第5話 Answer

翌朝、目が覚めても胸のざわめきは消えていなかった。夢と現実の境目があいまいでどちらが本当かわからない。


リビングに降りると美幸は静かに朝食をとっていた。僕の顔を見ると少しだけ笑った。その笑顔がどこか無理しているように見えた。

『今日、市役所行くんだよね・・・?』美幸が言った。

息子の死亡届。避けられない手続き。

『・・・うん』

声がかすれた。食事の味はしなかった。


市役所の窓口はいつも通り淡々としていた。

僕の胸のざわめきとは無関係に、時間だけが流れていく。

『こちら、奥様の戸籍も必要になりますので。』

『戸籍?』

『はい。ご家族の確認が必要になります。』


美幸の戸籍。

今まで深く見たことがなかった。言われるがままに申請書を書き、待合の椅子に座った。番号を呼ばれるまでの数分がやけに長く感じた。


『お待たせしました。こちらが奥様の戸籍になります。』

市役所職員から紙を受け取った瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。

何気なく、視線を落とした。ただ確認するだけのつもりだった。


出生地:長野県白鷺市

出生日時:1991年8月30日


息が止まった。


赤ちゃんポストの病院と、同じ場所、同じ日付。


手が震えた。

『奥様養子縁組なんですね。』職員が何気なく言った。『こちら実の親が空欄になっています。』

世界が一瞬だけ静止した。実の親が空欄。赤ちゃんポストに預けられた子供はこういう記載になる。

胸の奥がひりついた。何かがつながりそうで、つながってほしくない。


『大丈夫ですか?』職員の声が遠く聞こえた。

戸籍を折りたたむ手が震えていた。


家に戻ると美幸が玄関で持っていた。僕の顔を見ると少しだけ不安そうに眉を寄せた。『・・・手続きどうだった?』

『・・・問題なかったよ。』嘘をついた。

美幸は僕の手元の封筒に目を落とした。戸籍が入っていると気づいたのだろう。『ありがとうね。大変だったでしょ。』胸が痛んだ。

『・・・美幸。』

呼ぶと美幸はゆっくり顔を上げた。

言葉が出なかった。聞きたいことは山ほどあるのにどれも口にできなかった。美幸は何も言わなかった。ただ静かに僕を見つめていた。その沈黙が何よりも重かった。


『一つ聞いていい?』

『うん』

『・・・自分の出生のこと、知っている?』

美幸は一瞬だけ息をのんだ。でも静かにうなずいた。

『・・・うん、戸籍見たら分かるわよね。私赤ちゃんポストに預けられたの。両親が病気で亡くなっていた話は嘘なの。』

『誰が預けたかは・・・?』

美幸は目を伏せた。

『知らない。知りたいと思っていたけど、怖かったから。』

『怖い?』

『うん、もし私を捨てた人が私のことなんて覚えてなかったら・・・それが一番怖かった。』

美幸はつづけた。

『でもね、誰が産んだかよりも誰と生きたかの方が大事だと思っている。』

その言葉が主人公の胸に深く突き刺さる。


『・・・美幸』声が震えた。

『もしも・・・、もしもだよ。自分を預けた人がすごく身近な人だったら・・・どう思う?』

美幸はゆっくり顔を上げた。その目は、どこか覚悟を決めたように静かだった。

『その人が、苦しんでいるなら・・・。私はその苦しみごと受け止めたい。』

『・・・なんで?』

『だってその人もきっと・・・どうしようもなかったんだと思うから。』

美幸は微笑んだ。涙をこらえるような優しい笑顔だった。

その笑顔が主人公の胸を締め付けた。


『・・・美幸』

『僕だ。あの子を・・・預けたのは僕なんだ。』美幸は目を閉じた。涙が一筋だけ頬を伝った。でも責める言葉はなかった。



『・・・知ってたよ。』

『え?』

『あなたの様子を見てたら・・・なんとなくそうなんじゃないかって思っただけだけど。』

美幸はそっと僕の手を握った。

『ありがとう。言ってくれて。』

『・・・ごめん。』

『ううん、謝らないで。あなたもあの時は子供だったんだよ。』

その言葉が胸の奥の氷を溶かした。

『・・・赦してくれるの?』




美幸は微笑んだ。

『赦すよ。だって・・・あなたは私の家族だから。』

僕は泣いた。声にならないまま、ただ泣いた。

美幸は何も言わず、そっと僕の背中に手を回した。


その温かさが

18歳の頃の夜をようやく終わらせてくれた。

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禁忌 (完結済み) 無名小説家ちゃん @jirowinner

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