白華流離奇譚 −天気雨の下で−

風花《かざはな》

天気雨の下で

 初めて人を斬ったのは、十五のときだった。


 砂漠を渡る隊商キャラバンの護衛として雇われた旅の途中、低く垂れ込めた曇り空の下で、野盗に襲われた。


 初めての実戦。最初は、死に物狂いで無我夢中だった。

 だが、少し慣れてくると、鉄錆てつさびた血臭と、肉を切り裂き、骨を断つ刃の感触が、手と頭から離れなくなった。

 それが一番、怖かった。


 響き渡る悲鳴と剣戟けんげきの音。せ返るような血の臭い。そこかしこに『死』が満ちていた。


「うっ……おぇっ!」


 たまらずその場に屈んで嘔吐した。砂に吐瀉物が落ち、すぐに乾いていく。

 なのに、喉の奥だけが、いつまでも湿っていた。


 その間にも、白刃を閃かせて、血に飢えた影が押し寄せてくる。


白雅ハクガ!」


 仲間の叫び声が聞こえる。白雅は、うつろな眼差しで他人事のようにその光景を見つめていた。


(あぁ……私は、ここで死ぬのか……?)


 そんな考えが脳裏をよぎる。眼前に迫る白刃の軌跡。まるで死ぬ前に見るといわれる走馬灯のように、ゆっくり、ゆっくりと目の前の光景が流れていく。


(……死にたくない……!)


 そう思った瞬間、一本の矢が飛来して、白刃を手にした野盗がたおれた。


「なにボーッとしているんだい! 死にたいのかい!?」

紫闇シアン……」


 目の前には、次の野盗がすでに押し寄せている。今度は考えるよりも先に身体が動いていた。


 風のような速度で野盗の剣を弾くと、そのまま相手の懐に飛び込み、頚部をひと突きして絶命させる。抜き払う勢いのまま、その隣にいた野盗の喉元を深く斬り裂いた。


 感覚が麻痺したかのように、白雅はがむしゃらに命を刈り取り続けた。殺さなければ、自分が殺される。自分の大切な仲間も。


 そこにはなんの痛痒つうようも悲しみもない。ただ、自分が引き起こしているとは到底思えないほどの惨劇だけが、厳然たる事実として存在していた。


 いつの間にか降り始めた雨が、乾いた砂に染み込み、血の臭いを薄めていく。


 雨が降っているのに、空は不思議と明るく、きざはしのような光が差す。


 白雅は雨の中を駆けた。双剣を振るうたびに、ひとつ、またひとつと命が失われていく。


 ふと敵影を見失った。恐怖と焦燥が胸を一瞬で染め上げる。


「白雅!」


 紫闇の呼び声が聞こえる。急がないと、彼女まで危険にさらされる。急がないと──。


「なにやってんだい! もう終わったよ!」

「──!」


 終わった。そのひと言で白雅は立ち止まり、周囲を見渡した。野盗は一人残らず殲滅せんめつしたあとだった。


 気づけば自分はずぶ濡れで、雨はまだ降りやみそうにもない。空を見上げると、雲の切れ間から幾筋もの光が差していた。


 雨は冷たく白雅の頬を滑り落ちていく。剣を伝って落ちる水が、血の赤を薄めた。


 白雅は、その場に立ったまま、ただ濡れていた。それが『終わり』なのだと、十五の身体が理解するまで。


「……なぁ、紫闇」

「?」


 紫闇もまた冷たい雨に打たれながら、どこか放心したように天を仰いだままの白雅の隣に並んだ。


「……赤鴉セキアも、初めてはこんな感じだったのかな……」


 どんなに白雅が強くなっても、赤鴉は白雅に実戦を許さなかった。それは、この感覚を知っていたからなのだろうか。この虚しさと哀しみの入り混じる、茫漠ぼうばくとした心の有り様を。


「……そうかもね」


 紫闇の返答は短い。だがこの降りしきる雨のように冷たくはなかった。


 白雅は天を仰いだまま目を閉じた。明るく温かい光の中で降り注ぐ無情な冷たさを、いつまでも肌で感じていた。

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白華流離奇譚 −天気雨の下で− 風花《かざはな》 @kazahana_ricca

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