第4話 Between

『これ、見つけたんだ』

封筒を差し出すと母の手が止まった。ほんの一瞬だけ息をのむ音がした。

『これ、僕が書いたものだよね?18歳の頃、僕は何をしてた?ここに日付けも書いてある。18歳の8月ごろ。高校最後の夏休み。』

『あなたはあのころ、少し疲れていたのよ。学校のこととか、将来のこととか・・・ね。』

『この封筒に、ごめん。僕はあの子を___って書いてあるんだけど・・・あの子って?』

『あの子は・・・』母はそこで口を閉じた。

『あの子って誰なんだよ』僕は踏み込んだ。忘れていた記憶を取り戻すために。


『あの子は・・・』震える声で母は続けた。『・・・あなたが預けたのよ。赤ちゃんポストに。』

母はそう言った後、しばらく黙った。言葉を選んでいるというよりも思い出すのをためらうようだ。赤ちゃんポスト?どういうことだ?意味がわからない。

『あなたは・・・あの頃、本当に追い詰められていたの。学校のことも、家のことも、全部ひとりで抱え込んで誰にも相談しなかったでしょう。私たちも気づいてあげられなかった。あなたがあんなに思い詰めていたなんて。』

僕は息をのんだ。

『だから、あの子のこともあなたはどうしていいかわからなかったのよ。責めているんじゃないの。あの時のあなたはまだ子供だった。誰だって間違えることはあるの』

優しく言う母のやさしさが胸に刺さった。


当時18歳だった僕は学年で一番かわいいと言われていた人を彼女にして、有頂天になっていた。有頂天だった僕は彼女と子供を作るという過ちを犯してしまったようだ。

______________________


『・・・どうするの、これから』

彼女は震える声で言った。胸の中の小さな毛布を見つめたまま、僕の目を見ようとしない。

『親には言えないよ。絶対に。見つかったら・・・。』

彼女の声は途中で途切れた。僕は何も言えなかった。頭の中が真っ白で1どうすればいいかわからなかった。

『ごめん、全部私のせいだよね。』『違う。違うよ。僕だってどうしたらいいか・・・』

言葉が続かなかった。責任を取る覚悟なんてどこにもなかった。沈黙が落ちた。夏なのに空気がやけに冷たかった。


『・・・ねえ、赤ちゃんポストって知っている?』

僕は顔を上げた。

『あそこならだれにも見つからない。誰にも迷惑かけない。この子は・・・助けてもらえる。』

彼女は泣きそうな顔でつづけた。

『お願い・・・もう限界なの、学校も、家も全部・・・怖いの。』

僕は何も言えなかった。ただ彼女の震える手を見ていた。

『・・・わかった。』

自分でも驚くほど小さな声だった。

『行こう。今夜。』


帰り道、彼女は一言も話さなかった。

僕も何も言えなくなった。自分の勝手な行いで一人の人の人生をぶち壊している。この子は親がいない。この後どう生きていくんだろう。ただただ幸せになってほしい。勝手ながらそう思っていた。


数日後、彼女は学校に来なくなった。

彼女の親は娘の様子がおかしいことに気づいたらしい。泣き続け、食事もとらず、ごめんなさいごめんなさいと夜中に何度も叫んだという。


______________________


『そして娘さんは言ったのよ、あの子を・・・置いてきたって。』

『その話を聞いて、あなたの部屋に来た時、あなたは泣きながら謝っていたのよ。『俺が・・・俺が悪いんだ・・・』て何度も』


胸の奥が、音もなく崩れ落ちた。

罪悪感、恐怖、申し訳なさ、虚無感が一気に押し寄せ、自分が何者かわからなくなった。

そのとき美幸の声が遠くから聞こえた。

『お母さんとどんな話していたの?』僕は振り向けなかった。

『・・・ねえ、どうしたの?』

『ちょっと外の空気を吸ってくるよ。』多分あの時もこんな気持ちだ。逃げたいのに逃げられない。

外に出ると冬の空気が肌に刺さった。深呼吸をしても胸のざわめきは収まらない。美幸が来た。玄関の気配で分かった。でもどうしても顔を見られなかった。足は勝手に動いて家の周りをぐるぐると歩き回っていた。何を考えているのか自分でもわからない。


赤ちゃんポスト。美幸には言えない。

美幸の顔が浮かぶ。

笑っている顔。

泣いている顔。

息子を抱いていた時の顔。


・・・全部が急に遠く感じた。

『・・・僕、何していたんだろう』

声に出した瞬間、胸の奥がひりついた。思い出せない。でも何かをしてしまった感覚だけが体には残っている。


ポケットの中で封筒がかすかに触れた。封筒の冷たさがまだ指先に残っている。家に戻るのが怖かった。美幸の顔を見るのが怖かった。


でも戻らないわけにもいかない。

ゆっくりと家の方へ歩き出した。

足取りは重く、地面に沈んでいくようだった。

美幸の声だ。

胸が強く締め付けられた。どうしてこんなに苦しいのだろう。答えはまだわからない。でも逃げ続けることもできない。


僕は震える手でドアノブに触れた。

玄関のドアノブは冷たかった。手の震えが止まらないのは寒さのせいじゃない。

ゆっくりと扉を開けるとリビングの明かりが漏れていた。

『・・・おかえり』

美幸の声がした。いつもと同じ優しい声なのに胸が痛んだ。僕は靴を脱ぎながら『ただいま』というのが精いっぱいだった。

リビングに入ると美幸はテーブルの上に置かれた湯呑を両手で包んでいた。

『・・・大丈夫?』

その一言がなぜか刺さった。僕は視線を合わせられず、『うん』とだけ答えた。沈黙は落ちた。テレビはついているのに音が遠く聞こえる。

美幸は僕の顔をじっと見ていた。何かを言いたそうで、でも言わない。その沈黙が苦しかった。

『ごめん、ちょっと休むよ』

逃げるように僕は元僕の部屋に向かった。ドアを閉めるとようやく呼吸ができた気がした。うす暗い部屋の中で封筒を取り出す。


『ごめん、僕はあの子を____』


にじんだ文字が見えた。胸の奥がじわじわ痛む。

布団に倒れこむとまた天井のシミが見えた。ずっと泣いていたみたいに。


胸のざわめきは消えなかった。

夢を見ているのか妄想しているのか夢か現実かわからないまま僕は夜を終えた。

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