第5話 主の重さ
影康は、斬る役目を引き受けた。
命じられたからではない。
命じられる前に、動いてしまうからだ。
徳川の陣では、判断は静かに下される。声を荒げる者はいない。議論は短く、結論は速い。だが、その結論に至るまでの一瞬の揺らぎを、影康は視ていた。
誰かが視線を外す。
誰かが言葉を飲み込む。
誰かが、書付に触れる手を止める。
その前に、影が動く。
影康は、刃を抜く前に終わらせた。
抜かねばならぬ時も、最小で済ませた。
血を流せば、後が残る。
流さねば、流れが変わる。
それが、徳川にとって最も良い結果だと、影康は理解していた。
家康は、正しかった。
迷わず、退かず、選び続ける。
影康は、その正しさを疑わなかった。
疑えば、次の一歩が視えなくなるからだ。
夜、影康は眠らなかった。
眠れば、夢の中でまで、先が視えてしまう。
誰が切られ、誰が残るか。
誰の名が、消えるか。
それらは、まだ起きていない。
だが、起きる前に確定している。
影康は、座して呼吸を整えた。
槍の呼吸。
あの頃、身につけたもの。
呼吸を数え、心を静める。
それでも、視えた。
視えてしまう。
ある日、影康は家康の背後に立っていた。
評定は終わり、家臣たちは下がっている。部屋に残るのは、主と影だけだ。
家康は、影康に振り返らずに言った。
「お前は、重いか」
影康は、一瞬、言葉を選んだ。
「……重うございます」
嘘ではない。
家康は、うなずいた。
「それでよい」
淡々とした声だった。
「重くなければ、持てぬ」
影康は、その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
数日後、影康は気づいた。
重いのは、刃ではない。
血でもない。
主の選択だ。
家康は、間違えない。
だが、選ばれなかった未来は、すべて影に落ちる。
その影を、
影康が引き受けている。
影康は、初めて思った。
――これは、いつまで続く。
視えた未来の中に、
自分が老いる姿はなかった。
あるのは、
消える姿だけだった。
影康は、目を閉じた。
重さは、まだ耐えられる。
だが、
いつか、この重さが主を離れたとき、
自分は、どこに立っているのだろうか。
その答えは、
まだ、視えなかった。
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