第4話

やましいこともないのに、社内の男性ですら仕事以外は二人にならないようにとしていた自分がバカらしくなる。

バッグを持って化粧室に寄り、鏡を見ると確かに薄っすらクマもできていて、疲れた顔をしている気がする。


酷い顔……。

こんな女と一緒では真木に申し訳ない気がして、簡単にメイクを直して下へと向かう。


エレベーターで1Fに降りて、真木を探すが見当たらない。

私のほうが早かったかと、小さく息を吐いてエントランスにある椅子に座ろうと思った時だった。


「おい」

声をかけられた人を見て、驚いて一歩後ろに下がる。それほど驚いたのだ。

「だれ?」

「は? お前ふざけるなよ」

苛立った様子で言った声は、紛れもなく真木のものだったが、目の前に立っていた人は別人だ。


「だって、眼鏡ないし、髪だってボサボサじゃない」

「お前な。俺だって外に出るときはあのままなわけないだろ? それに今までだって見てただろ。お前どれだけ俺に興味がないんだよ」

少し不機嫌そうな真木だが、今は目の前の人が気になって仕方がない。

今更ながら優希ちゃんの言葉に納得してしまう。高い身長に、恐ろしく整ったパーツ。眼鏡を外した瞳は少し茶色ぽくも見えた。

確かに、飲み会の時などで見ていたのかもしれないが、興味がなかったのか……。


ポカンとしていたようで、立ち尽くして見上げる私に、少し困ったような表情を真木は浮かべると、行くぞそう言って歩き出した。


「ちょっと、待って!」

慌てて追いかけて彼の横に並ぶと、ビルの外に出た。


外に出ると一気にむわっとした空気が肌を撫でて、おくれ毛が首筋に張り付く。着ていた薄手のカーディガンを脱ごうと思ったが、なんとなくいつもと違う真木に、恥ずかしい気がして手を止めた。


「何食べたい?」

「うーん、なんでもいいけど」

本当に思いつかなくてそう言うと、真木は私を見下ろした。

「バカな進藤は朝も食べてないのか?」

「あー、うん。まあ、家の冷蔵庫が空っぽだったから」

それは嘘ではないが、本当でもない。冷蔵庫に何もないのはいつものことで、普段なら何かを買ったり、カフェで取ったりしている。


「じゃあ、あまり重くないものがいいな」

私を気遣ってくれる真木が、やはり別人のような気もしてしまう。いや、昔も気を使える人だった?

同期の集まりで一度だけ隣に座った時、酔っていた私を介抱して、彼氏の愚痴を聞いてくれたことを思い出す。

あの時も、私は彼氏の頭がいっぱいで、きちんと真木にお礼をしたのだろうか。


連れてきてくれたのは、カウンター席だけの和食屋さんのようで、店に入ると割烹着姿の男性と、エプロン姿の女性がいた。

落ち着いた綺麗なお店で、カウンターの上にはおいしそうな総菜がいくつか並んでいる。

「まだいい?」

「あら、真木さん。いらっしゃい」

にこやかな女将さんがカウンターに座った私たちに、おしぼりを渡してくれる。

「なんでもうまいけど、朝から食べてないなら、初めからあまり重いもの入れない方がいいよな」

そう言いながらメニューを渡してくれる。小鉢から、卵焼きのようなシンプルな一品料理もあれば、唐揚げ定食やがっつりと食べられるものもあった。

「真木はよく来るの?」

女将さんも真木の名前を知っていたし、彼の雰囲気も柔らかい。

「ああ、仕事の合間に」

「エンジニアさんたち本当に忙しいもんね」

「誰かさんたちのせいでな」

私たち営業が無理難題をお願いしているから、忙しいのはよく理解している。

黙り込んだ私に、真木が苦笑しつつ口を開く。

「おい、やめろよ。それがお前の仕事だろ。いまさらブレるなよ」

そのきっぱりとした言い方に、なんとなくホッとして小さく頷いた。

「腹減りすぎて弱ってるんだな。ほら好きなの頼めよ。おすすめは出し巻きがうまいぞ」

結局、真木のオススメを頼んでもらい、それを口にするとお腹が空いていたことにようやく気付いた。

「おいしい」

心から零れ落ちたその単語に、真木も「よかったな」となぜか安堵した表情を浮かべた。

いつも仕事の場だけで言い合っているが、仕事がないとこれほど普通の会話になるのだと思った。

少しお腹に食べ物を入れたあと、真木がおいしそうにビールを飲んでいる姿を見て、私も一杯だけ飲むことにした。

グラスに注がれた黄金色の液体を少しだけ飲むと、久しぶりのアルコールに身体が驚いたような気がしたが、炭酸が喉を通るとその爽快感がたまらない。

一気に半分ほど飲み干した時、真木が私を見たのがわかった。

「何かあったのか?」

「え?」

「朝ごはん、冷蔵庫にないからって食べない理由にはならないだろ?」

確かにデスクで食べていたりしている姿も見られている。長い付き合いの真木にはお見通しだ。

「食べる気にならなかったんだよね」

私がそう呟くと、真木は何も言わずに続きを待ってくれているようだった。

「鍵がついてたの」

「は?」

さすがに意味がわからないようで、真木が怪訝そうな顔を浮かべた。

「彼氏の部屋。いつのまに付けたんだろう」

「別れないのか?」

「ね、優希ちゃんにもずっと言われてる。こんな関係で一緒にいる意味なんてないって」

本当にその通りだ。

「それだけ好きだったんだろ。その男のこと」

意外過ぎる言葉をかけられ、私は隣に座る真木を仰ぎ見た。伏目がちにグラスに口をつけている。

好きだった、そう、好きだった。だから、ずっと一緒にいたのだ。

「うん、好きだった」

「そうか」

過去形で答えた気持ちがしっくりきて私は、「そっか。好きだったのか」そう声にしていた。

もしかしたら、もう一度、好きになれるかもしれない。

そんな思いもあったのかもしれない。


私がゆっくりと食べるのを真木は、なにも言わずに付き合ってくれた。

「ごちそうさまでした」

優しい女将さんに笑顔で別れをつげて、店の外に出る。

時間を見ると23時を回ったところだった。

「電車まだあるから、行くね」

「駅まで送る」

「ええ? いいよ」

駅まで徒歩で二分ほどだ。真木の家は歩いて帰れるらしい。こんないい場所に住んでいるなんて羨ましい限りだ。仕事が不規則で電車がないこともザラにある彼には選択肢がないのかもしれないが。

断った私だったが、前を歩き出した真木を追いかける。

追いかけることが、なぜか楽しいと感じたことは初めてかもしれない。いつも置いていかれる気がして、悲しい気持ちばかりだった。


「進藤」

もう少しで追いつく、そう思った時、真木が私の名前を呼んで振り返った。

ドンと彼の胸にぶつかってしまい、私は慌てて彼と距離を取った。

「なに? 急に止まって」

二十センチは高い身長で、至近距離で見下ろされていることにドキッとしてしまう。


いつもの言い合っている時とも、さっきまでの柔らかな瞳とも違うまっすぐな視線。


ああ、この人も男なんだ。

なぜか急に、本当に本能レベルでそう思った。

無言で見下ろされ、心臓がバクバクと煩い。

真木なのに。あの真木なのに。


「気を付けて帰れよ」

その言葉と同時に真木は私のうなじに張り付いていた髪に触れた。

髪を触った時、一瞬首筋に触れた真木の指に、身体がビクっと揺れた。


「ッ」

漏れそうになった声を耐えて、そこを無意識に手で押さえていた。


「またな」

次の瞬間そこには、いつもの意地悪そうな瞳があった。

何かが変わったわけではない、何も変わっていない。


「うん、また明日」

真木の後姿にそう伝えると、何も言わずに真木は夜の街に消えて行った。


ーー別れよう。


私はそう決意して、駅へと歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋の終わり そして Minami Miki @muchi2011

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画