第6話 内へ
影康は、徳川の内へ入った。
戦場ではない。
刃の届かぬ場所。
だが、刃よりも確実に人が消える場所だ。
評定の外。
書付の裏。
命令が言葉になる、その直前。
そこに、影は立つ。
影康は、耳を澄ませていた。
声ではない。
言葉になる前の、ためらいだ。
誰かが、言うべきことを言わない。
誰かが、言わなくてよいことを言う。
その歪みが、後に刃となる。
影康は、歪みを正した。
ある時は、書付を差し替え。
ある時は、人を遠ざけ。
ある時は、何もせずに、ただ立った。
何もしないことが、最善の手になる場面もある。
夜半、影康は一人で廊下を歩いていた。
灯りは少ない。
足音は、立てない。
だが、影康は止まった。
――視えた。
廊下の奥、柱の影に、人がいる。
気配がない。
だが、そこにいる。
影康は、声をかけなかった。
刃も抜かなかった。
その人物は、影から一歩出た。
僧だった。
年は分からない。
老いているようにも、若いようにも見える。
「……久しいな」
僧は、そう言った。
影康は、その声に覚えがなかった。
だが、胸の奥がざわついた。
「何者だ」
影康は、低く問う。
僧は、笑ったようにも見えた。
「名は要らぬ」
僧は、影康をまっすぐ見た。
「影に名は、不要だろう」
影康は、答えなかった。
その先の未来が、
なぜか、視えなかったからだ。
「血は、影より重い」
僧は、唐突に言った。
その言葉が、廊下に落ちる。
重い。
動かない。
影康は、僧から目を離さなかった。
「何の話だ」
僧は、歩み寄らない。
だが、距離は縮まっているように感じた。
「いずれ、分かる」
それだけ言って、僧は影に戻った。
足音はない。
衣の擦れる音もない。
ただ、そこにいなくなった。
影康は、しばらく動けなかった。
視えない。
未来が、霧に包まれている。
それは、初めての感覚だった。
徳川家康の前で感じたものとは、違う。
これは――
意図的に隠されている未来だ。
影康は、ゆっくりと息を吐いた。
影は、影の内側へ入った。
そして、その内側には、
まだ名のない何かが潜んでいる。
影康は、知らず拳を握っていた。
重さが、
さらに一段、増したことを感じながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます