第四章「剣か、パンか」

 運命の三ヶ月が過ぎた。

約束の日。

王城の最奥にある「玉座の間」は、張り詰めた空気に支配されていた。


 並ぶのは、国の行く末を決める重鎮たち。

軍服に身を包んだ将軍たち。豪奢な衣装の有力貴族たち。

そして、彼らの視線を一身に集める英雄、ガランド。

対するは、たった一人。

くたびれた官僚服を着た、レオン・ハーゼンのみ。


 玉座に座る国王が、重い口を開いた。


「期限である。――財務官レオン。

報告せよ」


 レオンが一歩進み出る前に、轟音のような声が広間を震わせた。


「報告など不要です、陛下!!」


 ガランドだった。

彼はレオンを睨みつけ、その巨躯で遮るように前に出た。


「もはや議論の余地はありません。街を見れば明らかだ。物価は上がり、民は飢え、兵士たちの不満は限界に達している! この男のやったことは、ただ民を苦しめただけだ!」


 ガランドの叫びに、軍部の将軍たちが「そうだ!」と野太い声を上げる。

彼らにとって、レオンの緊縮財政は「悪」そのものだった。


「陛下! 剣をお許しください! 我が軍が動けば、三日で隣国を制圧し、食料と富を奪取できます。それこそが、飢えた民を救う唯一の道です!」


 それは、直訴という名の脅迫だった。

城の外には、英雄を支持する群衆と兵士たちが集まっている。も

しここで王が「否」と言えば、暴動――いや、クーデターが起きかねない。

暴力という名の「物理的な力」が、この場を支配していた。


 ガランドは勝利を確信した顔で、レオンを振り返る。


「聞いたか、レオン。お前のチマチマした数字遊びは終わりだ。ここから先は、剣(おれ)の領分だ」


 圧倒的な英雄の覇気。

だが、レオンは怯まなかった。

彼はゆっくりと眼鏡の位置を直し、手にした一枚の羊皮紙を掲げた。


「……数字遊び、とおっしゃいましたか」

「ああそうだ! その紙切れで、腹を空かせた兵士が救えるのか!」

「救えますとも」


 レオンの声は、凍りつくように静かだった。


「ガランド将軍。あなたが剣を抜けば、確かに三日で隣国を落とせるでしょう。軍事的な勝率は一〇〇パーセントだ」

「ならば――!」

「ですが、あなたが剣を抜いた瞬間、この国は死にます」


 レオンは羊皮紙を広げ、王と重臣たちに見せた。

そこに描かれていたのは、軍事地図ではない。

複雑に絡み合った線と、数値の羅列だった。


「これは我が国の『食料輸入依存率』と、周辺諸国における『通貨信用スコア』の連動図です」


 レオンは淡々と解説を始める。


「現在、我が国の小麦の六割は、南方の通商連合からの輸入に頼っています。支払いは『後払い』。つまり、我が国の『信用』を担保に食料を買っている状態です」


 レオンはガランドを指差した。


「もし、我々が『借金を返すための金がないから、隣国を襲って奪う』という野蛮な行いに出れば、どうなるか。通商連合は即座に我が国を『信用破綻国(デフォルト)』と認定し、国交を断絶するでしょう」

「だからどうした! 南方がダメなら、他から買えばいい!」

「買えませんよ」


 レオンは冷徹に告げる。


「信用を失った国の通貨など、誰も受け取らない。輸入は完全にストップします。……その結果、何が起きるか」


 レオンは指を三本立てた。


「輸入停止から、三日。国内の小麦在庫が底をつきます。  一週間後。市場からすべてのパンが消えます。  そして一ヶ月後には――餓死者が街に溢れる」


 広間が静まり返る。

貴族たちの顔から血の気が引いていく。

自分たちの屋敷にある食料も、すぐに尽きると気づいたからだ。


「脅しだと思うなら、街のパン屋を見てくればいい。  今、パン一個は銅貨五十枚だ。  だが、閣下が剣を抜けば、明日の朝には銅貨百枚になる。明後日には金貨でも買えなくなる」


 レオンは一歩、英雄に近づいた。

身長差は歴然としている。

だが、その存在感は英雄を凌駕していた。


「そうなれば、真っ先に飢えて死ぬのは誰だと思いますか?  城の外で、あなたを支持して叫んでいる兵士たちの家族ですよ。  あなたが『国を救う』と叫んで剣を振るうたび、彼らの子供が食べるはずだったパンが、この世から消えていくのです」


 ガランドの表情が強張る。

剣の柄に置かれた手が、微かに震えていた。

反論しようとして、唇を噛む。戦場の論理ならいくらでも言える。

だが、この「経済の論理」の前では、剣は無力だった。


「だ、だが……! 俺の剣が、敵を排除した! 俺が戦わなければ、国は滅んでいた!」


 ガランドは叫ぶ。それは悲痛な訴えだった。

自分の存在意義を懸けた、魂の叫び。


 レオンは、その叫びを真正面から受け止めた。

(ああ、そうだ。あなたの剣は輝いていた)

レオンは胸の内で呟く。

英雄は国を救った。

それは紛れもない事実だ。

だが今、その英雄を殺さねばならない。

剣ではなく、言葉で。

英雄殺しの汚名を背負う覚悟は、とっくにできている。


 レオンは静かに、しかし決定的な一言を放った。


「ええ、認めます。あなたの剣は、敵を排除しました」


 レオンの声が、玉座の間に響き渡る。


「ですが――  『国民の生活』を守るのは剣ではありません。信用(クレジット)――すなわち、約束を守る力です」


「……っ!」


「認めてください、英雄殿。  剣で、パンは焼けないのです」


 勝負は決した。

その場にいる誰もが理解した。

剣という「力」は、もはやこの国の飢えを癒やす道具にはなり得ないことを。


 長い沈黙の後。

玉座の王が、静かに告げた。


「……相分かった」


 王はガランドを見ることもなく、レオンに向かって頷いた。


「財務官レオン・ハーゼンの案を採用する。  我が国は、剣を収め、信義によって再建を図るものとする」


 それは、英雄の敗北宣言だった。

ガランドは膝から崩れ落ちるように頭を垂れた。

だが、王は最後にこう付け加えた。


「ガランド将軍。貴公には、辺境守備隊の総監を命じる。……静かに、国を見守れ」


 処刑でも、追放でもない。

それは「英雄」という偶像を傷つけず、政治の舞台から遠ざけるための、王とレオンが練り上げた温情ある配役だった。


 ガランドは震える声で「……御意」と答えた。

その背中から、かつてのような圧倒的な「熱」は消えていた。

だが、憑き物が落ちたように、どこか安らかなようにも見えた。


 レオンは深々と一礼し、玉座の間を後にする。

その手には、剣よりも重い「国家予算」という名の責任が握られていた。


 勝った。数字が暴力に勝ったのだ。

だが、安堵はない。

英雄という光を失ったこの国で、本当の支払い(地獄)はこれから始まるのだから。

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