第5話 報酬、傷、そして近すぎる距離
駅構内に、再び静寂が戻った。
それは、安心できる沈黙ではない。
——多くのものが死んだ後にだけ残る、重い静けさだった。
俺はまだ膝をついたまま、青い光を見上げていた。
【ミッション報酬が付与されました】
神崎・レイト
・ナラティブポイント +300
・新規スキル:負傷解析 Lv.1
・追加状態:軽度出血
警告:
未治療の負傷は、長期的なステータスに影響を及ぼします。
俺は舌打ちする。
「……軽度、ね」
腹の脇に残る熱は消えていない。
服は乾きかけた血で重く、少し動くだけで鈍い痛みが走る。
視線を横に向けた。
——そこで、ようやく気づいた。
冬月・アカネの黒いコート。
袖が裂け、その下の白い布地が赤く染まっている。
血が、ゆっくりと滲んでいた。
彼女は壁にもたれ、呼吸は落ち着いている。
だが——明らかに痛みを堪えている。
「……腕」
俺が言うと、彼女はちらりと自分の腕を見る。
「ああ、これ?」
「そのうち止まるわ」
俺は立ち上がり、少しふらつきながら近づいた。
「ダメだ」
思ったより、声が強くなった。
「感染したら厄介だ。出血が続いても同じだ」
数秒、彼女は俺を見つめ——
それから、薄く笑った。
「いつから医者になったの?」
「違う」
即座に首を振る。
「さっき、負傷解析のスキルをもらったんだ」
彼女が眉を上げる。
「……なるほど」
俺は一度、深呼吸した。
「コート、少し開いてくれ。傷を見ないと」
アカネは黙る。
そして——
「ずいぶん直接的ね」
軽い口調。
「知り合ってすぐ、コートを脱げって?」
「ち、違う! そういう意味じゃ——!」
慌てて否定する。
「本気だ! 血が出てる!」
彼女は小さく笑った。
短く、静かな笑い。
からかうようなものではない。
「冗談よ」
「顔に全部出てるもの」
そう言って、ゆっくりとコートのボタンを外し、左肩を少し下ろす。
露わになった腕。
深めの裂傷。赤黒く、まだ血が滲んでいる。
胸が、少し詰まる。
「……座って」
「動かないで」
「命令口調ね」
「案外、似合うかも」
「冬月さん」
自分でも驚くほど、真剣な声だった。
彼女は、ふざけるのをやめる。
「……わかった」
俺は、報酬でもらった簡易医療バッグを開いた。
中身は最低限——消毒液、清潔な布、粗い包帯。
手が、わずかに震える。
集中しろ。
【負傷解析 Lv.1 発動】
・深度:中
・リスク:低〜中
・推奨処置:即時洗浄、軽度圧迫
喉を鳴らす。
「少し、痛いかもしれない」
「覚悟はしてる」
俺は、慎重に傷を洗う。
「……っ」
彼女が小さく息を漏らした。
俺は反射的に止まる。
「ご、ごめん! 痛かったか?」
「違う」
すぐに否定される。
「ちょっと、驚いただけ」
俺は頷き、今度はもっと丁寧に続けた。
不慣れな手つき。
それでも、落ち着こうと必死だった。
布で押さえ、包帯を巻く。
「もう少し、動かないで」
「すぐ終わる」
彼女が、近い距離で俺を見る。
その視線は、さっきまでよりも柔らかい。
「変わったわね」
小さな声。
「さっきまで、死ぬほど怯えてた人とは思えない」
俺は苦笑する。
「変わらなかったら、もう死んでる」
最後に包帯を留める。
「……終わり」
アカネは腕をゆっくり動かした。
「……綺麗ね」
「ありがとう、神崎くん」
俺は、ようやく息を吐いた。
「次からは、こういう時に冗談言うな」
彼女は、少しだけ笑う。
「じゃあ」
コートを戻しながら、
「また注意できるように、生きてなさい」
俺は答えなかった。
なぜなら——
この世界が壊れてから、初めて。
俺は
一人じゃない、と感じてしまったから。
そして、どうしてか。
その感覚が——怖かった。
青い光が、再び現れる。
今度は——アカネの前。
彼女は真っ直ぐ立ち、淡々と文字を読む。
【ミッション報酬が付与されました】
冬月・アカネ
・ナラティブポイント +300
・新規スキル:戦闘時冷静 Lv.1
・追加装備:タクティカルグローブ(一般)
備考:
高圧状況下における合理的判断能力が向上します。
彼女が指を動かすと、
薄くフィットする黒い手袋が現れた。
「……妥当ね」
俺は言う。
「驚かないんだな」
彼女は俺を見る。
「驚いても、結果は変わらない」
「それに——このスキル、私向きだもの」
俺は小さく笑った。
「確かに」
だが、彼女の視線が下がる。
俺の服。
まだ血が滲む腹部。
「……次は、あなた」
「え?」
彼女が指差す。
「軽度出血」
システムの文言そのまま。
「ちゃんと処置してない」
「これ?」
俺は手を振る。
「歩けるし——」
「座って」
さっきと同じ、短い命令。
俺は黙り込む。
「……はい」
冷たく汚れた駅のベンチに座る。
アカネは俺の前で片膝をついた。
動きに、迷いがない。
慣れている。
彼女は医療バッグを開く。
「よく、やってたのか?」と俺。
「昔ね」
短い答え。
「まだ、世界がこんなになる前」
それ以上は聞かなかった。
冷たい布が傷に触れる。
「……っ」
俺は息を止める。
彼女が手を止める。
「痛い?」
「少し」
正直に言う。
「なら、力を抜いて」
「余計に悪くなる」
簡単に言う。
……できない。
アカネが小さく息を吐く。
少しだけ、笑ったように見えた。
「ほんと、不器用ね」
「悪かったな」
処置は、さっきよりも優しい。
安定した手。
迷いがない。
「……不思議ね」
突然、彼女が言う。
「さっきまで、一緒に死にかけてたのに」
俺は小さく笑う。
「今は、交代で応急処置」
包帯を留める。
「終わり」
「無理しないで」
俺は立ち上がる。
「……ありがとう」
彼女も立ち、破れたコートを羽織る。
「引き分け」
「あなたが私を治して、私があなたを治した」
俺たちは、駅の出口へ向かった。
一歩一歩が重い。
傷のせいじゃない。
——外にあるもののせいだ。
自動ドアが開く。
そして——
世界は、地獄で迎えた。
道路には死体。
瓦礫に潰されたもの。
焼け焦げたもの。
……原形を留めていないもの。
衝突したままの車。
ボンネットから上がる炎。
鳴り続けるアラームが、機械的な悲鳴のように重なる。
駅周辺の建物は——
ガラスは割れ、
壁は崩れ、
黒い煙が灰色の空へ昇る。
信号は消え、
公共施設は破壊され、
警察も、
救急車も、
いない。
あるのは——
崩壊だけ。
俺は唾を飲み込む。
これは、一つのシナリオじゃない。
——世界そのものが、落ちた。
アカネは隣で、前を見つめている。
「……これが、本当の規模ね」
俺は拳を握る。
「原作じゃ……“初期救済失敗フェーズ”だ」
彼女が振り向く。
「で、あなたの話だと」
「この後は?」
深く息を吸う。
「……人間が、モンスターを殺し始める」
「人間も、ね」
静かな補足。
否定しなかった。
俺たちは、歩き出す。
駅を背に。
もう、許可を求めない世界へ。
――つづく
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