第3話 槍の呼吸

武家での修行は、静かだった。


怒号は少ない。

叱責も、長くは続かない。


代わりにあるのは、消失だ。


動けぬ者は、翌日からいない。

理由を問う者も、同じだ。


十兵衛は、その理屈をすぐに理解した。

ここでは、説明は不要なのだ。


生き残る者だけが、正しい。


槍を持たされた日、十兵衛は重さを量った。


腕の重さではない。

踏み込んだときの、呼吸の遅れ。


構えた相手の肩が、わずかに沈む。

視線が、ほんの一瞬逸れる。


その前に、動く。


避ける。

受け流す。

押し返す。


斬らない。

倒さない。


立っていることだけを、続ける。


それで十分だった。


初陣は、小さな争いだった。


名も残らぬ場所。

勝敗よりも、数が減るかどうかだけが問題になる戦。


十兵衛は、前に出なかった。

だが、下がりもしなかった。


相手の一歩が視える。

だから、その半歩前で止める。


槍が触れる前に、空気がぶつかる。


相手が踏み込みを迷った瞬間、

十兵衛はすでに次の位置にいる。


それが、戦だった。


気づいたとき、足元に血が溜まっていた。


温度がある。

匂いがある。


だが、自分の血ではない。


その事実が、胸の奥を冷やした。


――自分は、奪わずに立っている。


それが、

最も長く戦場に残る方法だと、

理解してしまった。


戦が終わり、人数が数えられる。


数に残った者だけが、名を呼ばれる。


十兵衛の名が呼ばれた。


それだけで、十分だった。


誰も褒めない。

誰も問わない。


だが、視線が変わった。


「妙な動きだ」


誰かが、そう言った。


十兵衛は、否定しなかった。


否定の先が、視えていなかったからだ。


数日後、

十兵衛は呼び出された。


戦場ではない。

修練場でもない。


静かな部屋だ。


そこにいる人物を見て、

十兵衛は、初めて視えない相手に出会った。


徳川家康。


その名を、

このときの十兵衛は、

まだ知らない。

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