が、弱まりつつあります」


 エリザベートは窓の外に目を向けた。


「王国の東部では、すでに魔物の出現が増えています。辺境の村がいくつか壊滅しました。騎士団を派遣していますが、焼け石に水です。魔王本体が復活すれば——」


「国が滅ぶ」


「その通りです」


 沈黙が落ちた。


 クロートは、王女の横顔を見つめた。


「神託があったと聞きました。真の勇者が選ばれた、と」


「はい。神殿からの報告です。神剣を抜くことができる者が現れた。神託によれば、彼こそが魔王を討ち滅ぼす唯一の存在」


「その勇者は、今どこに?」


「この城の一室にいます。三日前から」


「なぜ、まだ討伐に向かっていないのですか」


 エリザベートの表情が、一瞬だけ曇った。


「……いくつか、問題があるのです」


「問題?」


「勇者を、誰も知らない」


 王女は、苦い声で言った。


「勇者アルト・ヴェインは、王国東部の農村出身の青年です。家柄も、地位も、名声もない。神剣を抜いたという事実だけで、突然『勇者』と呼ばれるようになった」


「民衆の認知度は?」


「調査したところ、王都の市民のうち勇者の存在を知っている者は、およそ三パーセントでした」


「三パーセント……」


 クロートは眉をひそめた。その数字は、新発売の無名商品と大差ない。


「支持率は?」


「測定不能です。知られていないのですから」


「なるほど」


「さらに、問題があります」


 エリザベートは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。


「勇者パーティーの構成です。アルトの他に三名——盗賊のセレナ・クロウ、魔法使いのリゼット・アルカナ、騎士のガルド・シュタイン。いずれも、それぞれの事情で王国の主流派とは折り合いが悪い」


「事情、とは」


「セレナは元犯罪者です。貴族の屋敷を荒らし回った義賊として、指名手配されていた過去がある。リゼットは呪われた血筋の魔女の末裔として、長年迫害されてきました。ガルドは元騎士団副団長ですが、上官の汚職を告発して除隊処分を受けています」


「……」


 クロートは、思わず天を仰いだ。


(最悪だ。これは最悪の案件だ)


 認知度ゼロの無名主人公。スキャンダル持ちの脇役たち。そして、迫り来る締め切り——魔王の復活。


 広告代理店時代に担当した、どんな「炎上案件」よりも厳しい状況だった。


「サキアス卿」


 エリザベートが振り返った。


「あなたを、王国宣伝局の局長に任命したいと考えています」


「宣伝局……」


「元々は戦時の檄文や布告を作成する部署でした。今は形骸化していますが、あなたに再建していただきたい。目的は一つ——勇者アルト・ヴェインを、国民に周知すること」


「なぜ、俺なのですか」


 クロートは、率直に訊いた。


「サキアス家は没落貴族です。政治的な力もない。俺自身、これといった実績もない。なぜ、俺に?」


 エリザベートは、しばらく黙っていた。


 やがて、彼女はソファに戻り、クロートの目を真っ直ぐに見つめた。


「三日前、あなたが奇跡的に蘇ったという報告を受けました。心臓の病で亡くなったはずのクロート・サキアスが、突然息を吹き返した、と」


「……」


「私は、神殿に問い合わせました。答えは——『神託あり。彼に勇者の補佐を任せよ』」


 クロートは、内心で舌を巻いた。


(神様、根回しだけは早いな)


「あなたが何者であるか、私にはわかりません。しかし、神がそう言うのであれば——」


「信じるしかない、ですか」


「信じるのではありません」


 エリザベートの声が、わずかに強くなった。


「賭けるのです。私は今、この国を救うためなら、どんな賭けにも出る覚悟があります」


 その目には、追い詰められた者の覚悟があった。


 クロートは、その目を見つめ返した。


「……一つ、お聞きしてもよろしいですか」


「何でしょう」


「勇者アルト・ヴェイン。彼は——本物ですか」


「本物、とは?」


「嘘偽りのない、本物の勇者かどうか、です。俺は嘘は売りません。偽物を本物だと言い張るような仕事はしない。それが俺の……」


 言いかけて、クロートは口を閉じた。


 エリザベートは、静かに微笑んだ。今度は、目も笑っていた。


「サキアス卿。あなたは不思議な方ですね」


「そうでしょうか」


「貴族は皆、地位と利益のことしか考えません。『本物かどうか』などと問う者は、あなたが初めてです」


 王女は立ち上がり、部屋の奥に向かった。


「お見せしましょう。勇者に会ってください。本物かどうかは、あなた自身の目で判断してください」


     ◆


 城の別棟に案内された。


 石造りの廊下を進み、厳重な警備の扉を抜けると、そこは——意外にも、質素な部屋だった。


 木製のベッド、簡素なテーブル、窓から差し込む午後の光。豪華さとは無縁の、むしろ兵舎の個室といった趣だ。


 部屋の中央に、四人の男女が立っていた。


 いや、「立っていた」というのは正確ではない。


 一人の青年がテーブルの角で俯いており、その周りを三人が取り囲んでいる。空気は重く、明らかに何かの言い争いの直後だった。


「殿下」


 三人のうちの一人——甲冑を脱いだ屈強な男が、エリザベートに気づいて姿勢を正した。


「お客人です。紹介します。クロート・サキアス卿。本日付で、王国宣伝局長に就任される方です」


「宣伝局長……?」


 男が怪訝な顔をする。


 クロートは、四人を順番に観察した。


 甲冑姿の男——これがガルド・シュタインか。四十代前半、短く刈り込んだ金髪に、いかつい顎。軍人特有の直立姿勢と、鷹のような目。正義感が強そうだが、融通が利かなそうでもある。


 その隣に立つのは、フードを目深に被った女性。年齢は二十代半ばか。フードの下から覗く長い黒髪と、感情の読めない紫色の瞳。リゼット・アルカナだろう。


 そして、窓際にもたれかかっているのは、赤い髪の若い女性。こちらは二十歳前後。皮肉げに唇の端を吊り上げ、クロートを値踏みするような目で見ている。セレナ・クロウ。


 最後に、テーブルで俯いている青年。これが——


「アルト・ヴェイン」


 クロートは声をかけた。


 青年が顔を上げた。


 若い。十八、九歳といったところか。栗色の髪、痩せぎすの体。そして——怯えたような、自信のない、瞳。


(これが、勇者?)


 クロートの脳内で、無数の警報が鳴り響いた。


 広告屋として、数えきれないほどの「商品」を見てきた。売れる商品、売れない商品。光る原石、磨いても光らない石。


 この青年は——


「あ、あの……」


 アルトが口を開いた。声は小さく、震えていた。


「……すみません。俺……俺なんかが、勇者だなんて……」


「アルト」


 ガルドが低い声で諌めた。


「その弱音は、もうやめろ。お前は神に選ばれた。それが事実だ」


「でも、俺……」


「でも、じゃない。お前が弱気になれば、この国は——」


「うるさいわね、騎士様」


 セレナが割って入った。


「説教で人の心が変わるなら、世の中こんなに苦労しないっての。こいつを怒鳴りつけたって、何も解決しないわよ」


「黙れ、犯罪者。お前に発言権はない」


「はあ? あんたこそ脱走兵の癖に偉そうに——」


「静かに」


 リゼットの冷たい声が、二人を遮った。


「客の前で醜態を晒すな。これ以上評判を落としてどうする」


 沈黙が落ちた。


 クロートは、四人を見つめ続けていた。


 バラバラだ。


 チームとしての一体感がまるでない。それぞれが自分の殻に閉じこもり、他者を信用していない。


 そして、肝心の勇者は——


(自己肯定感が、壊滅的に低い)


 アルトの目を見れば、わかる。彼は自分を勇者だと思っていない。選ばれたことを、むしろ呪っている。


 これは——


「最悪だな」


 クロートは、思わず声に出していた。


 四人の視線が、一斉にこちらを向く。


「……何だと?」


 ガルドの声が、低く唸った。


「今、何と言った」


「最悪だと言った」


 クロートは臆することなく、四人を見回した。


「認知度三パーセント。チームの不和。そして何より——勇者本人が、自分を信じていない。クライアントとしては最悪、商品としても最悪。これを売れというのは、正気の沙汰じゃない」


「貴様……!」


 ガルドが一歩踏み出す。しかし、クロートは動じなかった。


「だが」


 クロートの声が、変わった。


 静かな、しかし芯のある声。前世で、何百回ものプレゼンを乗り越えてきた広告屋の声だ。


「売れない商品を売るのが、俺の仕事だ」


 沈黙。


「俺はクロート・サキアス。今日から王国宣伝局長を務める。お前たち四人を、この国で最も有名な存在にする。民衆がお前たちの名を呼び、貴族が支援を申し出、魔王軍が震え上がるほどの——『伝説』を作る」


 クロートは、アルトに向き直った。


「アルト・ヴェイン」


「は、はい……」


「お前は勇者だ。神剣を抜いたのは、お前だけだ。その事実に、嘘はない。なら俺は、その事実を世界に伝える。信じろとは言わない。だが——俺を、使え」


 アルトの目が、わずかに見開かれた。


「……俺を、使う?」


「そうだ。俺は剣は握れない。魔法も使えない。だが——言葉は使える。お前たちの代わりに語り、お前たちの代わりに説得し、お前たちの代わりに嫌われ役を買う。それが俺の仕事だ」


 クロートは、四人を順番に見つめた。


「俺を信用しろとも言わない。だが——俺がやることを、邪魔するな。それだけでいい」


 長い沈黙があった。


 やがて、セレナが口を開いた。


「……面白い奴ね、あんた」


 その口調は、さっきまでの敵意とは違っていた。むしろ、興味深そうな色が混じっている。


「ねえ、宣伝局長さん。一つ聞いていい?」


「何だ」


「あんた、私たちのこと、どう思ってるの? 本当のところ」


 クロートは、一瞬だけ考えた。


 そして——


「正直に言うか?」


「言って」


「全員、最悪だと思った。勇者は弱気、盗賊は皮肉屋、魔法使いは無愛想、騎士は頭が固い。チームワークはゼロ、信頼関係もゼロ。これで魔王と戦えるとは、到底思えない」


 四人の表情が、一斉に険しくなる。


 しかし、クロートは続けた。


「だが——それは『今』の話だ」


「……?」


「人は変わる。チームも変わる。俺がやるのは、その変化を加速させ、世界に見せることだ。お前たちが本物かどうか——それは、これから証明すればいい」


 クロートは、アルトに手を差し出した。


「アルト・ヴェイン。俺と組め。世界を救おう」


 アルトは、差し出された手を見つめた。


 長い沈黙があった。


 やがて、青年は——


 ゆっくりと、その手を握った。


「……お願い、します」


 その声は、まだ震えていた。


 だが、クロートは確かに感じた。


 この青年の中に眠る、何かの種を。


(さあ、仕事の始まりだ)


 広告屋・黒崎透——改め、王国宣伝局長クロート・サキアスの、異世界での「案件」が、たった今、キックオフした。


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