第4話 満開の庭園にて
あの「種」の徴収劇から、五年という歳月が流れた。
王都の片隅にある、王家の離宮。かつては賓客をもてなすために使われていたその建物は、今や壁の漆喰が剥がれ落ち、庭は雑草に覆われ、見る影もなく荒廃していた。
そこは、世間から「忘れられた王子の牢獄」と呼ばれている場所だった。
「――おい! どうなっているんだ! また夕食はスープと堅いパンだけか!」
薄暗い食堂に、ジェラルドの怒鳴り声が響く。
かつての煌びやかな王子服はなく、ヨレヨレのシャツにツギハギだらけのズボン姿。頬はこけ、目の下には深いクマが刻まれている。
「うるさいわねぇ! 予算がないんだから仕方ないでしょ! 文句があるなら、あなたが稼いできなさいよ!」
ヒステリックに叫び返したのは、元男爵令嬢のミリナだ。
彼女もまた、かつての愛らしい面影はどこへやら。髪は手入れされずにボサボサで、体型も締まりがなくなり、眉間には常に深い皺が寄っている。
あの「自由奔放さ」は、金と権力があって初めて許される装飾品だったのだ。今の彼女にあるのは、ただの「無責任と怠惰」だけだった。
「稼いで来いだと!? 僕を誰だと思っている! 王族だぞ! 肉体労働などできるか!」
「王族、王族って、廃嫡されたくせに! ああもう、こんなはずじゃなかったのに! なんで私がこんな貧乏生活しなきゃいけないのよぉ!」
ガシャン! とミリナが皿を床に投げつける。
ジェラルドは頭を抱えてうずくまった。
あの後、リリアンヌは宣言通り、王家への資金援助を「見直し」た。
国庫は火の車となり、責任を問われたジェラルドは王位継承権を剥奪され、事実上の幽閉生活を送ることになったのだ。
隣には、騎士団を追放されたアレンもいた。彼は安酒を呷り、虚ろな目で宙を見つめている。
「……セシリアとカテリーナは、今頃どうしているんだろうな」
アレンがポツリと漏らす。
「風の噂で聞いたぞ。ローズベリー商会がまた新しい魔道具を開発して、隣国との交易で莫大な利益を上げたそうだ。その開発責任者は……カテリーナだとか」
「やめて下さい!そんな話聞きたくない!」
ジェラルドが耳を塞ぐ。
「なんでだ……。なんであいつらは、僕たちの元ではあんなに可愛げがなかったのに……。リリアンヌの所へ行った途端に、あんな……」
あの日、リリアンヌに奪われた元婚約者たちは、今や国中が憧れる「美のカリスマ」であり「経済の女神」として名を馳せていた。
自分たちが捨てた蕾は、本当は大輪の花を咲かせるバラや牡丹だったのだ。
それを自らドブに捨て、代わりに拾ったのは、ただ騒がく禍々しい、周囲の栄養を吸い取るだけの毒花だった。
「種だけ……か」
アレンが自嘲気味に笑う。
「俺たちの価値は、本当にそれだけだったんだな。……あいつらの子供は、きっと優秀なんだろうな」
窓の外は、今日も冷たい雨が降っている。
彼らの後悔と嘆きを聞く者は、もはや誰もいなかった。
◇
一方、その頃。
ローズベリー侯爵家の広大な庭園は、春の陽光に包まれ、この世の楽園のごとき美しさを誇っていた。
見渡す限りの花々が咲き乱れ、色とりどりの蝶が舞う。甘い花の香りが風に乗って漂い、訪れる者の心を陶酔させる。
「きゃはは! 待ってよぉ~!」
「ふふ、こっちですよ、セオドア様」
芝生の上を、小さな子供たちが駆け回っている。
四歳になる男の子、セオドア。セシリアが生んだ次期公爵だ。
そして、その後ろを小さな箒にまたがってふわふわと追いかけるのは、同い年の女の子、ルナ。カテリーナが生んだ愛娘である。
「あらあら、元気ねぇ。転ばないように気をつけて」
庭園のガゼボの下で、リリアンヌは目を細めてその光景を眺めていた。
最高級の茶葉で淹れた紅茶の香りがふわりと立ち上る。
その優雅なティータイムを囲んでいるのは、すっかり母親の顔になった――しかし以前よりもさらに艶やかな美貌を増した、セシリアとカテリーナだ。
「セオドアったら、私に似て計算が得意なんですけれど、性格はその…リリィ様に似て……。昨日も家庭教師を論破して泣かせてしまいましたの」
セシリアが困ったように、けれど誇らしげに報告する。
「あら、いいことじゃない。為政者には強さが必要よ。私の教育の賜物ね」
「ふふ、本当に。あの方の血筋からは『王家の血』だけを受け継いで、中身はリリィ様のお子様のようですわ」
カテリーナもクスクスと笑いながら、娘に視線を送る。
「ルナもですよ。アレン様からほんの少し剣を扱う能力を受け継ぎはしましたけど、あの子が得意とするのは魔法です。私の血の方がよく出たみたいで一安心ですわ。そして美意識はリリィ様仕込みですから。将来はきっと、国一番の魔導師になりますわね」
子供たちは、遺伝上の父親のことなど何も知らない。
彼らにとっての「親」は、自分を生んでくれた母と、そして自分たちを誰よりも愛し、守ってくれる絶対的な存在――「リリィ様」だけだった。
「リリィしゃまー!」
「リリィおねえさまー!」
遊び疲れたのか、子供たちが駆け寄ってくる。
リリアンヌはハンカチを取り出し、泥だらけになった彼らの顔を愛おしそうに拭ってやった。
「よしよし。二人とも、私の自慢の『蕾』たちね。大きくなったら、この花園をもっと立派にしてちょうだいね」
「うん! ぼく、リリィしゃまのために、いっぱいおかねかせぐ!」
「ルナも! わるいやつは、まほうでドーンってするの!」
無邪気な宣言に、大人たちは声を上げて笑った。
子供たちは使用人に連れられておやつの時間へと戻っていく。
再び静けさが戻ったガゼボで、リリアンヌは改めて二人の「花」を見つめた。
セシリアの知性的な瞳も、カテリーナの神秘的な銀髪も、五年前とは比べ物にならないほど輝いている。
それは、安心と、自信と、そして満たされた愛によって磨き上げられた輝きだった。
「……私の花達は幸せかしら?」
ふと、リリアンヌが問いかける。
二人は顔を見合わせ、そして満面の笑みで答えた。
「はい。言葉にできないほどに」
セシリアがリリアンヌの手を取り、その甲に頬を寄せる。
「夫なんていりません。煩わしい社交も、機嫌取りも必要ない。ただ好きな仕事をして、子供を育てて、そして……リリィ様にお仕えできる。これ以上の幸せが、どこにありましょうか」
「私もです」
カテリーナが反対側からリリアンヌの肩に頭を預ける。
「昔は、『結婚こそが女の幸せ』だなんて思い込まされていました。でも、今はわかります。私の幸せは、この花園にあるのだと。リリィ様が水を注ぎ続けてくださる限り、私は一生、貴女のためだけに咲き続けます」
その言葉は、どんな愛の告白よりも甘く、重かった。
男たちの身勝手な欲望によって傷つけられた彼女たちは、リリアンヌという太陽の下で、真の自由と愛を見つけたのだ。
リリアンヌは二人の肩を抱き寄せ、その髪に口づけを落とした。
「ええ。愛しているわ、私の可愛い花たち」
リリアンヌは庭園を見渡す。
そこには、セシリアやカテリーナだけでなく、後に続いた数多くの「婚約破棄された令嬢たち」が、それぞれの才能を活かして笑い合っている姿があった。
皆、かつては泣いていた者たちだ。それが今は、こんなにも美しく咲き誇っている。
「愚かな男たちは、種だけ残して消えていったわ。もう二度と、この聖域を脅かすものは現れない」
リリアンヌはティーカップを傾け、芳醇な香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「さあ、お茶にしましょう。私たちの春は、まだ始まったばかりよ」
三人の笑い声が、風に乗って高く、高く空へと舞い上がる。
リリアンヌの庭、美しい花が咲き乱れる庭。
人々はその場所を百合の女王のハーレムと呼ぶ。
そこは、傷ついた乙女たちが最後に辿り着く、永遠に枯れることのない約束の地。
美しき花々は、今日も美しき百合の女王の枯れることのない愛を受けて、国一番の輝きを放ち続けるのだった。
(第4話 完)
婚約破棄された令嬢たちは、リリアンヌの百合ハーレムで咲き誇る ~元婚約者の皆様、跡継ぎのための種だけ置いて消えてください とんこつ @tonkotusandayo
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