第3章 「世界中に開かれたページ」
【ワールド・シナリオ・システム】
シナリオ生命体
インク・レイス ― 低級
を討伐しました。
行動評価:
・集団パニック
・即席の戦略
・瀕死(複数回)
シナリオは正式に開始されました。
追加ミッション:
「シナリオ生命体を一体排除せよ」
システム注記:
・理由は考慮されません
・後悔は成功後に行ってください
報酬:
生存権限 を付与しました。
続行してください。
――そして覚えておいてください。
あなたの命は、
まだあなたのものです。
……今のところは。
ホログラムは、ゆっくりと霧散していった。
青白い光の残滓が、風に払われる露のように消えていく。
俺は、まだ息が荒かった。
手が震えている。
怪我のせいじゃない。
――俺たちが、今しがたやったことのせいだ。
「……俺たち……」
声が掠れる。
「……何かを、殺したんだよな?」
すぐに返事はなかった。
数歩離れた場所に、アカネが立っている。
彼女は、車両の床に残った黒い染み――
乾きかけた“インク”の跡を見つめていた。
表情は、静かだった。
……静かすぎるほどに。
「……ええ」
やがて、淡々と答える。
「そして世界は、それに名前と等級と報酬を与えた」
彼女は自分の手を持ち上げ、少しだけ眺める。
血はない。
傷もない。
「変わったのは、それだけ」
小さく続けた。
「――私たちの、見え方が」
喉が鳴る。
胸の奥にある感覚は、
安堵でも、恐怖でもなかった。
もっと別の――
一線を越えてしまったような感覚。
アカネがこちらを向く。
「神崎くん」
短く、名前だけ。
「これからは、非現実だなんて思わないで」
真っ直ぐに、俺の目を見る。
「システムは――
迷ったからって、やり直しをくれるほど優しくない」
――『エスカトン・クロニクル』では、
最初のインク・レイスが倒されたあと、
必ず“静かな一ページ”が入る。
アクションはない。
会話もない。
小さなコマが、ただ並ぶだけ。
崩れるビル。
立ち上る炎。
逃げ惑う人々。
黒く染まる空。
そして、真っ白なページの中央に書かれた一文。
『破滅は、一つの場所で起こらない』
『それは、同時に、至るところで起こる』
当時の俺は、それを演出過剰だと思っていた。
――今は違う。
インクと乾いた血に汚れた座席に座り、
俺は理解していた。
あのページは、
現実で再生されているのだと。
列車は、まだ走っている。
ガタン、ゴトン――
鉄輪がレールを叩く音は一定で、
まるで何事もなかったかのようだった。
乗客たちは、力なく座り込んでいる。
膝を抱える者。
声を殺して祈り続ける者。
誰も、大きな声を出そうとしない。
――何かを呼び寄せてしまいそうで。
深く息を吸い、
高鳴る鼓動を必死に抑える。
「……まだ、始まったばかりだ」
無意識に、そう呟いていた。
扉のそばに立つアカネが振り返る。
「何か言った?」
「い、いや……その……状況が、終わってないって」
数秒間、見つめられる。
その視線は鋭く、
ただ聞いているだけじゃない――
測っている目だった。
「私も、そう思う」
やがて、そう言った。
アカネは黒いコートの内側からスマートフォンを取り出す。
――繋がっている。
それだけで、異常だった。
ニュースアプリを開いた瞬間、
世界は――
ようやく本性を剥き出しにした。
【速報】
「正体不明の現象、世界各地で同時発生」
映像①
渋谷スクランブル交差点。
黒い怪物が群衆に突っ込む。
悲鳴。
カメラが落ち、映像が途切れる。
映像②
ソウル。
巨大な影が、マンションの外壁を這い上がる。
映像③
ニューヨーク。
赤い光で空が裂け、
古代の警報のような音が鳴り響く。
コメントが、滝のように流れる。
CGだろ?
テロか?
終末じゃないのか?
拳が、無意識に握られていた。
「……同じだ」
小さく、呟く。
アカネが素早くこちらを見る。
「何が?」
喉が、ひどく乾いている。
「『エスカトン・クロニクル』の流れと……」
声を落とす。
「最初のシナリオのあと、
世界が同時に崩れ始める」
彼女は、すぐには反応しなかった。
驚きも、嘲笑もない。
ただ、沈黙。
それが逆に、俺を不安にさせる。
「……そのタイトル、知ってるのか?」
アカネはスマホを下ろし、
窓に映る自分たちの影を見つめる。
「タイトル以上に、ね」
心臓が、強く打った。
――やはり。
彼女は、普通の乗客じゃない。
原作では、この場面でナレーションが入る。
『何人かは気づき始める』
『この世界が、物語になったことに』
まさか、
自分がその一人になるなんて。
画面を、もう一度見る。
崩壊。
炎。
怪物。
一体や二体じゃない。
数百、数千。
もう、車両一つで生き残る話じゃない。
「……世界の、終わりだ」
掠れた声で言う。
アカネは画面を消した。
「いいえ」
静かに。
「――これは、プロローグ」
列車が減速する。
次の駅のアナウンスが、かすかに聞こえた。
背もたれに体を預け、
背骨を冷たいものが伝っていく。
もし、この世界が本当に原作通りなら――
俺は、これから起きることを知っている。
そして初めて、思った。
その知識は、
祝福なのか――それとも呪いなのか。
プシュー――。
ドアが開く。
外気が、顔を打つ。
鉄の匂い。
煙。
そして――
長く、死に触れてきた臭い。
一歩。
たった一歩、車両の外に出ただけで――
世界は、完全に変わった。
死体。
至るところに。
ホーム。
階段。
改札機のそば。
不自然な体勢で横たわる肉体。
まだ人の形を保っているもの。
目を見開き、驚愕を刻んだままの顔。
……そして、
もう人とは呼べないもの。
黒く。
砕け。
インクを浴びたように。
若い男が、鞄を落とす。
「……嘘だろ……」
「これ……映画だよな?」
「なんで……こんなに……」
女の悲鳴が響き――
次の瞬間、嗚咽に変わった。
俺は、動けなかった。
原作・41ページ目。
見開き一枚。
左上の小さなタイトル。
『避難所になれなかった駅』
数人が、慌てて列車に戻ろうとする。
だが――
ピッ。
閉扉。
「開けろ!!」
「置いていくな!!」
列車は、走り去った。
俺たちを、残して。
アカネは隣で、静かに周囲を見回している。
表情は変わらない。
だが、視線だけが速い。
「……言った通りね」
喉が鳴る。
「……まだ、原作通りだ」
――今のところは。
その時。
空気が、震えた。
内側からガラスを叩かれたような感覚。
――ゴォォン。
ホーム中央に、
淡い青光が灯る。
投影じゃない。
巨大な、幾何学的ホログラム。
全員が、凍りついた。
そして――文字が浮かぶ。
【ワールド・シナリオ・システム】
公開シナリオ#1
「生存か、消去か」
声には感情がない。
性別もない。
聞く者を選ばない。
【ルール】
世界は「物語フェーズ」に突入しました。
全人類はステータスを取得可能です。
ステータスはスキルおよび装備で強化できます。
【生存条件】
・シナリオ生命体を討伐する
・提示されたミッションを達成する
・制限時間まで生き延びる
膝から崩れ落ちる人々。
「ステータス……?」
「スキル……?」
「ゲーム、なのか……?」
拳を握る。
――来た。
【初期報酬】
・シナリオショップへのアクセス
・初期武器(ランダム)
・初心者スキル(ランダム)
画面が切り替わる。
浮かぶアイコン。
剣。
槍。
ナイフ。
書物。
理解不能な紋章。
そして、隅に――
巨大なタイマー。
制限時間:60分
失敗=消去
誰かが、壊れたように笑った。
「はは……夢だろ……なぁ?」
――グシャ。
ホームの奥で、何かが動く。
暗い通路から、
影が、這い出してくる。
一体じゃない。
複数。
ホログラムに、最後の一文が追加された。
シナリオ生命体が出現しました。
ゲームを開始してください。
目を閉じる。
原作のナレーションが、脳裏をよぎる。
『この時、人間は世界の住人であることをやめた』
『彼らは、キャラクターになった』
目を開く。
視界の端に――
小さなウィンドウ。
【神崎 レイト】
ステータス:未登録
状態:疲労
注記:
物語観測者を検出
……固まる。
「……なんだ、これ……」
アカネが、静かに言った。
「神崎くん」
「どうやら――
私たち、本編に入ったみたいね」
俺は、理解していた。
この瞬間から――
もう、戻れない。
――つづく
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