05

 竜が去ったあと、最初に残るのは沈黙ではない。


 音だ。


 折れた梁が冷える音。

 焼けた金属が収縮する音。

 どこかで火が燻り、油が弾ける音。

 そして、人の声。


 悲鳴は続いていた。

 怒号も続いていた。

 終わった、という実感だけがどこにもなかった。


 あれから数十分、竜は暴れ続けた。

 しかし、杭が刺さったまま空へ消えていった。


 捕獲棟〈竜の墓場〉の一角は、原形を留めていなかった。

 落とし床は半分が崩れ、天鎖はねじれたまま垂れ下がっている。支柱の一本は途中から折れ、仮設の梁でかろうじて天井を支えていた。


「火、残ってるぞ!」


 誰かが叫ぶ。

 すぐに別の誰かが水をぶちまけ、蒸気が上がる。熱と湿気が混じり、空気が重くなる。息を吸うだけで肺が痛い。


 怪我人は多かった。


 数を数える暇もない。

 立てない者、腕が動かない者、火傷で皮膚が剥けた者。

 血の匂いが濃く、どこまでが自分のものか分からなくなる。


「担架が足りねぇ!」


「こっちは骨だ、動かすな!」


「まだ生きてる、押さえろ!」


 叫びが飛び交い、指示が重なり、誰も全体を見られていない。


 ヨルは、その中を歩いていた。


 走らない。

 走れば視野が狭くなる。

 今は一つでも多く、動ける場所を増やす必要がある。


「コト!」


 声を張る。

 少し離れた場所で、コトがこちらを見た。顔色が悪い。だが立っている。


「こっち来い。修繕だ」


 理由は言わない。

 終わった側から直す。

 次はいつ来るか分からない。

 来ない、という前提はもう死んだ。


 奥の資材置き場から、使えるものを引きずり出す。焼けていない木材。歪んでいない金属に古いロープ。そして、仮止め用の楔。


「これ、持てるか」


 ヨルが言うと、コトは無言で頷き、両腕で梁材を抱えた。小さな体が軋むが、下ろさない。


「無理するな」


 ヨルは言いながら自分も別の材を掴む。

 無理をするな、という言葉が無意味なのは分かっている。

 それでも口にする。


 仮設の支柱を立て、折れた梁を受ける。

 位置を決め、角度を合わせ、楔を叩き込む。

 応急処置だ。完璧である必要はない。今は「落ちない」ことだけが目的だ。


 背後で誰かが呻いた。

 次の瞬間、吐く音がした。


 振り返ると、コトが膝をついていた。

 手では押さえきれず、床板に吐瀉物が落ちる。胃の中のものを全部吐き出す勢いだった。肩が震え、呼吸が乱れる。


「……っ」


 言葉にならない音が漏れる。


 ヨルは一瞬、手を止めた。


「いい、顔上げなくていい」


 そう言って、コトの背に手を置く。体重だけを預けさせ、背中をさすった。


「今は吐け。あとは休んでいい」


 それだけだ。


 コトは答えなかった。答えられる状態じゃない。

 その後はしばらく動けず、床に手をついたまま息を整えている。


「代われ」


 ヨルは近くにいた男に言った。


「こいつ預ける。水飲ませてから座らせろ」


 男は一瞬だけ迷い、すぐに頷いた。

 迷う時間がここでは一番危険だ。


 男が体を支えようとした時、コトの肩が跳ねた。明らかに拒絶の動きであった。


「あ、あるける」


 そう言ったコトの足取りはフラフラで、なんとか少し離れた壁際へ。


 ヨルは、一瞬だけコトの方へ視線を向ける。

 その目は死んでいなかった。

 ただじっと、この世界を馴染ませるように、その目は周囲を捉えていた。

 

 ヨルは視線を切り、作業に戻った。


「次、そっちだ」


 苛立ちが、喉の奥に溜まっている。

 コトに向けてのものではない。

 この世界に対してのものでもなかった。

 理解されないと分かっているから、誰かにぶつけることもない。



 仮設の梁が一本、また一本と立つ。

 火は消え、煙が薄れ、ようやく全体が見えてくる。


 死んだのは、リーツだけだった。


 それだけで済んだ、と言う者はいない。

 重症者は多く、治療の順番を巡って怒鳴り合いが起きる。

 誰かが怒鳴り返し、また悲鳴が上がる。

 地獄は、形を変えて続いていた。


 ヨルは工具を叩きつけ、楔を打ち込む。

 音が規則的になっていく。

 規則性が戻ると、人は少しだけ落ち着く。


「……次、来たら、ここは持たねぇな」


 誰かが呟いた。


 ヨルは答えなかった。

 持たせるしかないからだ。


 壁際でコトが水を飲んでいるのが見える。

 顔色はまだ悪いが、背筋は伸びている。


 まだ、瞳には光がある。

 それで十分だった。


 ヨルはもう一度、破壊された墓場を見回した。


 竜はいない。

 それなのに、竜の痕跡は至る所に残っている。


「クソが」


 誰にも届かぬ激情。

 目の前の現状に、焼き尽くすような執念だけが渦巻いていた。


____


コト


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