第4話 過信する男
あれから、3年という月日が流れた。
季節は巡り、娘の結衣は小学生になっていた。
家の外見は変わらない。 けれど、ガレージに停まっている車は、以前よりもさらに凶悪な見た目に変貌していた。
車高は地面を擦るほど低く、マフラーからは爆音が轟く。 リアウィングは子供の背丈ほどもある巨大なものが取り付けられていた。
「おい美咲! 見ろよこれ!」
休日、達也がガレージで声を張り上げた。 オイルまみれの手で、新しいパーツを撫で回している。
「今回のタービン交換で、馬力が50は上がったぞ。これなら峠で負ける気がしねえ」
「……そう。すごいわね」
私は洗濯物を干しながら、抑揚のない声で返した。 この3年間、私は達也の前では「従順で、少しあきらめた妻」を演じきってきた。
「へっ、お前には分かんねえだろうけどな。この改造費、どっから出たと思う?」
達也は得意げにニヤリと笑った。
「お前が昔うるさく言ってた『保険代』だよ。あれを払わなかった分、3年で30万以上浮いた計算だ。全部この車に投資できたってわけよ」
30万円。 彼はそれを「浮いた金」だと思っている。
だが実際は、彼が背負っているリスクが青天井に膨れ上がっているだけだ。
「事故も一回もねえ。違反で捕まることもねえ。俺の言った通りだったろ? 保険なんて、下手くそから金を巻き上げる詐欺システムなんだよ」
達也の高笑いが響く。 彼が捕まらないのには理由がある。
警察の検問情報をSNSで共有する仲間がいることと、車検の問題だ。 違法改造車は、本来ならディーラーでの車検は通らない。
だが彼には「悪友」がいた。
「いやー、今回もコーちゃんに頼んで助かったわ。あそこの整備工場、裏金握らせれば触媒ナシでも書類通してくれるからな」
先日、車検から戻ってきた時に達也はそう言っていた。 自賠責保険だけは車検時に払っているようだが、対人・対物を無制限でカバーする任意保険には、やはり未加入のままだ。
私はその時の会話も、しっかりとボイスレコーダーに記録していた。
『Xデー・ファイル』は、もう分厚い辞書のような厚みになっている。 違法改造の証拠写真。 裏車検を自慢する音声データ。 日々のモラハラ発言の記録。
そして―― 毎年のように届き、私が握りつぶし続けてきた保険会社の通知の束。
「ねえ、達也」
私はふと、彼に問いかけた。 これが最後の情け、あるいは確認作業だったのかもしれない。
「最近、ニュースで高額賠償の事故やってたわよ。自転車とぶつかって1億円とか。……本当に、保険に入らなくていいの?」
「あぁ? まだそんなこと言ってんのか」
達也は露骨に不機嫌な顔をして、スパナを床に叩きつけた。
「俺はプロ級の腕を持ってんだよ。飛び出してくるバカがいたら、俺が避けてやるよ。それで感謝されることはあっても、事故ることはねえ」
彼は本気でそう信じている。 3年間無事故だったという「結果」が、彼の過信をコンクリートのように固めてしまっていた。
「分かったわ。もう言わない」
「おう。二度と言うな。縁起でもねえ」
達也は再び車いじりに没頭し始めた。
――縁起でもない、か。 私は心の中で冷笑した。
あなたは気づいていない。 3年間、事故が起きなかったのは、あなたの腕がいいからじゃない。
単に「運が良かっただけ」だ。 そして、運というのは必ず収束する。
家の中に戻ると、娘の結衣が不安そうな顔で立っていた。
「ママ……パパ、また怒ってるの?」
「ううん、違うのよ。パパはね、ご機嫌なの」
私は娘の頭を撫でた。
結衣を守るための貯金も、別居用の口座に十分な額が貯まった。 弁護士の先生とも、「その時」が来たらすぐに動ける手はずは整っている。
(準備はすべて終わったわ)
あとは、最後のピースが埋まるのを待つだけ。
達也の運転への過信。 整備不良ギリギリの違法改造。 そして、無保険。
これだけの火薬が積み上がっているのだ。 あとは誰かがマッチを擦る必要すらない。
自然発火するのを待てばいい。
その夜。 天気予報は、明日から崩れると言っていた。
私はなぜか、胸騒ぎがした。 妙に静かで、重苦しい予感。
――そろそろね。
私はカレンダーを眺めながら、静かに呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます