第2話 「彼女にして!と、論破されかけた日」

 人生で一番追い詰められたのは、

 模試の結果を見たときでも、

 部活の顧問に呼び出されたときでもない。


 断言できる。


 それは、

 小学三年生に、真正面から告白された日だ。


 その日も、俺は近所の公園にいた。

 例の砂場がある、あの公園だ。


 時刻は夕方。

 部活帰りで、ジャージ姿。


 頭の中は、

「腹減った」と「今日の数学やばかった」で八割を占めていた。


 早く帰って飯を食いたい。


 そう思いながら、公園を横切ろうとした、そのとき。


「かずおに~ちゃ~ん!」


 聞き慣れすぎた声が、背後から飛んできた。

 嫌な予感しかしない。


 振り返ると、案の定。


 砂場の前に立っていたのは、高原愛結だった。


 ランドセルを背負い、帽子をかぶり、

 なぜか仁王立ち。


「どうした?」


 この時点で、逃げるべきだった。

 分かっていたのに、足が止まった。


 詰みである。


「話があるの!」


 真剣な声。

 遊びのテンションじゃない。


「うん?」


 できるだけ平静を装う。


 愛結は一歩前に出て、

 ぐっと胸を張った。


 嫌な既視感。


「愛結ね、考えたのね」

「うん」

「もう、小学校三年生だしね」


 いや、その“もう”の基準が分からない。


 そして、間を置かずに言った。


「彼女にして!」


 ……来た。

 来てしまった。


「いや、ちょ……ちょっと、待て待て待て!」


 俺は思わず声を上げ、一歩後ずさる。


「なんで?」

「なんでって……!」


 言葉に詰まる。


 小学生だぞ。

 しかも三年生。


「ほら、年齢差とか!」

「関係ない!」


 即答。


「俺、中学生だし!」

「愛結も、すぐ大きくなるもん!」


 理屈が強すぎる。


「そういう問題じゃなくてだな……!」


 必死に言葉を探す俺を、

 愛結はじっと見上げていた。


 その目が、

 冗談じゃない。


「ねえ……」


 愛結は、首を傾げた。


「結婚するって言ったよね?」


 過去の俺を殴りたい。


「それは、その……」

「結婚するなら、まずは彼女でしょ?」


 ぐうの音も出ない。


「だから、今から彼女でいいと思う。」


 小三のくせに、論理展開が綺麗すぎる。


「いや、その……だから順番が……」

「順番……って?」

「そう、順番! まずは、その……」


 俺は、苦し紛れに言った。


「えっと、あ~……高校生になったら、とか……」


 言った瞬間、

 やってしまったと分かった。


「ほんと!?」


 目が輝いた。


「え、いや、今のは……」

「約束だね!」


 即断。


 愛結は小指を突き出してきた。


「いやいやいや!」

「指切り!」


 公園の砂場の前で、

 中学生が小学生と指切りをする光景。


 通りすがりのおばちゃんが、

 完全に微笑ましいものを見る目でこちらを見ていた。


 逃げ場はない。


「はい……」


 俺は、負けた。


 その日から。


 愛結は、完全に調子に乗った。


「かずおに~ちゃん!」

「なに?」

「愛結、彼女候補だから!」


 いや、候補を募った覚えも、

 承諾した覚えもない。


「まだ彼女じゃない!」

「でも、なる予定だし!」


 未来形が強い。


 しかも、言うタイミングが完璧だった。


 学年が変わるたびに。


「今年は四年生だから!」

「関係ない!」

「五年生になったから!」

「まだだから!」


 俺の回避スキルだけが、

 無駄に向上していく。


 なのに。


 愛結は、一度も引かなかった。

 照れもしない。

 泣きもしない。


 ただ、当たり前みたいに言う。


「彼女にして!」


 まるで……

 そう、まるで約束の確認をするみたいに。


 今思えば。


 この時点で、

 もう詰んでいたのかもしれない。


 同じ公園。

 同じ砂場。


 何度も逃げて、

 何度も誤魔化して。


 それでも、

 愛結は毎年、そこに立っていた。


 俺はまだ知らなかった。


 この“毎年の告白”が、

 やがて俺の逃げ道を、

 少しずつ塞いでいくことを。

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