「ダサダサ用語」の枠組みから逃げる
たけりゅぬ
「ダサダサ用語」の枠組みから逃げる
いつからだろう。
目の前にあるものを、自分の言葉で語らなくなったのは。
音楽のレビューを読むと、
「シューゲイザー」「ポストパンク」「パンキッシュ」「ローファイ」「エッジが立っている」
といった言葉が、説明抜きで並んでいる。
筆者は、こういう言葉をまとめて
「ダサダサ用語」と呼んでいる。
「もうその言い方、ダサくない?」という意味で。
もちろん、言葉をまとめるのは便利だ。
複雑なものを一語に折りたためば、話は早い。
でも、その便利さの裏で、
音が身体にどう触れたのか、
どこが気持ち悪くて、どこが残ったのか、
そういう実感は、すっと消えてしまう。
ダサダサ用語は、
分かった気分になるための近道だ。
そして同時に、
自分の感覚で確かめる手間を省くための装置でもある。
昔は、そういう言葉を必死で覚えることが
その世界に入るための通行証だった。
でも今は違う。
誰かの言葉を勉強するより、
自分の感覚を信じる方が早い。
なぜ、人はダサダサ用語を使いたくなるのか。
たぶんそれは、少しだけ「大人ぶりたい」からだ。
「これはポストパンクだ」と言った瞬間、
その音が自分の耳をどう震わせたのか、
心拍がどう変わったのか、
そういう逃げ場のない感覚から、少し距離が取れる。
言葉が、盾になる。
でも、その盾を持ち続けると、
音楽は安全になる代わりに、
だんだん触れなくなる。
私の耳は、正直に言って壊れている。
耳鳴りがあり、聴こえない音域もある。
だから、音楽は「鑑賞」ではなく、
毎回ちょっとした調整作業になる。
イコライザーをいじって、
音が割れるか割れないかの境界を探す。
そこで欲しいのは
「原音忠実」みたいな立派な言葉じゃない。
ただ、「今、この音が身体に馴染むかどうか」だけだ。
この感覚は、他人と共有しにくい。
ダサダサ用語では説明できない。
でも、確かにここにある。
最近、音楽を
ジャンルではなく「他者」として受け取ろうとする人が増えている気がする。
消費するのではなく、
そっと触れてみる。
合えば残すし、合わなければ静かに離れる。
ダサダサ用語を使わないというのは、
反知性でも、反文化でもない。
ただ、世界と向き合うときに、
借り物の言葉を一枚、脱いでみるというだけの話だ。
不完全な身体で、
不器用な言葉で、
それでも一対一で向き合う。
そのほうが、
少なくとも私は、
ちゃんと生きている感じがする。
「ダサダサ用語」の枠組みから逃げる たけりゅぬ @hikirunjp
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