4つ目の指針
しのつく
あなたへの
手から血が滴っている。でも別にどうということはない。傷口から全身に激痛が走るが、そんなの構っていられない。
もう何度だって繰り返してきた。あの子のために、気が遠くなるぐらい。
ガラスでできた時計盤は、頑丈でなかなか壊れないが、力いっぱい殴れば、多少ヒビが入る。何度もヒビが入れば、やがて破片となる。鋭く尖った破片は、私の手を突き刺して地に落ちていく。今となって、私の手に一体どれだけの細かなガラス片が埋まっているのかなんてもはや気にならない。幸い、現実の世界でないここでは、自分の手がぐちゃぐちゃに崩れて使い物にならなくなる、なんてことは起きない。ただひたすらに、ガラスが刺さった回数に比例して、際限なく痛みが増していくだけだ。
そう、際限なんかない。今やこの痛みは、つい先ほど死ぬために切った首のそれよりも遥かに酷いものとなっている。多分この身体がちゃんとした肉体であったなら、とうに失神していただろうと思う。それでも、それはこの時計盤を壊すのを止める理由にはならない。だって、この方法しかないんだ。全部をやり直すためには。あの子を救うためには。
『あなたは とけいの 4つめのはり をしっているかな
しらないほうが きっといいよ
それがみえるのは そうまとうのなか だけだから
あなたには しぬくるしみなんか しらないまま しんでほしいから』
狂ってる、なんて、少しだけ理性を取り戻した時もあった。苦悩に満ちた人生の、ようやくたどり着いた終着点で、あえて選ぶのはもう一度その苦悩をやり直すこと。たった一人の結末を変えるためだけに、それまでずっと途方もない苦しみを重ねていくなんて、はっきり言って正気の沙汰ではない。第一、何度繰り返したところで、あの子をちゃんと救える確証なんてどこにもありはしないのだ。
『わたしはね なんどもみたよ
なんども さわった
もういちど あなたにあうため
そして すべてを やりなおすため』
でも、やがてそんな理性は少しの役にも立たないって気づいたんだ。もしそれに従って大人しく死を受け入れたとしても、そこに残るのは行き場のない後悔と、苦痛が実を結ばなかった徒労感、そして自分から希望を絶ってしまったという絶望だけ。もう一度死ぬことも叶わない世界の中で、たった一人でそれらを抱えて、そうして自身の意識が朽ちていくのを待つだけなんだ。私には、それが何より恐ろしかった。
『4つめのはりは いのちのはり
いちばんゆっくり うごくんだよ
それを 0じに まきもどすことが できたなら
きっと いのちも 0じから はじまるんだよ』
だから、早々に正気は捨てた。いらないものだ、そう思ってからは早かった。感情を手放すのは、さして難しいことではない。それを容易に上回る、並々ならぬ思いがあるなら尚更。
それからというもの、何度も時計盤を壊すことにも、何度も苦しみを繰り返すことにも、やがて苦痛を感じなくなっていった。痛みや苦しみそのものは苦痛でない、そう思うようになった。それらが最後になっても実を結ばないこと、それこそが苦痛となるのだ。
でも、そんなことは起こらない。救える確証なんかなくたっていい。あの子を救うまで何千回でも何万回でもやり直せばいいだけの話だから。この世界の誰よりもあの子の幸せを願う私なら、それができる。
『でもね とけいのはりは もどらない
いちどきたみちを もどりはしない
いちばんはじめに もどしたいなら
とけいを せかいを はくしにするしか ないんだ』
あの子を必ず幸せにする。ただそれだけの願いを叶えるために、私は何度も全てを白紙にした。時計盤を叩き割り、4つ目の針を取り外し、新しい時計盤にはめ込む。痛みで力の入らなくなった手では、上手く0時にはめられなくて、あの子が死んだ後の時間から始まることもある。行動をしくって、あの子に出会うことすら叶わない人生もある。だけど、そんなことでやめるわけにはいかない。私は何としてでもあの子との全てをやり直さなきゃいけないんだ。
あの子が一体どれだけの涙を飲み込んだのか、どれだけの絶望を味わったのか。何度繰り返しても、未だに私には分からない。何せ私にはずっとあの子という希望があったのだから。何せあの子が死ななければ、そしてそうしなければやり直せないと知らなければ、私は自ら命を絶つなんてこともしなかったのだから。
『それでも もういちど あなたに あいたかったから
それでもいいって なんどでも つくりなおしたの』
それでも、私はあの子の隣にいたかった。あの子の苦しみを受け止める人になりたかった。他でもないこの手で、あの子の幸せを作り上げたかった。だから、例え私があの子の苦しみを一生理解できなかったとしても、それでもいいって、何度でもやり直したんだ。
『こうかいなんて してないわ
きっとこれからも ずっとそうなの』
後悔なんてしていない。たぶん一生涯、そんな感情さえ知ることもないのだろう。
きっとこれからも、ずっとそうなのだ。何度死のうと、何度繰り返そうと。
『わたしは あのひかりを つかまえると きめたから』
私は、あの子の苦悩を、この腕の中に受け止めると覚悟を決めたから。
『あなたが みずから しぬひつようの ないように』
あの子がもう自ら死ぬ必要のないように。
『わたしは やりなおす』
わたしはやり直す。
『もういちど』
何度だって。
『これがわたしの あなたへの愛よ』
4つ目の指針 しのつく @Garnet-Schreibt
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