第2話
失った感覚があった。それは、安堵にも似ていた。
CDはゴミ箱に入れてしまった。私は、逃げた。そうでなくては、息が詰まってしまう気がした。理不尽の中に、ピアノだけがあれば、救われた。その旋律は、私の孤独を撫でるようだった。けれど、今は、守られるべき、届いてはいけない距離にある。
その後は、すっきりしたものだった。清々しい気持ちで、私は制服を洗濯機で回し、ベッドに入り込んだ。スマートフォンの画像フォルダから彼の写真を消していく。私は、彼の表面だけ、なぞっていたのだろう。写真の男女は、どれも同じ表情で笑っていた。いつしか、次第に瞼は重くなり、意識は途絶えた。
夢を見た。そこに在るのは、理不尽から逃げるために弾く、私の姿だ。単音から始まる穏やかな旋律は、いつかの音だ。間違いすら、じっと聴いた。観客は、私一人だけ。その音は、置かれた瞬間に役目を終えてしまう。それでも、私は、共に在った。
目覚めれば、泣いた後のように頭は鈍く重かった。私の頭の中、遠くでピアノが鳴っていた。
箱に投げたのは、大切なものだった。そっと取り出せば、感情さえも過去になった。空いた心が、CDをレコーダーに入れさせる。誤って、入れてしまった。それは、人生の選択に似ている。
私たちは、それがあまりに美しかったから、手を伸ばしてしまっただけだ。
流れるのは、ピアノの旋律。あれだけ遠かった音が、近くにあった。それは、空。去る人。何も掴まない手だ。私も、何も掴まない。それで、十分だった。
呼吸をするように、私は音が好きだった。音は、私を慰めない。ただ、そこに在っただけだ。
「ねえ、そこの店員さん。」
悲しみがあろうとも、日常は止まってはくれない。
「はーい。」
慣れた手つきで商品を小袋に入れる。
「今日も寒いねえ、お疲れ様。」
その優しさに、ほろっと涙が出た。目の前の男性客が驚き、言葉に迷っている。あなたのような人は、きっと、私の気持ちは分からない。優しさは、時に傷を抉る。
「ありがとうございましたア。」
私は客に小さく礼をして、逃げるようにその場を離れた。命に触れたわけでもないのに、動悸がしていた。
日々の中で、ふとした瞬間に過る。私は、どうして、こんなにも必死なのだろう。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます