第2話 百合の園と、永遠の誓い
あの騒乱の夜から、三ヶ月が過ぎた。
ローズベリー侯爵家の広大な敷地内にある、ガラス張りの温室サロン。そこは一年中、色とりどりの花が咲き乱れる地上の楽園であり、リリアンヌが作り上げた「花園(ハーレム)」そのものだった。
「リリィ様、こちらをご覧くださいませ。領地の鉱山開発計画書、修正が終わりましたわ」
「あら、もう? 早いわね、セシリア」
豪奢なソファに深々と座り、紅茶を楽しんでいたリリアンヌが微笑む。
彼女の傍らに跪き、分厚い書類を差し出したのは、元公爵令嬢のセシリアだ。
以前の彼女は、目の下に濃い隈を作り、常に何かに追われるような悲壮感を漂わせていた。
だが今はどうだろう。肌は内側から発光するように艶めき、頬は薔薇色に染まっている。最高級のドレスに身を包んだその姿は、国一番の才女という名に恥じない、堂々とした美しさに満ちていた。
リリアンヌは書類をパラパラとめくると、満足げに頷いた。
「素晴らしいわ。従来の三割減のコストで、生産性は二倍……。ジェラルド殿下の下で働いていた時は、こんな案、通りもしなかったのでしょう?」
「はい。殿下は『数字を見ると頭が痛くなる』と仰って、私の提案書を読みもせず暖炉にくべておりましたから」
「ふふ、本当に愚かだこと。貴女という最高峰の頭脳の使い方も知らないなんて」
リリアンヌは書類をサイドテーブルに置くと、セシリアの頬に手を添えた。
「よくやったわ、セシリア。ご褒美が必要ね」
「っ……! あ、ありがとうございます、リリィ様……!」
リリアンヌが身をかがめ、セシリアの額に優しく口づけを落とす。
ただそれだけの行為に、セシリアはとろけるような表情を浮かべ、うっとりと目を潤ませた。かつて婚約者に罵倒され続けていた彼女にとって、リリアンヌからの承認と愛撫は、乾いた大地を潤す恵みの雨そのものだった。
「リリィ様、私にもご報告があります」
今度は反対側から、涼やかな声がかかる。元宮廷魔導師のカテリーナだ。
彼女もまた、かつての「氷のよう」と称された冷たさは消え、今は春の日差しのような柔らかさを帯びている。
「北の森に発生していた魔獣の群れですが、私の結界魔法と広範囲殲滅魔法の組み合わせで、先ほど一掃が完了いたしました。被害はゼロです」
「一掃? 騎士団を動かさずに、貴女一人で?」
「はい。アレン様……いいえ、あの男と居た時は、『俺が目立たないから派手な魔法は使うな』と制限されていましたけれど、今はリリィ様のために全力を出せますので」
カテリーナが悪戯っぽく微笑むと、リリアンヌは声を上げて笑った。
「ほほほ! 痛快だこと。騎士団が一週間かけて泥だらけになってやる仕事を、貴女はお茶の時間までに終わらせてしまうのね」
リリアンヌはカテリーナの銀髪を指で梳き、その耳元に唇を寄せた。
「いい子。貴女の魔力は、世界で一番美しいわ。今夜は私の寝室で、その武勇伝を詳しく聞かせてちょうだい」
「……はい! 喜んで……!」
カテリーナが頬を染めて歓喜に震える。
ここは、有能な女性たちが正当に評価され、愛される場所。
男たちの見栄や嫉妬に足を引っ張られることもなく、ただ一人の主、リリアンヌのためにその才能を遺憾なく発揮できる理想郷だった。
しかし、そんな完璧な楽園にも、小さな影が落ち始めていた。
◇
「……また、新しい子が来たみたいね」
数日後。温室の片隅で、セシリアがぽつりと呟いた。
視線の先では、リリアンヌが泣きじゃくる少女を抱きしめている。
彼女はつい先日、とある伯爵家の放蕩息子に婚約破棄を突きつけられたばかりの、若き子爵令嬢だった。まだデビュタントを終えたばかりの十五歳。蕾のように瑞々しく、守ってあげたくなるような儚さを持っている。
「あの子、刺繍の腕は国宝級だとか。リリィ様、とても気に入られていたわ」
カテリーナがティーカップを置く手が、わずかに震えている。
ここ最近、リリアンヌの屋敷には、似たような境遇の令嬢たちが次々と保護されていた。
リリアンヌの「百合ハーレム」の噂を聞きつけ、あるいはリリアンヌ自身が街で見つけ出し、「私の花になりなさい」と連れ帰ってくるのだ。
セシリアは自分の手を見つめた。書類仕事によるペンだこがわずかにある指先。
「私たち、もう若くないわよね」
「……ええ。あの子たちに比べれば、ね」
貴族社会において、婚約破棄された二十歳手前の女は、世間的には「行き遅れ」や「傷物」と呼ばれる年齢に差し掛かっている。
リリアンヌの水のように溢れる愛によって美しさを取り戻したとはいえ、若い蕾のような新入りたちと比べれば、鮮度は落ちるのではないか。
そんな不安が、二人の胸に澱のように溜まっていた。
「リリィ様は、美しいものを愛される。もし、私たちがもっと歳を重ねて、花としての盛りを過ぎてしまったら……」
「リリィ様の興味は、新しい蕾に移ってしまうのかもしれない……」
想像するだけで、心臓が凍りつくような恐怖だった。
あの無能な男たちの元へ戻る気など微塵もないが、この楽園から追放されること、何よりリリアンヌの愛を失うことは、彼女たちにとって死よりも辛い。
「もっと、成果を出さなきゃ」
「ええ。もっとリリィ様のお役に立って、必要とされ続けなければ……」
二人が悲壮な決意を固めようとした、その時だった。
「――何を不安な顔をしているの? 私の可愛い花たち」
ふわり、と背後から甘い香りに包まれた。
リリアンヌだ。いつの間にか背後に忍び寄っていた彼女は、ソファの背もたれ越しに、セシリアとカテリーナの肩に腕を回した。
「リ、リリィ様!?」
「いらしていたのですか……!」
「ええ。貴女たちがここ数日、水やり不足で枯れかけている花のようだから、気になって来てしまったわ」
リリアンヌは二人の間に強引に割り込むようにして座ると、それぞれの肩を抱き寄せた。
「隠さなくていいわ。……新しい子たちが増えて、不安になったのでしょう?」
図星を突かれ、二人は俯く。
沈黙が肯定だった。
セシリアが、消え入りそうな声で絞り出す。
「……申し訳ありません。嫉妬など、見苦しいと分かっているのですが……あの子たちは若くて、可愛らしくて……それに比べて私たちは、もう……」
「盛りを過ぎた、と?」
リリアンヌの問いに、カテリーナも小さく頷く。
「リリィ様は美しい花を愛でるのがお好きですから。いつか私たちが枯れてしまったら、見限られてしまうのではないかと……」
それを聞いたリリアンヌは、きょとんとした顔をし、次の瞬間、ころころと鈴を転がすように笑い出した。
「ふふ、なんてこと。あの国一番の才女と天才魔導師が、そんな馬鹿げた計算違いをしているなんて!」
「ば、馬鹿げた……?」
「ええ、大間違いよ」
リリアンヌは笑い収めると、すっと表情を和らげ、慈愛に満ちた瞳で二人を見つめた。
その瞳の深さに、二人は吸い込まれるように見入ってしまう。
「いい? よくお聞きなさい」
リリアンヌはセシリアの手を取り、自分の頬に寄せた。
「貴女たちはね、私の庭に植えられた時点で、ただの『花』ではなくなったの。貴女たちには、あの愚かな元婚約者や、家柄という重圧……そういう『無駄』を徹底的に剪定(せんてい)してあげたでしょう?」
「はい……。リリィ様のおかげで、私たちは自由になれました」
「そう。そして、私の愛という『十分な水』を、毎日たっぷりと注いであげている」
リリアンヌの指先が、カテリーナの唇をなぞる。その意味深な仕草に、カテリーナの顔が熱くなる。
夜毎の口づけ、甘い言葉、肌を合わせる熱。それら全てが、リリアンヌによる「水やり」だったのだと、二人は理解する。
「貴女たちは、私の水で満たされた、特別な花なのよ」
リリアンヌは自身の目尻にある、笑い皺になりかけの薄い線を指先でなぞった。
「それにね、ワタクシだって歳をとっていくわ。人間だもの、当然よ」
「そ、そんな、リリィ様の美しさは永遠です!」
「ふふ、ありがとう。でも、時の流れは平等よ。……でもね、それは『枯れる』ことではないの」
リリアンヌの声が、優しく、低く、二人の魂に響く。
「時を経れば、ワインが熟成するように、花もまた深みを増すわ。若い蕾にはない、芳醇な香りと、気高い佇まい。嵐を乗り越えた強さ。……それは、歳を重ねなければ手に入らない美しさよ」
リリアンヌは二人を強く抱きしめた。
「私はね、貴女たちが歳を重ね、皺が増え、銀髪が混じるようになっても、その全てを愛おしいと思うわ。だってそれは、私と共に生きてきた証でしょう?」
「っ……リリィ、様……」
「だから安心して、私の庭で咲き誇りなさい。貴女たちがどんな姿になろうと、私が愛でてあげる。最後の花弁が散るその瞬間まで、貴女たちは私の最高傑作よ」
セシリアの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
カテリーナも、リリアンヌの胸に顔を埋めて嗚咽を漏らす。
不安など、跡形もなく消え去っていた。
あるのは、心臓が焼き尽くされそうなほどの、圧倒的な歓喜と愛。
自分たちは「若さ」や「機能」で評価されているのではない。その存在そのものを、魂ごと愛されているのだ。
「あぁ……リリィ様、リリィ様……!」
「一生、ついていきます……! 私の命も、魔法も、全て貴女様のために……!」
二人はリリアンヌの足元に縋り付き、そのドレスの裾に口づけをした。それは、騎士が王に捧げる忠誠よりも深く、恋人が交わす愛の言葉よりも重い、絶対の誓いだった。
リリアンヌは満足げに目を細め、泣き濡れる「花たち」の頭を撫でた。
「ええ、期待しているわ。……さて、これだけ愛を注いであげたのだもの。働き者の貴女たちのことだもの、さらに素晴らしい成果を見せてくれるのでしょうね?」
「はい! もちろんですわ!」
「鉱山開発のペースを三倍に上げます! 新しい魔道具の開発も、今夜中に!」
涙を拭い、炎が灯った瞳で立ち上がる二人を見て、リリアンヌは艶然と微笑んだ。
彼女たちの心は以前よりも強固になり、ローズベリー侯爵家はさらに繁栄するだろう。
私の庭に根を張り、絶えることのない愛を注ぎ、見事に咲いた美しく愛しい花達。
「ふふ。……それに引き換え、外の『雑草』たちはどうなったかしらね」
リリアンヌは窓の外、王都の空を見上げた。
そこには、今にも嵐が来そうな暗雲が立ち込めている。
「種以外に価値のない男たちが、そろそろ泣き言を言ってくる頃かしら。……楽しみね」
花園の主の不敵な笑みと共に、遠くで雷鳴が轟いた。
(第2話 完)
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