やがて春になる

広井すに@カクヨムコン11(短編)参加中

やがて春になる

 ある雪国に夫婦めおと同然の男女がいた。


 男は畑を耕し、国に納め、わずかな食べ物で暮らすような、どこにでもいるような村人。

 女は──いっとう美しかった。それは月に住まうと伝えられる御伽噺の輝く姫のようだった。黒曜石の大きな瞳、濡羽色の豊かな長い髪、雪のように白い肌。そこにある唇はあかく、まるで雪の上に落ちた椿の花びらのようだ。どんなぼろ切れのような衣でも、女が着ると上等なものに見える。


 二人は契りは交わしていないが、冬の間、寒さを紛らわせるようにくっつき合い、支え合って生きていた。さながら比翼の鳥だった。


 そんな冬の厳しさも終わりを迎えた。


 眠気をいざなう日差し。うららかな春の訪れを告げるような天気。

 その日は晴れ。長い冬も明けて、空は雲ひとつなく、まるで磨かれた藍玉のように澄み渡っていた。

 男は戸を開く。


「快晴だ」

「……ええ」


 浮かれている男に対して、女は暗い顔をした。


「あそこにいる狐の親子、可愛いな。お前も見てみろよ」

「いえ、わたしは……控えさせていただきます」

「そんなこと言うなよ、ほら!」

「あっ──」


 男は嫌がる女の制止の言葉を振り切り、腕を引っ張った。

 家の戸の外に二人は出る。


「はは、じゃれあってるぞ! もうすっかり春だなあ! なあ、お前──」

「ぁ……ぁ……」

「? なに? 何か話した──」


 しゃがれた声がする。

 振り返った。

 男は、信じがたいものを見た。


 家の外に出た女の身体が、水晶を砕いたようにばらばらに散っていった。


「……ぁ、わ、た……しは……わ、た……」


 いつも男を慈しむような、菩薩の声はなかった。死にかけた老婆のような声で、必死に紡いでいた。


「……わ、たしは」


 ──わたしは。


 * * *


 わたしは。

 わたしは、雪の精でございます。


 人のうわさ話でいうところの『雪女』とでも言うのでしょうか。


 わたしたち雪の精は人の理の外にある存在。

 本来なら人の姿をとり、騙し……血肉、臓物を喰らうのです。


 あなたに出逢ったあの大吹雪の夜。

 わたしも本能に従い、あなたを殺すために戸を叩きました。

 得体の知れない女を快く泊まらせる、かっこうの餌食だと思いました。

 我が身を犯そうとすれば、すぐに正体を現して殺す算段を、あなたが作ってくれた薄めた粥を食べながら企てていました。


 ですが……あなたは本気でわたしを心配してくれました。


 少しでも震えた素振りをすれば、寒くないかと極限まで叩いたせんべいのような布団をかぶせてくれました。

 暮らしはよくないのに、わたしには多く食べ物を寄越してくれました。

 無償のやさしさに、わたしはいつのまにか心地よくなっていたのです。


 そうやって日々を過ごして──離れがたい、そんな風に感じてしまいました。

 一日だけ泊まるはずが次の日も、そしてその次の日も、そして月をまたいで──ここまで居着いてしまいました。


 この身を見れば一目瞭然。

 わたしは春を越せないのです。

 もし、わたしが人であったならば。あなたと過ごした冬、いつもそう思ってそばにいました。


 ああ……泣かないでください。

 あなたが悪いのではありません。

 

 雪の精のいのちは短いのです。冬の間にしか、生きられないのです。

 そういうさだめなのでございます。


 でも──悪いことばかりではありません。


 いま、融けていくこの身体。

 地に落ちて作物の養分となり、実らせる。

 流れたら川のしずくとなり、飲み水になる。

 作物を食べ、水を飲めば、あなたの身体の一部になるのです。

 

 ……あなたに出逢えてよかった。

 喰らわなくて、本当によかった。

 わたしにくれたやさしさを忘れずに、これからも生きてください。

 いついつまでもお元気で。


 ……春も、思いの外悪くはないですね。

 あなたに見守られながら、身体に光が差し込み……あたたかい。


 この身は、日差しによって融ける。

 融けて大地を潤す。

 そして新しいいのちが芽吹き──やがて、春になる。


 さよなら、愛しいひと。

 どうか、どうか。あなたの人生の記憶のひとかけらに、わたしがおりますように。




(終)




 

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