第2話 外へ
十五になった年の終わり、十兵衛は呼ばれた。
名前を呼ばれること自体が、珍しかった。
置屋では、用があるとき以外、彼は数に入られない。
主人は、帳場の奥に座っていた。
声を荒げることのない女だ。だが、その沈黙は、誰よりも重い。
十兵衛は、立ったまま待った。
主人は、すぐには口を開かなかった。
十兵衛の顔を見る。
目を見る。
そして、何も言わずに、視線を外す。
その間に、十兵衛は理解していた。
――ここだ。
未来が、ひとつ閉じる音がした。
「ここに置いておけなくなった」
主人は、淡々と言った。
叱責でも、謝罪でもない。
判断だった。
「悪さをしたわけではない。
だが、お前は、この場所に向いていない」
理由は、それ以上語られなかった。
語らなくても、十分だった。
十兵衛は、視ていた。
ここに残った場合の先を。
誰かが傷つく。
誰かが恐れる。
そして最後は、自分が壊れる。
「武家へ行け」
主人は続けた。
「人を斬るか、斬られるか。
その二つしかない場所だ」
十兵衛は、黙って聞いていた。
「だが、お前には――
その前が見える」
一瞬、視線が交わった。
主人は、知っていた。
すべてではないが、気づいていた。
「生き延びろ」
それだけ言って、主人は立ち上がった。
話は終わりだった。
⸻
荷は少なかった。
着古した衣が二枚。
銭が少し。
名前のない包み。
置屋を出るとき、見送りはなかった。
それが、この場所の流儀だ。
十兵衛は、振り返らなかった。
振り返れば、戻れる。
戻れば、終わる。
外の空気は、冷たかった。
土と人と、血の匂いが混じっている。
街道の向こうに、戦の気配があった。
まだ音はない。
だが、起きる前の歪みが、はっきりと視えた。
十兵衛は、一歩踏み出した。
先は、見えている。
それでも、行く。
行かねばならない未来だと、
もう分かっていた。
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