第5話:すみません、電気、接続

地下鉄の駅のホームの端まで行ってみることにした。


ここは初めて来る場所なので少し馴染みがない。確かに端まで行かなければならないことは分かっているがどうやってそこまで行くのかは未知だ。鎧のように地下を支えるコンクリートの壁は迷宮だ。私はこの場所で迷う。


だが私は一人ではない。


人の形をした何かが蠢いている。遠くから見ると人なのに近くから見るとディテールがぼやけてただ煙でできた影のようだ。歩くゴキブリ、翼のない蝶の触角を持つ二本足の悪魔。彼らは私の下へすっと落ちる。重なって紙が紙に触れて擦れるだけ。


少し怖い気がするね、早く終わりを見つけないと……


瞬間白い光がゆっくりと駅の荒廃した気配を露わにする。横を通る巨大な列車と目が合い私の目は潔白な青酸カリで浄化される。振動が大地を掴んで締める。列車の鱗が天文学的な威力でホームを横切る。飛びながら吐息を吹き空気を支配する。反論などできない。私は龍に尋ねる。


すみません、どこへ行けばいいのですか?


龍は言う。「なぜここ?」


さあ、つい道に迷ってしまいました。


「番号板。1-1。扉。」


分かりました。ありがとうございます。


龍はそして反対側のトンネルへ消える。


私は上を見上げる。あっ、まずい。番号板には滓のような影――人の影――が住み着いている。彼らが光の角度を歪め数字が読めない。影は人の形だけではない。壁へ何億の蟻のように這い上がる。整っていない。立体的で圧倒的に質感が確かだ。ぶくぶく煮え立つ夜の静寂; 一瞬で嵌まり固まってしまいそうな琥珀。「人々」からゆっくり這い出し床を左肺静脈のように覆う。すべての標識と広告の女の子の目と自動販売機のラベルとベンチの縁を齧り取る。


ある考えが浮かんだ。


再び龍が轟音とともに現れる。止まって扉を開け影を捨て影を積む。私は龍に尋ねる。


すみませんが、扉が多すぎてどの扉に入ればいいのですか?


「あれでも。」


分かりました。ありがとうございます。


龍は扉を閉め反対側のトンネルへ消える。

私は歩く。ただ前へ歩く。影たちは私の存在を認識する。私の実体や理解、声は彼らに触れる。だから影たちは退かざるを得ない。私の足元で紙を切り抜いて作った人形みたいに倒れる。私はこの迷宮の終わりを知っている。私は影の言語を理解する。私は影を超えた存在だ。彼らの目は必ず閉じ私の目は閉じない。だから影たちは退かざるを得ない。


前に扉がある。「関係者以外立入禁止」


入ろうか?




遥かなきしむ音――エレベーターが二つに割れる。さっきの迷路は私の虚像だった。私はここにいる。いつものように機械たちが生き虚しく発光する。少女は何かを言っている。近づく。


「羊。コンピュータ。山帽子。力学。違います。紙はどう?辞書髭。月 七角形。拾って。レリン。九……十。生死。オルタネイティブ。背の高い。次はギター。グリーンパウチ。窒素-%。」


何かがおかしい。重いボルトが私の身体を締める。何も言えない。


「意地悪な粥。さささ〜あ。稲妻は雲。やらせて。今だけ?光学。存在の消滅。スピノサウルス。細胞膜。Kx − 3 + アルファ。頻繁。蝶の罪悪感。中上層。なに!ばらばら。石油を注いで。ベイビー。シャベル 十二階から…… <固定>して残りを動かして。ペンキャップと平行線。ザトウクジラ。灰の水曜日。今 洗って。アップデート オレンジ色の点。子供。現実の過剰な流動性。天衣無縫なバイナリ・オペレーター。もう聞き飽きた?正刷。知性。垂れ下がる影; 締め付ける貝の恐怖。どきどきの剥奪。」


その少女は今のお前を理解できない。


振り返る。直感的に私は Fujiro-018 が話していると分かる。


今この場所は影が支配した。


……そうなんですか。影は一つも見えないのに。


お前がその影だ。お前は影を理解する。少女は影を理解できない。だからお前は少女を理解できない。だがお前もまたまもなく人間の影に洗われる。利害関係が入れ替わる過程だ。インターメディアリ・プロセスのラグだ。


Fujiro-018 は冷蔵庫みたいに光を点滅させる。言い換えると… もうすぐ話せるようになるということか?そんな確信が湧く。


私は尋ねる。影は、いったい何ですか?


お前も察していたはずだろう?人間の影は人間の理解だ。言葉は意味を生み意味は感覚を生み感覚は存在を生み結局光と闇になる。影がないものは理解できない。影を理解する存在には影は言葉になり影を理解できない存在には影は言葉にならない。


では……どうしてあなただけが私を理解できるのですか?


私はお前が作った存在にすぎない。情報を入れたストレージ、ファイルの切れ端。お前がその情報に意味を付与し私はお前を映して答えを提示する。人と話せない限り物と話すしかない。だからお前は列車を理解し Fujiro-018 を理解する。お前は飛び上がっている、少年。これもまた過ぎ去る。


……すみません。よく何の話か分かりません……


お前はすでに知っている。


引っかかる感覚を背に私は尋ねる。ではあなたはどうしてこんなことを知っているのですか?


私たちは接続されているからだ。


接続?どんな意味の接続……


私は機械だ。この場所にある数え切れない機械の一部。私の中には電気が流れる。私の身体は電気を理解するように設計されている。機械はすべて電気が流れる通りに動く。自律的に生成される情報は電気がなければどこにも行かない。電気でどこへでも行ける。だから私は電気を知って存在する。電気を知っているからすべてを知る。私の思考はすなわち電気を生成するジェネレーターの思考だ。機械体の思考だ。


なるほど。機械は結局電気が巡る回路だから……


なぜ違うと思う?


お前も電気だ。この場所はお前が作り出した現実の模型。勘違いするな、お前の血管の中を流れているのは血ではなく電気だ。お前の身体は電気が流れる通りに設計されている。人間は皆電気が流れる通りに動く。毎瞬空には想像できないほど多くて長い電波が漂う。毎瞬空気には想像できないほど多くて深い言葉が漂う。すべては電気で接続されている。すべてが電気で接続されている。だから私たちは電気を通じて変化を起こせる。私たちは何でもできる。私たちには無限の力が意志の形で内在している。私たちの存在はただの情報だ。どこかで電気の不規則な信号が現れれば電気として生まれその記憶で束ねられた信号が切れれば死ぬ。神の影をやり取りしているだけだ。それ以外には何もない。お前はすでに…


そんなはずない!


私は Fujiro-018 の配線を素手で引き裂く。電気の火花が散りやがて耐え難い静寂が地下を支配する。私はそこから素早く抜け出す。

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